鬼の篝火

[ 生まれたからには地獄に堕ちろ。 ]



 おてんとさまがすき。
 あったかくてほわほわして、きらきらしてかがやいて。
 おつきさまじゃだめなの。
 どきどきしないの。
 おてんとさまは、どきどきするのに。
 でも、なんでしってるんだろう、そんなこと。
 へんなの、へんなの。
 だって、ねぇ。
 じごくにあさはこないのに。





「じゃあ火神君、また」
「おー」

 校門を出て道なりに五分ほど歩けば丁字路があって、火神はそこで友人と別れるのが常だった。同級生であり、部活の相棒でもある彼は変わった特技を持っていて、今もふと傍を通った焼き芋屋の軽トラックから漂う匂いに釣られて視線を一瞬逸らしただけで、もうその後ろ姿は捉えられなくなっていた。
 出会った当初は大層驚いたものだ。半年経った今ではそういうものかと受け止められるようになり、飛び上がるほど驚く回数は目に見えて減った。それでもまぁ、気を抜いている時にやられると、やはり吃驚してしまうのだが。

「…帰るか」

 気持ちの区切りをつけるように呟いて、自分の帰路に足先を向ける。瞬間、風が喉に突っかかって、あぁそう言えば鼻の頭も冷えてすっとするようになったなぁと思う。
 暦の上ではもう秋も半ば。次に待ち受ける冬は、あっという間に来るだろう。息も白くなって、人間煙突がそこかしこにできあがる。それとも首を竦める亀の大量発生か。どちらにしろ、それは数週間後には確実に待ち受ける未来だ。
 そんなことを、いつもを考えればかなり早く学校を出たはずなのに既に紺が混じり始めた空を見上げながら、火神は住んでいるマンションまでの短い道のりの最中だらだらと考えた。思考に耽るあまり、目の前を通り過ぎようとする秋茜にぶつかりそうになって、反射的に蹈鞴たたらを踏む。そんな火神の慌てぶりとは対照的にすいと優雅に飛んでいった秋茜を火神は鋭く睨み付け、無様を晒した自分に鋭く舌打ちをした。
 まったく、だからこの時期はあまり好きではないのだ。過ごしやすい気候ではあるが、それは人だけでなく虫にも言えることで、今みたいに接触しそうになった回数をあげれば片手では足りないし、落ちてくる葉っぱも鬱陶しい。何より試験期間のために部活が休みになることが、バスケ部に所属する火神の苛立ちを一番に煽った。

「あー、クソッ」

 鬱憤を晴らそうと、道に敷かれた銀杏イチョウの葉を乱暴に蹴り上げる。だがそれも、ハラハラ舞って、落ちるだけ。しかもその内の一枚がひょろひょろと風に流されて自分の頭にくっついたとなれば、火神の表情の苛烈さや声の勢いを思うと、間抜けさが一入ひとしおだった。

「……アホらし」

 心底思って、火神は頭に付いた葉を払って一つ溜息を吐き、家路を急ぐことにした。緩やかな坂を歩き、後は角を曲がればマンションが見えると言う所まで来た、その時だった。

「…ん?」

 火神は不意に違和感を覚えて足を止めた。少しの間、それがどこから来るものなのか分からなかった。辺りが静かすぎるのだと気付いたのは、立ち止まって数十秒を数えた頃だ。

「なんだ…?」

 時間を思えば、下校中の学生や買い物帰りの主婦がたむろしていてもおかしくはない。…そうだ、昨日も一昨日も、自分はそんな光景を横目に帰宅したのだ。今日ばかり、人っ子一人いないのは居心地悪いほど不自然に思えた。
 考え過ぎか、たまたまそういうタイミングに帰ってきたのだろうか。そう頭を悩ませながら、周りの集合住宅に埋もれるようにあるこじんまりとした公園に目を走らせた火神は、なんとなくその中にある一つのベンチを凝視した。何故かそこに目が引っかかった。何か、何かが、そこに在る――…。眉間に皺を寄せ、怪訝に見詰めていた火神は、それが何であるかを唐突に理解した。

(子どもだ…)

