midnight kiss

[ 約束は守るもの。夢は覚めるもの。魔法もまた然り ]



 夜の十二時を告げる鐘の音。
 熱を生む口付け。
 紅と蒼が交差する刻。
 それは「さよなら」の合図。
 夢の、終わり。





  good bye / good night





 その部屋は酷く薄暗かった。
 照明がついてあるのは一箇所のみで、それ以外は全て消されているのだから当然だ。
 僅かに零れた灯りで見る限り、小さな家具が其処が子ども部屋である事を示している。
 逆に言えば、家具の大きさでしか子ども用であると判断できないような、子ども部屋らしくない部屋だった。
 床に散らばるおもちゃはなく、遊び散らかした様子もない。
 そんな部屋から漏れ聞こえてくるのは、二つの声。
 それは、唯一の照明の下から聞こえてきた。

『―――そうして、彼女は幸せに暮らしましたとさ、おしまい』

 舌足らずな幼い声がそう言って話を結んだ。
 其処にいるのは、小学校高学年くらいの子どもと、小学生になったばかりと思われる子ども。
 彼等は向かい合って座ってて、年上の子どもの手には小さな本。
 大きく書かれた題名は、有名な童話のそれだった。
 最後まで読み終えた事で重大な任務を果たしたかのように満足げな顔をする子どもに対し、更に幼い子どもは不思議そうな顔をする。

『ねぇ、にいサマ。どうして、まじょはずっとつづくまほうを、その子にかけなかったのかなぁ?』

 言葉は分かるが、その意味までは量りかねたのだろう。
 どういう事だ?、と尋ねられた子どもが首を傾げれば。

『だって、まほうがとけなかったら、灰かぶりの子はまた家にもどることもなくって、おうじサマと幸せにくらせたのに』

 あぁ、そうだな、と頷く聞き手は、けれどまだ意図は掴めない。

『灰かぶりの子が、かわいそうだぜぃ。わざわざ〈じかんせいげん〉のまほうだなんて、まじょもケチだと思わない?』

 そう唇を尖らせてむくれる幼子に、もう1人の子どもは年長者らしく笑った。

『そうか。おまえは、ずっと魔法が続けば良いのに、って思うのか』
『だって…』

 ちらり、と上目遣いにその笑みを見た子は、唐突にぎゅっと抱きついて。

『…こわいんだもの。にいサマのそばにいる〈いま〉が、もし、まほうだったらって』

 魔法は、何時も優しい夢をくれる。
 だったら、兄サマの傍にいる今だって、魔法なんじゃないかって。
 そんなお話を聞く度に、思うんだ。

『だから、まほうがずっとつづかないのは、こわいの』

 そう告白する子に。

『…まったく』

 呆れたような。
 微笑ましいような。
 そんな笑みを浮かべた子どもは、小さい子どもを優しく引き剥がし、目と目を合わせた。

『お前の兄サマは、此処にいる』

 そして、握り締める手と手が伝えるのは、子ども独特の高い体温。
 二人合わせれば、ほんのり熱い。

『分かるだろう?』

 そう言えば、小さく縦に振られる首。

『ちゃんと、傍にいるから』

 その言葉とその温もりに安心したように、小さな子どもはにっこりと笑い、瞼を閉じて。

『…おやすみ』

 そう言うと共に、弟が、すとん、と夢の中へ旅立ったのを見届けた兄は、しばらく寝入った子の頭を撫で続けていた。
 微笑みは優しく、撫でるその動作にすら愛おしさが溢れ出す。
 けれど唐突に熱は奪われて、まるで違う表情がその顔に浮かんだ。
 そうして開かれた口から。

『…それを言うなら、眠り姫だって、夢から醒めたくはなかっただろうに』

 そんな言葉が、零れて。

『……なぁ、モクバ』

 先ほどと同じように語りかけているのに、どうしてか温度が違う。
 そんな中で、少年は独り、語り続ける。

『モクバは、時間が経って魔法が解けてしまった灰かぶりの娘が可哀想だと言ったけど、眠り姫は、時間制限のある魔法だったから王子に会えたんだ』

 それなら、お前はどう言うのだろう。
 眠り姫の方が幸せだと、言うのだろうか。

『けど、考えてごらん? 眠りについた姫は、百年経てば夢から目覚めてしまう。現実がどういうものか、知らないまま』

 お前が言うように、夢は優しい。
 けれど現実は、そうはいかない。
 現実がどれほど辛いか、それをオレ達は知ってる。
 そして、継母や義理の姉達に苛められた灰かぶりの娘も知ってただろう。
 それならば。

