落つ椿は何をや思ふ。

〈設定〉

赤♀降とキセキの世代が出てくるお話。


〈登場人物〉

▼降旗光樹みつき(15)高校生
・華道の名門、降旗家の長女で、上に兄が二人(長兄:僕/次兄:俺)いる。
・黙っていれば大和撫子然としているが、実際はお転婆。綺麗と言うよりは可愛い。
・キセキの世代とは幼馴染で、中でも赤司とは親同士の取り決めで生まれた時からの許嫁。特に黒子と仲がいい。
・華道の腕は確かであるものの、気負ったり緊張すると実力を出せないタイプで、それが若干負い目。自分では才能がないものと思っている。
・幼稚園から高校まで女子校に通い、中学、高校共に制服はセーラー。
・158/45
・公→私 私→俺(二番目の兄が面白がって「女も俺って言っていいんだぜー」とか言ってたら本当に俺って言い出した始末)

▼赤司征十郎(17)高校生
・茶道の名門、赤司家の十番目の孫。現家元の子どもが全員女性であったため、家元の意向で孫息子から次期家元を選出することに。現在最も家元に近い存在とされる(とは言っても、本人はそこまで「家元になりたい!」とか思ってるわけじゃない)。
・基本的に家族の前でも猫を被る。素を出すのは幼馴染(=キセキの世代+降旗)の前でのみ。
・高校はキセキの世代達と同じで、制服はブレザー。家業があるので部活や委員会には所属せず。
・170/63
・公→私 私→僕

▼キセキの世代達も何らかの旧家とか、そんなの
・黒子→雅楽(和琴か笙)
・青峰→舞踊
・黄瀬→能楽(女形でもいい)
・緑間→和歌
・紫原→書道

▼椿
赤司が降旗をたまにからかい混じりにこう呼ぶ。
花言葉:「誇り、ひかえめな美点」/白「理想の恋、完全な愛らしさ」/赤「わが運命は君の掌中にあり」/木「謙譲の美徳」


〈本文〉

 あれは、…そう、冬も深くなった頃だ。新年を過ぎ、二月の差し掛かりだっただろうか。庭の椿が、重たげに首をたわませていた。後少しでぼとりと落ちる。重さに耐え切れず、それを惜しむ心もないままに…。そんな光景を、ぼんやりと脳裏でなぞっていた時のこと。
 当時俺は五歳で、何も分からず、客間の畳の上に座していた。
 傍らには祖母がおり、机を挟んだ向こう側には誰もいない。深々シンシンと雪が視界の端、窓の外で降り積もる。雪に音を奪われた仮初の静謐の中、世界が白に染まる。赤い椿も、同じように。

 ―――会わせたい方がいる。

 祖母はそこに連れてくる前、ぽつりと俺にそう言った。普段寡黙な祖母は、その時もそう言ったっきり押し黙った。だったらそれ以上何を聞いても駄目だ。経験からそう察し、俺はただはいと返す。祖母がそう言うならそうなのだ。そして、俺がそれに何かを言うことはない。それは叩きこまれた教えであり、諦めに似た服従でもあった。
 誰、と聞かずとも相手が分かった、という事情も、実はある。一応本人にはその時まで内密に、と取り決められていたようだが、人の口に戸は立てられぬと言うように、どこかで漏れるものだ。
 三つ離れた二番目の兄はそう言ったものに敏く、よくよく噂話を拾ってきては語ってくれた。
 俺の耳に口を寄せ、ひそりとあることないこと吹き込んで、一々素直に信じ込み、一喜一憂する俺を見てはきゃらきゃらと無邪気に笑うのだ。
 五つ離れた一番目の兄はそれを嫌い、あまり本気にするのでないよ、と俺に言い聞かせ、吹き込んだ次兄を手厳しく叱った。
 だがそれも愛情からくるものと分かっていれば長兄を嫌いになれるはずもなく、次兄は同じことを繰り返し、同じ風に叱咤されても兄が好きで、長兄も飽きることなく次兄を怒ってはしょうがないなと笑う仕舞い。俺はそんな兄達のどこかずれた関係を見るのが好きで、だから嘘か真かは分からずとも、次兄の話を聞くのは好きだった。
 そんな次兄が、一度だけ、真剣な顔をして俺に聞かせた話があった。
 それが、俺には生まれた時から許嫁がいると言うものだった。許嫁、という意味がよく分からなくて首を傾げる俺を余所に、これはちゃんと覚えとかなきゃ駄目だ、と次兄は尚も怖い顔を崩さずに言った。お前が将来結婚する相手のことだから、と。
 漸くその言葉で許嫁という言葉を漠然とだが理解でき、会ったこともないのに?と聞く俺に、そんなのは関係ないんだよ、と次兄は哀しそうに言った。よく分からない、と困った顔をすると、次兄はいつか分かるよとだけ返す。哀しい顔は、哀しいままで。
 それは長兄にも伝わり、二人は幼いながらも頑張って相手の情報を集めてくれた。写真も手に入れてくれた。こいつがお前の許嫁だよ、と言う長兄は心配そうで、次兄も難しい顔をしていた。
 俺は一人事情を飲み込めぬまま、写真よりも兄達の顔を眺めていた。
 二人の顔は花をどう挿さそうかと悩む時と同じに見えて、天性の閃きと感覚で花を形作る兄達は俺のように手を止めて悩むことはなく、だからこそ滅多に見られぬ表情に困惑が深くなる。駄目なの?、と何がとも分からぬまま問う俺に、二人は宥めるように硬かった表情を和らげて笑う。家柄は立派だし、本人の評判も悪くないようだよ。長兄はそう言い、次兄は、お前の相手にしては出来すぎてるくらいだ、と言った。じゃあなんでそんなに不安そうなの、と思って、けれどそれは喉元を過ぎずに腹に戻る。
 兄達の気遣いをなんとはなしに感じ、それに報いようと、そっか、と言い、俺も笑った。
 強張ってしまっただろうか。兄はその後なんと言い、どんな顔をしただろうか。…もう、覚えてやしない。
 そんなことがあって、だから誰と会うのかは知っていた。名をなんというのかも、どんな姿をしているのかも。だから、なのか。胸の高なりや緊張というものはなかった。欠片も、ない。穏やかで、外で降る雪が心にも積もっていくよう。深々と、深々と。