 祭りの時に着るような淡い黄色の着物に、短い髪は薄い茶色で、それは夕陽に照らされて金にも見える。そんな、年の頃は三歳ぐらいだろうかと思われる子どもが、猫のようにベンチの上で丸まって寝ているのだ。
 自然、親はどこだろうと視線を彷徨わせるも、周囲にはやはり誰もいない。遊具で遊ぶ子どもの姿もなければ、通りがかるサラリーマンの影さえなく、まして走る車の音や鳥の囀りも聞こえないことに、火神はその時やっと気が付いた。
 まるでこの一帯だけ日常せかいから切り取られてしまったかのようだ。いや、もしかしたら世界にはもう自分とこの子どもしかいないんじゃないか…。
 そんな愚にもつかない想像が頭の中をよぎって、火神はバカバカしいと小さく口の中で呟いた。けれど、どうにも不安が掻き立てられたのは事実で、火神は逡巡した後、行き先をマンションから公園に変更して歩き出す。
 途中、いつもの雰囲気を取り戻しはしないだろうか、子どもの親が姿を現しはしないだろうかと縋るように考えたが、結局何も起こらず、誰かが現れることもないまま、火神はベンチまで辿り着いてしまった。困った顔で見下ろして変化を待ってみたものの、結果が変わることもなく、諦めて子どもの肩を揺すって声をかける。

「…おい、起きろ。風邪引くぞ」

 しかし、見れば見るほど変わった子どもだった。身に付けている着物がその最たる例だ。近所の寺社の祭りの時期から外れているし、今どき着物を普段着としているのも考えにくい。もしかしたら寝間着なのかもしれないが、それにしては素人目から見ても生地が良すぎる気がした。皺や汚れも見える範囲ではないに等しい。しかもこの季節に素足でいるのも、その癖足の裏には全く汚れがないのも不自然極まりない。
 変な奴…、と再度火神が思ったところで、揺さぶられていた子どもが起きる兆しを見せた。それにほっとするべきなのか慌てるべきなのか、火神の中で葛藤が生まれようとして、けれどそれはふと気付いてしまったもの﹅﹅に、意識の全部を奪われた。

「―――…え?」

 子どもの躰を揺さぶったことで髪が乱れ、そうして見えたものが、火神の躰を凍らせた。…そのもの﹅﹅の名前を知っている。だが、本来あるはずのないものだ。あってはならないものだ。あったのなら、それは、この子は――…。

「ぅ、ん…」

 視線の先、眠りの浅瀬に揺蕩う子どもが、小さな声を上げる。ついさっきまでの火神なら自分以外の声に柄にもなく安堵しただろうに、それ﹅﹅を見付けた今となっては、とてもじゃないができなかった。

(…自分は夢でも見ているのだろうか。ここは、この子どもも、自分の夢の中のことなのか)

 半ば本気で考えた。不自然と不可解の揃い踏みに、何が何だか分からなくなる。それでも微かに燻る好奇心に突き動かされて、火神は恐恐とそれ﹅﹅に触れた。指先に、確かな感触。ならばやっぱり見間違いじゃない。幻覚でもないのだろう。これは、―――それ﹅﹅は。

「角…」

 火神が掠れた声でそう呟いたのと、子どもの瞼がぱちりと開いたのは、まったくの同時だった。大きな琥珀を埋め込んだような瞳が覗く。数回、ぱちぱちとゆるやかに瞬きを繰り返したそれが、焦点が合う内に夢見心地の色を捨て、みるみる薄い涙の膜で覆われていく。…この流れは、つまり。

「う、うぇ、っ」

 ヤバイ、泣く―――と焦った時点で、手遅れだった。子どもの涙腺が決壊し、悲鳴に似た絶叫が、住宅街に劈いた。

「ぅあぁあああっ、にぃ、ちゃ、にぃちゃあ…――ッ!」

 堰を切ったように泣き叫ぶ幼児と、その子どもに手を触れて泣かせた高校生―――傍から見れば、どう見えるだろう。いや、何にせよ心象は悪くなりこそすれ、良くなることはあるまい。
 その上これで警察にご厄介にでもなって学校に話が行けば、何もしてなくとも特待生の資格を取り上げられたりするんじゃないか。そうなれば無理を言って日本の学校に進学した手前、両親は援助をしてはくれないだろうし、寧ろこれ幸いにと外国こっちに戻って来いと言うに違いない。バイトで授業料その他諸々稼ごうにも部活で結果を出し、授業でも最低限の成績を求められている現状では不可能に近い。今後、近所との付き合いも悪くなるだろうし…――。
 あぁ、まったく、本当にこの時期はいいことがない。そう、火神が心の中に毒づいた時だった。