『現実を見てから魔法にかかった灰かぶり』

 そして。

『魔法にかかってから現実を知った眠り姫』

 ねぇ、そのどっちが。

『―――本当に、可哀想なんだろう』

 そう問う子どもは、あくまでも笑みを張り付かせたまま。

『でも、そうだな、…モクバの言う事も分かるんだ』

 けれど、何かを思い出したかのように、その笑みが歪む。

『オレだって、魔法が解ける事が怖い』

 十二時の鐘が鳴る度に、身を竦める事がある。
 夢にしがみ付きたいと願う事だって。

(だって思うんだ)

『ずっと魔法が続いてたなら、きっとアイツも幸せだったのに、って…』

 それは、小学生がするには奇妙な、全てを達観した者の顔。
 永遠の魔法を願うその心には、何を想い浮かべるのか。
 そして、何処からか十二時を知らせる鐘が、聴こえて―――。





 ―――彼は夢から、醒めた。

「……今のは」

 浅い息と共に目を開けば、見慣れた天井。
 そっと額に手の甲を当てれば、冷たい汗。
 知らずに硬直していた体を、弛緩していきながら。

「何で、あんな……」

 海馬は夢を思い返して、深く息を吐く。

(あれ、は…)

 絵本を読み聞かせていた子どもは、紛れもなく海馬自身。
 もう一人の子どもは無論モクバだった。
 まだ海馬の屋敷に来たばかりで、夜だけの時間制限のある面会が兄弟二人きりで過ごせる唯一の安らかな時間だった。
 あの時モクバが見せたあの不安は、両親が亡くなり、親戚どもに裏切られた事で築かれたものだと海馬は知っていた。
 そしてモクバが灰かぶりの娘の状況に自分達兄弟を重ねていた事も。
 だからこその、モクバのあの言葉。

『だって、まほうがとけなかったら、灰かぶりの子はまた家にもどることもなくって、おうじサマと幸せにくらせたのに』

 ―――だって、〈じかんせいげん〉がなかったら、にいサマは決められた部屋にもどることもなくって、オレと楽しく過ごせるのに。

 そんな想いを、あの言葉は語っていたのだ。
 そして幼い海馬が呟いた、あの言葉。

『…それを言うなら、眠り姫だって、夢から醒めたくはなかっただろうに』

(覚えてる、その、意味を)

 モクバが言った灰かぶりの娘がオレ達なら。
 オレが言った、眠り姫は…?

(それは…)

 そっと上体を起こし、視線を直ぐ傍へと落とす。
 其処には、すやすやと眠る、遊戯の姿。
 何時ものような挑戦的な眼差しは瞼に隠され、雰囲気や表情は歳相応に見えた。

(その事に)

「……変わらない」

(泣きそうになる)

「変わらないな、…貴様は」

(こいつは何も変わらない)

 安らかに眠る顔も。
 身を焦がす視線も。
 心まで届く声音も。

(あの時の、まま)

 その想いが、海馬から本音を引き出した。

「……遊戯」

 後悔しないと決めた。
 願いを叶える事。
 制約を背負う事。
 周囲を巻き込む事。
 ただ彼の願いを叶えてやりたかった。
 それでも。

「貴様に、こんな世界を見せたくは、なかった…」

 優しい夢で揺蕩(たゆた)う遊戯を叩き起こして突きつける現実は、何時も遊戯を傷つける。
 そうさせる海馬に、癒す術はないのに。

(あぁだから、眠り姫はずっと夢を見続けるべきだったのに)

 治せない傷。
 癒せない心。
 その痛みに理由すら見つけられずにただただ抱え込む。

(痛みは理由があるから耐えられるのだ)

 海馬の痛みには理由がある。
 海馬自身が背負うと決めた痛みだ。
 だから、良い。
 耐えられる。
 けれど。

(無理矢理抱え込まされた、遊戯は…?)

