KNIGHT ★ CIRCUS

[ You can never lose what you never had. ]



 帝光中学校は、何かと話題に事欠かない学校だった。バスケの強豪校であるのは有名すぎる事実として、実は他の運動部も軒並み様々な大会の賞を総なめにしていたし、学業面においても進学率の高さや模試の上位者数が他校より頭ひとつ分抜けていた。
 それだけならまだしも――それだけでも充分優良校で話題性抜群なのだが――帝光中学校には一つ、普通科や特進科、国際科などに混じって全国でも希少な学科が存在した。
 芸能科である。アイドル、タレント、俳優、声優、芸人―――テレビや舞台、様々なメディアを通じて活躍する生徒、もしくはそれを目指す生徒達が全国から集い、日々勉学と修練に勤しんでいた。
 その中に、芸能科の生徒から選り抜き、学内で活動することの許された学校公認のアイドルユニットがあった。結成半年目のそのユニットは今や学内に留まらず世間一般にも浸透し始め、もともと文武両道で有名であった帝光中学校の入学志望者の数を跳ね上げさせたことは、数日間ニュースのネタとなり、お茶の間の話題を攫った。
 そのアイドルグループが――…。





「『バスケ部レギュラーで編成された、〈KNIGHT★CIRCUS〉である』―――その内の一人に、まっさかお前が入るなんてなー」

 読み終わった校内新聞を片手で器用に折り畳んだ降旗は、言ってこちらを向く格好で前の席に座って臆面もなく仏頂面を晒す火神をまじまじと見詰めた。
 座ってさえ立っている時と同じように見上げねばならないほど、火神は身長に恵まれていて、だからこそバスケの選手として活躍しているのか、活躍できるバスケの選手になろうとする一念が躰を伸ばしたのかは、降旗には甲乙付け難い因果関係に思えた。
 とかく、今、自分の台詞で相手の機嫌が急降下しただろうことは、ますます険悪になった表情から確実だったけれど。

「笑うなら笑え」

 むすっと言いながらも拗ねて前に向き直らない実直さに、変わらないなぁと堪らないほどの微笑ましさを覚えながら、降旗は「どうしてさ」とするりと声にした。

「幼馴染として、誇らしいよ」

 人によれば嫌味に取られかねないその言葉も、降旗の屈託のない笑顔と柔らかな声が合わされば、どうしたってそんな風には聞こえない。そもそも、降旗はそういう人間ではないのだ。冗談であれお巫山戯ふざけであれ、人が傷つく言動を選ばない。
 長い付き合いで、それこそ生まれた時から一緒にいる火神はそれを知り、素直に降旗の賛辞を受け取って「そうか」と機嫌を直し、表情を和らげた。

「でもよく引き受けたな。断るかと思った」

 降旗がそう言うのは、火神が筋金入りのバスケ選手であるというだけでなく、芸能科ではなく普通科に籍を置いていることに関係していた。だからこそ一般人の降旗と前後の席で座っているのだし、あと少しで授業が始まろうというギリギリまでこうしてまったり普通に喋っているのだ。学科が違えば、当然こんなことはできない。
 それに、芸能科はそういうクラスゆえに芸能人に対して免疫があるものの、普通科ともなればなかなかそうはいかない。やはり有名人が身近にいれば浮き立つし、これから火神がアイドルとしても活躍していくことを思えば、女子の間で争奪戦が勃発しかねないだろう。
 バスケ部の傑物達と比べても遜色ない活躍を見せる火神は、ただでさえその鋭い外見に似合わない純朴な性格と相まって学内学外問わずファンが多いのだ。鈍い火神は、あまりその事実を知らないけれど。
 火神が引き抜かれたのは喜ばしいが、諸々を考えるとメリットよりもデメリットの方が目についた。無論、メンバー加入は強制ではないので、降旗が言うように火神は断ることもできたはずなのだが。

「アイドルつっても学内の活動だけだし、言ってみりゃあ委員会の代わりだ。バスケに支障はねぇって。じゃなきゃバスケ部レギュラーがアイドルなんて舐めたことするかよ」

 ガシガシと髪を乱しながら火神は言う。それもそうか、と頷いた降旗は、そう言えばと言葉を接つぐ。

「他のレギュラーって、確か全員もともと芸能科だったっけ」
「殆どが小学校からのエスカレーター組で、子役とかキッズモデルとかだってよ」

 すげーなー、と素直に賞賛する降旗は、そこで一つ、火神に問いを投げかけた。

「で、大我はどうすんの? 転科、すんの?」

 聞かれて、火神は真っ直ぐすぎるほどの視線を寄越す降旗から目を逸らし、少しの間泳がせた。一度薄く開いた唇を、言いたくないと言いたげに引き結ぶ。だが結局、無言で送られ続ける降旗の視線に根負けして一つ溜息を吐くと、ぽつりと言った。分からない、と。
 よくよく考えれば、転科が一番理に適った選択肢だ。アイドル活動が委員会扱いだとは言え、普通科のアイドルともなれば注目度も段違いだろうし、活動を維持するための広報や練習が、ややもすれば授業を圧迫する可能性もなきにしもあらずとは、既に聞き及んでいる。しかしほぼバスケ部における活躍で学業を免除されているような現状では、芸能科だろうと普通科だろうと火神に然程関係はない。精神的にはやはり全然違うのだろうけど、そこは覚悟の上だった。
 だと言うのに、それでも、火神は躊躇せずにはいられなかった。二つの道を前にして、足踏みしていた。加入の申し出を受けた時には、それほど迷わなかったと言うのに――…。
 胸に渦巻く迷いを抱えたまま降旗に目線を戻した火神は、数瞬言葉を詰まらせた。誤魔化すように、笑う。