 ―――ゴォ…ッ

 耳元を、突如一陣の風が駆け抜けた。驚いて、一瞬強く瞼を閉ざす。突風は容赦なく火神の髪を掻き乱し、晒された首筋は寒さに嬲られて総毛立つ。
 秋とは言え吹き荒ぶ風の冷たさは痛いほどで、遮るものを持たない子どもは大丈夫だったろうかと、風が収まった頃合いを見て伏せていた目をつと上げた火神は、その瞬間、絶句した。

「――…!」

 火神の横、子どもの前に、最初からそこにいたような自然さで、一人の少年が佇んでいた。

(……さっきまで、絶対、誰もいなかったのに…)

 まるで友人の神出鬼没と同じ唐突さで現れた少年は、暫く静かに周囲を見渡したかと思うと、何かを了解した風にゆっくりと瞬いた。そしてそこにいるのは子どもだけと言う態度で、手を伸ばせば届く距離にいる火神には一瞥もくれず、着ているものが汚れるのも厭わずに、膝を折ってベンチの子どもに向き合った。

「どうした、コウキ」
「にい、ちゃあ…っ」

 頬を林檎色に染めて泣きじゃくる子どもは少年を兄と呼び、小さな紅葉の手を目一杯伸ばして彼に縋りつく。容易く受け入れたその少年は子どもをふわりと抱き留めると、優しく頭を撫でて慰める。

「よしよし、泣くな。泣く顔も可愛いらしいが、僕が泣かせてないのにコウキが泣いているのは、見ていてあまり気分がいいものじゃない。笑ってくれた方が、兄様は嬉しいよ」

 ね、と仄かに笑い、指先で大粒の涙を拭う。子どももその言葉に報いようとしてか、健気にしゃくり上げる声を殺そうと桜色の唇を噛み締める。
 その光景は心温まるもののはずで、火神自身、自分と子ども以外の存在の登場を待ち望んでいたはずだった。早く早く、誰か現れやしないかと。しかし、火神は少年の出現に、到底喜ぶ気にはなれなかった。それは状況がどうとかよりも、こがらしと共に現れたその少年こそが、この中で最も現実離れしていたからだ。
 十代半ばの華奢な外見、そこらのアイドル顔負けに整っている涼やかな顔、切れ長の双眸と背の中ほどまである髪は、はっとするほど色鮮やかな薄紅うすくれない。総合的に言えばできすぎた人形のようだ。それを言えば纏う服も京劇の衣装のようで、コスプレに寛容な日本と言えど、流石に街中でこの服を着て歩いている奴はまずいまい。だが、その点に目を瞑っても、まだ問題視すべき箇所があった。

(…角だ)

 子どものように髪にも隠れないほどの、どうしたって目に付く頭から飛び出す二本の角。それは、火神の知る限り、鬼と呼ばれる存在ものが持つはずだ。

(鬼って地獄にいるんじゃねぇのかよ。なんで、こんな所に…)

 角が作り物だとか、何かの衣装だとか、そういう風には一切考えなかった。子どもの角を触った火神には分かる。あれは生えていた。後からいじったのではなく、何かを付けているのでもない。正真正銘、生まれ持ったものだろう。ならあの少年も、きっと本物の。

(……無視されている内に、逃げるべきか)

 真剣に考える。何かの拍子にターゲットにされても困る。なら、意識の向かない今が絶好のチャンスと言えるだろう。
 その火神の思考を読んだかのようなタイミングの良さで。

「仔細は帰ってから聞く。取り敢えずやしきに戻ろう、コウキ」

 泣き止み始めた子どもにそう言って帰宅を促す少年に、火神は単純にほっとした。存在を無視されると言うのは何にせよ気持ちのいいものではないが、今この時は別だった。関わりを持たず、消えてくれるのが一番だ。
 けれど、コウキと呼ばれる子どもはふるふると小さく首を振った。縦にではなく横に振ったことに、火神はギョッとして躰を強ばらせ、少年は胡乱に子どもをじっと見た。覗き込むように、何かを探るように。
 そして、少年は一体何を見たのだろう。何を理解し、何を、そこから導き出したのだろうか。…分からない。知りようもない。ただ分かるのは、知れるのは。

