赤の眷族

[ 七色Colors! ]



 昼休み、人目を避けるように体育館脇のコンクリートで舗装された段差に一人座る。その瞬間深く息を吐いたのは、自分で思うよりも疲労が溜まっていたからかもしれない。原因は日頃の部活動などではない。ただ。

(…眠れない)

 それは一日二日のことではなく、既に一週間ほど続いていた。そして今回が初めてのことでもなかった。不定期ではあるが周期的なもので、また一旦終わっても忘れた頃になって再発するから腹立たしいことこの上ない。
 しかもこれと言った理由がないときた。規則正しく生活を送っているから寝不足に陥るはずも、ましてそれほど緊張することもなくなって久しいから、それも理由から外れる。
 大体毎日部活で躰を酷使しているというのに眠れないとか、辛いを通り越して意味が分からない。眠れたとしても、定めた起床時間より遡って一、二時間が精々だった。

(…不愉快だ)

 その思いと、睡眠不足の時によく感じる目尻が引き攣る感覚に苛立って乱暴に擦った。そのまま手を膝に置き、手の甲に額を付ける。体育座りをして尚且つ躰を丸めるような姿勢なんて制服でするものじゃないなと、頭では思いながらそのままでいた。
 大きく息を吐き、肩の力を抜く。目を閉じた。躰が自分のものではないように、重い。

(しんどい…力が入らない……寝たい…ねられない…)

 それでも、学校を休むことは考えなかった。体調不良や忌引き以外で決められた時間までに学校に行くことはルールだ。学生が遵守すべき最低限の規則。睡眠不足と言うだけで休めるものか。
 そしてその学校で寝不足ですと書いてあるような顔を晒すことなどできるはずもない。

(でもこれまでの経験から言うと、あと一日くらいでこれも終わるかな…)

 寝不足の期間がすぎれば不思議なほどすとんと眠ることができる。それまでの辛抱、と思っても、なかなかに辛い。だからこうして一人静かにできるところで蹲っているのだが。

「…ん?」

 不意にポケットに入れていた携帯が振動する。そう言えばここに来る間にも着信があったなと携帯を開けば、思ったより長く放っていたらしい。多数の差出人から一人二通以上の割合でメールが送られていた。
 一番上の新着メールから開いていくと。
赤司っちどこっスかー?
みんなもう集まってるっスよー(*´ω`*)
 悪気がないと分かっていても、脳天気な顔文字にイラッとした。

(…黄瀬、メニュー二倍)

 次のメール。
おい、テツがお前いねぇって心配そうなんだけど
どうせ教師にこき使われてんだろ?
いつものように毒吐いて早くこっち来いよ
 …アホ峰が。

(教師にそんなこと言えるわけないだろ…っていうか違うし)

 次。
姿が見えないと紫原が涙目なのだよ。そう言えば近頃お前の星座は下位を彷徨っているから、困ったことにでも巻き込まれているのか?今日の蠍座のラッキーアイテムは母性だ。
 占いを信じたことはないが、今日ばかりは信じてもいいかもしれない。

(だがラッキーアイテムは信じないぞ。母性ってなんだ母性って)

 次。
赤ちん、どこー?なんでいつもんとこいないの?誰かに恐いことされてる?シメる?
 …心配されることはまぁ嬉しいが。

(なんでそういう発想になるんだ…)

 次。
みなさんが参観日にお母さんを見つけようとする子どもみたいにそわそわしています。可愛らしいですが、そろそろ紫原君が泣きそうです。取り敢えずメールを返してあげてください。
 来てほしいではなくメールを返してほしいというのが黒子らしい。

(でも下手にメールをすると居場所とか追求されそうだから、止めておこう)

 他のメールも大体同じようなことが綴られていた。まったく、昼休みが始まってまだ五分ほどしか経っていないというのに、何故こうも心配されるのか。
 別に集まるのは強制じゃない。ただ一度流れでそうなって、その流れが今まで続いているだけの話だ。青峰が来なかった時もあるし、黄瀬が来なかった時もある。それぞれに理由があってのことだったが、その時は今ほどメールで確認するなんてこと、なかったのに。
 パタンと携帯を折り畳む。結局誰にも返信しないまま、持ったままでさっきの体勢に戻った。躰を丸めて小さくなる。瞼を閉じた。

(…別に、いいのに)

 ぽつりと、思う。なんでもないことのように、それが一番正しいと信じているように。

(俺のことなんか、放っておいて構わないのに)