「んな、捨てられた子犬みたいな目ぇすんなよ」
「……そんな目、した?」

 それは成功したのか、…いやそもそも、する必要がなかったのかもしれない。からかうような火神の言葉にも、降旗は怒るでもなく照れるでもなく、ただきょとんと無垢に首を傾げてみせただけだった。
 それに、ぷかりと火神の心が頼りなく浮いた。またか、と思って、まだか、とも思った。火神の視線の先の降旗が、思い出すほどのきょりにない降旗とだぶって見える。
 だがそれを勘付かせてなるものかと、慣れた動作で固く俯き、「さぁな」と火神は今度こそ小さく笑った。

「分かんねぇ」
「なんだよそれー」

 器用に声にも笑いを滲ませれば、ぷくりと頬を膨らませて返す降旗。そのことに、驚くほどほっとする。それもまた、火神の胸の内に綺麗に綺麗に閉まわれて。

「つーわけで、俺今日からアイドルだから」
「うん」
「応援よろしく」
「もちろん」

 と即答したはずの降旗は、「あ、でも」と言うと。

「赤司様は別格だから! ごめん!」

 あっけらかんと言い放つ。しかも、もの凄くイイ笑顔で。数秒微妙な顔をしながらもなんとか押し黙った火神は、しかし結局耐え切れず、盛大に溜息を吐き出した。

「……お前ほんっと好きな、赤司のこと」

 赤司様こと赤司征十郎は、乳児期からモデルとして活躍し、芸歴は既に貫禄の十年。その上学業優秀、帝光バスケ部レギュラーでスポーツ万能、そしてあの、〈KNIGHT★CIRCUS〉のリーダーでもあった。
 降旗はそんな赤司の――大が十個つくほどの――ファンだった。

「だって綺麗じゃん!」

 白皙はくせきの美貌っての? 髪もサラッサラで絶妙な加減で顔に影落としてるしさぁ。あ、それに目! 宝石みたいでちょっと冷たい感じなのもいいよな! 歌ものびのびしてて――…。

 そう熱く語り始めた降旗は、いつも淡々とした様子からはかけ離れて活き活きとしていた。好きなものを語る時がそうなら、自分もバスケのことを話す時、こうなっているのかもしれない。
 ぼんやりと思いながら、火神はじっとそんな降旗を見る。そっと見て、緊張の糸が切れたように、困った風に、くしゃりと笑う。

「………ほんと」

 ほんと…―――。

『んな、捨てられた子犬みたいな目ぇすんなよ』
『……そんな目、した?』

 さぁな、分かんねぇ、どうだろう。

(本当は、―――…本当は)

 そんな目をしたのは、もしかしたら。

「…――やってらんねぇ」

 自分の方なのかも、しれなかった。





 ―――あいつの心が凍えているのを、自分だけが知っているんじゃ駄目だと思ったんだ。

『光樹』
『…ん』
『中学、俺と一緒に帝光行こうぜ』
『…ん』
『俺、バスケしてぇんだ』
『…ん』
『お前もなんか見付けよう』
『…ん』
『なんか、見付けなきゃだめだ』
『…ん』
『…なぁ、光樹』
『……大我が、そうしたいなら』

 いいよ。

 …ただ、無感情なのではないのだ。ただ無感動なだけでは、ないのだ。

『…――光樹…』

 そうであれば、どれだけ、よかっただろう。

「あいつはな、諦めてるんだ」

 その自覚もないまま、呆気ないほど、綺麗なくらい、人生どころか世界さえ、まっさらに諦めたままなんだ。

 苦く言って、火神は夕焼けが映り込む窓に指を這わす。晩秋の冷たさが、拒むように責めるように、つきりと刺す。でも、耐えて。

「…掴んだ手を離すくらいならまだマシだ。でもあいつは、手を伸ばそうともしやしない」

 最初から、端から、遠巻きに見るだけだ。在ることを確認するように見て、在ったってほっとして、それで、おしまい。それこそアイドルをテレビ画面の向こう側に見るだけで満足する、視聴者のように。

「あいつにとって赤司だってそれなんだろう。多分、本気で、手に入れたいとも、手を握りたいとも、手に触れたいとさえ思っちゃいねぇ」

 …でも、それでも、なんだ。

『あ』

 覚えている。忘れられない。学校見学のために赴いた帝光で、あいつが初めて、赤司を見た瞬間を。

『こう…―――』

 それは、他に言い様がないほど、奇跡の瞬間だった。何を見ても意識せず気にも止めずするりと通り過ぎていただけのあいつの足が、ぴたりと止まったのだ。そればかりか視線も動かず剥がれない。その癖、徐に開かれていく瞳は煌めいて、頬には赤みがさっと差す。
 そして…、そして、あいつはとても大切な秘密を零すように、囁いたのだ。

『―――…きれい』

 六年―――六年ぶりに見た、あいつの生きた表情。生き返ったとさえ、思った。

「赤司を見て、やっと…、やっと、あいつの心に血が通ったんだ。あの日から、俺が、誰が、何をしても凍っていた心が、やっと――…」

 帝光にしようと思った。ここじゃなきゃ駄目だとも思った。…例え。

『……そんな目、した?』

 例え。

(向けられた、硝子玉の瞳。凍ってもない、ただ、無機質な)

 あいつの心を揺さぶるのが自分ではない事実に、どれだけ苦しもうと。

「……優しいですね。火神君」

 夜に似た沈黙の帳に爪を立てたのは、静かに静かに耳を澄ませていた黒子の声。それが、夕空の橙に滲む。聞いて、思って、火神は。

「…んなこと、ねぇよ」

 自分の声。掠れた、それ。気付いて、瞬いて、夕陽が、溶けた。





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 20150913





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