 あの願いはただ一瞬心に浮かんだ願いで終わるはずだった。
 彼自身、実際には叶えるとは思ってもいなかっただろう。
 それを過去の海馬は叶えてしまった。
 叶えられるだけの実力があった事。
 叶えようと思うだけの想いがあった事。
 ただ、それらが偶然揃ってしまっていた。

「……遊戯…」

 やるせない想いで見下ろした、無垢な寝顔。
 そうさせる夢に、僅かばかりの羨望と切望を込めて。

「―――」

 落とす、口付け。

(厭うは我の居ぬ夢)

 そして。

(願うは醒めぬ事を)

 そんな矛盾した想いも。

「………瀬人…」

 掠れた声が、打ち砕く。

「瀬人…?」

 言いながら、海馬の首に回される腕。
 引き寄せられる。
 そしてまた、唇が重なり合って。

「泣いてるのか…?」

 僅かに離れた時に、遊戯がその言葉を滑り込ませる。
 それに、海馬は小さく首を振る事で否定した。
 それでも遊戯はまだ心配そうな表情を崩さない。

「…でも、悲しそうだ…」

 寝起きで揺らぐ視界と思考の中で、遊戯はじっと海馬の瞳を覗き込む。
 こんな時の遊戯は口先の言い訳に騙されない。
 それをよく知っている海馬は、一つ、微苦笑を零して。

「なんでもない…。ただ、そろそろ日付が変わる頃だと思っただけだ」

 ちらりと視線を壁に遣れば、時計があと一分ほどで短針も長針も真上を向く事を示していた。
 遊戯もそれを見て、あぁ、と呟く。

「魔法が、解ける時間か」

 そう事も無げに吐かれた言葉に海馬は眼を見開いて、けれど遊戯はそれに気付かず、にこやかに笑う。
 滅多に見せないその笑みは、遊戯が今にも夢に絡め取られそうな証拠。
 覚束なく伸ばされた手は海馬の頬に添えられて、其処にいる事を確かめるように、何度も輪郭をなぞられる。
 それが妙にくすぐったくて海馬は少し身を捩って、けれど逃げられない事を知ると、ほんのりと微笑んだ。
 それが嬉しかったのか、遊戯も更に笑みを深める。
 子どもみたいな笑顔。
 そんな顔で、遊戯は、瀬人、と呼びかけた。
 なんだ、と返す視線とぶつかったのは、夢に引き摺られそうな瞳なのに。

「魔法は一時の夢…全てじゃない」

 優しく真剣な声が、耳朶(じだ)を打つ。
 それにぴくりと反応した海馬を宥めるように愛撫に似た行為は続けられて、それは鎮静作用を持って海馬の緊張を解していった。

「大丈夫だ。魔法が解けたって、怖い事はない」

 だからさ。

「泣くなよ、セト」

 頬を撫でる指は、何時の間にか湿ってて。
 それに気付くと同時に奪われた三度目の口付け。
 そしてカチッと一際大きく何かが鳴ったかと思えば、二人の後ろで時計が真夜中を告げた。

「あ……」

 思わず遊戯から離れ、時計へと視線を向ける。
 一瞬重なった短針と長針が、直ぐに離れていって。
 追いかけっこの始まりだ。
 いや、終わりなんてない。
 ずっとずっと針達は追い越し追い抜かれの関係を続けていくだけ。
 終わったばかりの昨日も、始まったばかりの今日も、未だ見ぬ明日も。

「瀬人」

 そんな海馬を呼ぶ声。
 そろりと振り返れば、突然引っ張られて。
 驚きに眼を閉じている間に、ベッドがぽすっと勢いをつけて横たわった二人分の重さを一気に抱き止めた。

「ゆ、遊戯…!」

 急に何を、と抗議しかけた海馬に、遊戯は何処か勝ち誇ったように笑って。

「ほら」

 とだけ言って、此処にいるよとばかりに強く強く抱きしめてくるから。

「……あぁ」

 そうだな、と、海馬は泣き笑いを浮かべて抱き返すしかなくて。





 真夜中を告げる鐘が鳴る。
 けれど何も変わらない。
 十二時になって魔法が解けた少女も。
 キスで永い眠りから目覚めた眠り姫も。
 此処にはいない。

 昨日にさよなら。
 時間切れの魔法ユメにも、さよならを。

 夢から覚めなければ出会えなかった未来に、こんにちは。





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 20090622
〈時間なんて怖くない。怖いのはただ、目を開けて貴方が隣にいない事。〉





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