「……お前…」

 自分が、逃げる機会を失ったことだけだ。

「え…、…――!」

 淡紅の瞳に、くらい血の色が俄に混じる。決して自分には向かないだろうと思われたその瞳が、底冷えのする凛冽さを孕んで向けられた。

「お前、この子に何をした」

 …声を、もし氷で作ったとしたならば、こういう感じになるのだろうか。水面みなもに張るそれではない。少年の声に纏わり付くのは、深海の奥底で生まれて死ぬ氷の冷たさだ。息をする度に氷の粒が気管を通り、肺に積もって内側から凍らせるような…。あぁ、それは。

「答えろ、―――孺子こぞう

 喉元に突き付けられる、刃のきっさきに似ていた。





[以下設定殴り書き]

▼光樹
 滅多に存在しないと言われる福鬼→福を呼び込む鬼(座敷童の鬼ver.)。
 希少も希少、レア中のレア。地獄に一人福鬼がいるとすれば、その一人が死ぬまで新たな福鬼は誕生しないし、他の福鬼が存在することもない。つまり文字通りの一世一代。
 外見上は普通の鬼となんら変わりないはずだが、”見れば福鬼それと分かる”と言われる。
 また福鬼は女の肚から絶対に生まれず、自然発生的にどこからともなく誕生するため、見つけた者が親になる(と言うか殆どの場合、”所有物”になる)。
 以上の点から、福鬼は狙われやすく、親になった者とその一族は福鬼を他の鬼の目に触れないように隠すのが一般的。何より「他の鬼に渡った福鬼を盗んだり妬んだりするよりか当代の福鬼を殺して次代の福鬼を手に入れる方が楽」と考える鬼が圧倒的に多いため、福鬼が殺された事例も過去にある(と言うより、盗んだりすると福鬼はストレスで死ぬしその後の家の没落が怖い。割に合わないというのが正直な所)。
 見た目はまだ二三歳児。だが赤司に拾われてから既に五十年は過ぎている。
 鬼は闇と同義とされ、眠りにつけば意識は闇と同化し、よって夢を見ることはない。鬼の中で夢を見るのは福鬼だけ。それも福鬼が祝福された鬼の証だと考えられている。その分、鬼が人間と同様必要とする食事を不要とする。
 自分を見付けた赤司と「不可視みえずちぎり」(鬼術)を結んでいるので、恐怖や危機感が光樹の中で膨れ上がると、赤司にそれが伝わり、赤司自身か、赤司が動けない場合は他の誰かが光樹の元に現れる仕組みになっている。

▼火神大我
 高校生。バスケ部。
 親の転勤で外国にいたが、高校は日本に戻ろうといきなり思い立ち、親の反対を押し切ってスポーツ特待生として誠凛高校に入学。学校が運営する徒歩十分のマンションに一人暮らし。
 光樹と出会ったことで鬼が部屋に出入りしていることに頭がついていかない現状。

▼キセキ
・赤司
 →酒呑童子イメージ。光樹を見付けた鬼。光樹から「えんましゃま」と呼ばれたりする時もあり、それは自身の上司が閻魔だからだと赤司自身は考えているが…。政府高官。
・青峰
 →阿修羅or夜叉。荒事担当。刑事部みたいな役職。
・紫原
 →牛鬼。頭脳+荒事担当。自宅警備員。
・緑間
 →?。頭脳+おかん担当。司法の役人。
・黄瀬
 →?。末っ子より末っ子気質。アイドル担当。
・黒子
 →隠形鬼or雪鬼。火神の友人で唯一現世に生きている鬼。と言うのも一度死にかけた時があって、その時に間違って鬼の妊婦の肚に魂が入ってしまい、人間の意識を保ったまま鬼の子として生まれ育つも、ある日とうとうバレ、事情を話して人間界に戻ったという異例の人。死後は生まれた家に戻る予定。たまに冥界に下りては兄弟に会っている(小野篁みたいな感じ)。
 全員異腹ことはら、行き合い兄弟。そして全員光樹に対してオープンブラコン。
 一族は閻魔に代々仕える名門。大体みんな高校生くらいの姿で、歳の差は各々百歳くらい(鬼は極端に長命なので、百年に一度子を儲けるくらいで丁度いいと考えられている。増えすぎても困るし)。

▼花宮
 癘鬼れいき→流行病をもたらす鬼。五歳くらいの外見。
 光樹から「はな」と呼ばれているほど仲良しだが、しかしその性質から癘鬼は他の鬼から忌避され、キセキ達には光樹と会うことを制限されている(キセキ達からすれば制限より拒絶したいが、そうすると光樹に泣かれるため我慢している)。





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 20141206





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