帰り道




 夜勤を終え、心は早く家へと、今にも寝たいと急かすのに、足はだらだらとしか動かない。身体的に疲れてと言うよりかは、精神的に進むのを躊躇ってのことだった。何故かなんて分かりきっているのに諏訪はまいったなと自分自身に嘘をつく。知らないふりをして、気づかないふりをして、冷え切る夜霧を吸い込んだ。浅く吸ってじわりと肺を冷えさせる。
 煙草を吸いたいとは思わなかった。そこが外だからではなく、出すのが面倒だからという訳でもなく。戯れに夜を吸って吐いて、吐いては吸った。それは白く色付いて諏訪から離れて行く。少しの距離で死んでくそれを、諏訪は楽しげに見つめて繰り返す。

「帰らないのか」

 心の主張と楽しさにかまけて足を止めていた諏訪を現実に立ち戻らせる、夜を固めたような声。つと視線を巡らせれば、よくよく知った姿が思ったより側にあって笑う。眉を少し動かすだけで器用に「何が可笑しい」と問う彼はいつもの無表情の半分をマフラーで隠していた。「何も」、という台詞を少し茶化して吐いた諏訪は、その一つ前の問いに答えないまま歩み出す。
 それに少し遅れる形で彼も歩き出したよう。彼の癖か、まるで存在を消すように足音を消して歩くので、そうと知れるのは月明かりで地面に浮かび上がる彼の小さな影によって。マフラーの所為か微かな呼吸音も聞こえず、だから諏訪は自分の爪先の少し先で揺れる影を追いかけなければならなかった。
 会話はない。代わりに空白を埋める冬の風が頬を鼻を痛くする。剥き出しの指先も悴んで、あぁ赤くなってんのかなぁと思いながらも見詰めるのは、やっぱり自分の爪先と追いかけっこする彼を象る黒い影で。
 喉奥で笑う。それは押し殺した割に楽しげで、なんだか馬鹿馬鹿しくなった諏訪は意地ともいじらしさともつかないそれをあっさりばっさり投げ捨てた。

「家、来るか」

 振り返らないままぽつりと言う。耳を澄ませど返事はない。相変わらず足音も。それでも視線の先、地面の追いかけっこは続くから。くくと笑う。今度こそ口先から零れた笑声と共に吐き出された白い息は、もう諏訪の興味を引かなかった。





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 20161222
〈独り善がりの追いかけっこ〉





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