 黒い瞼の裏を見るとも無しに眺めながら、赤司がそう思った時。

「あ、やっぱり赤司君、ここにいた」

 声が、聞こえた。よく知った声だ。それは、桃色の髪の、少女の。だとしたら今更取り繕うことなどできないと、赤司は素直に顔を上げた。予想通り、そのままに、少女は赤司の前に立っていた。

「…桃井か。どうした」
「うん、さっき後ろ姿が見えて、その時丁度大ちゃんからメール来たの。赤司君見なかったか、って」
「…そうか」

 最悪のタイミングだ。顔には出さずそう思う。だが見つかったからには行かねばならないだろう、分かったと言って腰を上げかけると。

「でもその様子だと一人になりたかったのかな」

 桃井はふわりと笑って立ち上がろうとした赤司の肩に手を置くと、ひどく自然な流れで赤司の隣に座り、次いで赤司の頭に手を添えるとそのまま自分の肩に寄りかからせた。
 赤司は突然のことに暫く固まって、一言。

「……おい、桃井」

 なんのつもりだ、と赤司が言おうとした手前で。

「寝ていいよ」

 桃井は穏やかに言った。

「最近寝不足なんでしょ。前からだね、赤司君が寝られなくって機嫌悪くなるの。だから今日もみんなのとこに行かなかったんでしょう? 大丈夫だよ、他の誰も気づいてないから。あ、でもテツ君はどうだろ」

 テツ君だからね、とふふと笑う桃井は穏やかだったが、赤司に寝る以外の選択肢を選ばせる気はないようだった。分析力も観察眼も認めているのに、まさか自分の不調が見抜かれているとは思わなかった。赤司は純粋に驚いて、だがだからこそ帝光中学バスケ部のマネージャーか、と納得する思いで笑った。
 こうなれば抵抗するだけ無駄だと、強張ったままだった躰から力を抜き、桃井に預けた。

「噂になっても知らんぞ」
「大丈夫でしょ。テツ君なら誤解しないだろうし、なんてったって、赤司君だもん」

 どういう意味だと言えば、そういう意味だよと返される。そんな言葉遊びを少し繰り返す間に、桃井の肩から伝わる温もりに、瞼が徐々に落ちてくる。

(あたたかい。陽だまりのにおい。揺りかごに眠る、赤子のような安心感。だいじょうぶ、と、訳も分からず信じられるような、そんなあたたかさに包まれる)

 とろん、と、赤司の目が蕩けて。

「…いい夢、見てよね」

 せっかく私が肩を貸してるんだから、と、そんな言葉をかけられた気がする。でももう、その頃には赤司は眠りの淵に身を横たわらせていた。





「ん…」

 目を開ける。そっと、世界を思いやるような優しさで開けられた瞳は、柔らかい陽光を見て、そして自分の隣にいる人物を見た。いや、見上げた。…あれ?

「……火神…?」
「…なんでお前がそこにいるんだ、みたいな反応すんな。お前が勝手に俺に寄りかかって眠りこけたんだろうが」

 お陰でみんなから冷やかされるわ自主練できねーわ、とぐだぐだ愚痴る男は、他校のバスケプレイヤーの火神大我に他ならない。
 あぁそう言えば、休みを利用して東京に帰ってきたんだったか。黒子達にも会いたかったし、そう連絡を取れば丁度誠凛は休み中も体育館で練習をすると聞いて見に来たんだった。さすがに他校の練習に加わることは遠慮していたが、胸を借りたいと主将が言うし、黒子も是非と言うのでそれならばと参加した。
 だが朝早く出たためにどうも眠気が抜けきってなかったようだ。少し休憩しようとベンチに座った途端、うつらとして。

(…でも、本当に眠るつもりはなかったんだ)

 醜態を晒したくはなかった。だが、ふと何かが睡魔を引き寄せた。暖かい陽射しだろうか。なんだかひどく安堵して、眠気に逆らえなかった。そうあの時、桃井の暖かさと柔らかさに寝入った時のように。

「……変なの」

 桃井じゃないのに。彼等でもないのに。ここにいるのは火神なのに。

(今もまだ、安心してる)

 ここなら大丈夫だと、確信してる。何故か分からない。火神、なのに。

「変なのはオメーだよ…っておい! また寝ようとしてんだろ、こらっ」

 変なの。へんなの。

「赤司!」

 いい夢、見れそう。





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 20120601





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