 ―――失礼します。

 ふと、気づけば声がして、見れば障子の向こうに大きな黒い影と小じんまりした赤い影。考えごとをしていたせいか、足音を聞き逃していたらしい。突然耳に入った音に反応した躰の、些かの強張りを解してしゃんと背を伸ばす。見計らったように、戸が開く。

 カラリ

 障子越しにも見えていた赤が、鮮やかさを増して視界に入る。写真よりも活き活きとして、知る赤のどれともまた違う赤。畳につく指や髪の真下にある顔や首筋は俺と同じくらいかそれ以上に白く、陽のもとに出たことがないのだろうかと勘繰るほど。青鈍あおにび色の着物が、そんな赤と白を引き締めてばらける色を落ち着かせていた。
 大人達の会話が始まる。常は無口な祖母も、こういった場面では流石に流暢に喋る。長々と言葉を吐く祖母に違和感と感心を寄せながら、けれどそれも徐に消えていく。あってないような言葉の応酬。建前、というのがあるのだと、長兄は悟ったようによく言った。それを人は礼儀と言うのだとも。よく分からない。不満気に言う俺の頭を、長兄は優しく微笑んで撫でてくれた。いつか分かるよと、次兄にも言われた言葉を、また聞いた。
 俺と彼は静かに行儀よく、足を崩すこともないまま俯き加減で大人達の挨拶が終わるのをひっそりと待っていた。考えている通りならば今日の主役は自分達であるはずなのだが、そんな雰囲気は微塵もない。添え物、と言った方がぴたりとくる。大人達はいつもそうだった。子どもを自分の付属物だと思っている。同じ舞台に立つだけの存在でないと。
 それも、いい。その頃には薄々感じていたことだ。きっと俺達はそのままで生きていく。祖母がいる限り、父と母がいる限り、そして周りの親戚がいる限り。同じ苦痛を嘗て味わったはずの彼等が、同じことを繰り返す。
 面倒なことだ。そう思って、暇潰しにと窓の外を見ようとした。雪はどうなっただろう。庭はどんな様子だろうか。椿は、落ちてやしないだろうか。思いながら顔を上げて、視線を窓へと移そうとした時、偶然彼と目がぱちりと合った。
 髪に負けず劣らずの赤が、俺の目を射抜く。
 真っ直ぐ飛び込む赤。でも不思議と怖いとは思わなかった。外の椿の色に似ていると、ただそう思って、そう思った自分にほろりと笑った。日頃兄達にお前はのんびりしているなと言われるだけのことはある。こんな時に、彼を見て、そんなことを思うなんて。
 彼は少し驚いたようだった。あぁ、彼に笑いかけたものと思われたのだろう。違うと言うのも彼に悪く、また大人達が喋っている最中に勝手に口を開くのは躊躇われたから、窓の外を見るのは諦めて彼を見ることにした。無遠慮だと睨まれるだろうか。
 ふとそう考えたが、彼はそんな心配に気づいたように、にこりと笑い返してくれた。
 歳は二三上のはずだが、それにしても大人びた微笑に、ほんの少しどきりとした。人形のような見目の良さも手伝って、中々に破壊力というか、迫力がある。
 どぎまぎした。胸が熱くなって、手足が痺れた。カッと頬が燃え上がる。なんだろう、恥ずかしい、のだろうか。この感覚は、手酷い失敗を誰かに見られた時のような感じだけれど。
 膝上で指を弄ぶ。着物を意味もなく爪で引っ掻いてみたりして。あぁ早く大人達の会話が終わればいい。最初の頃より強くそう思って、また、庭を見たいと思った。椿は雪に負けていないだろうか。彼の髪と色を同じくする、あの花は…。

 ―――光樹。

 祖母の声に、顔を上げる。いつの間にか望み通り上滑りの話は終わっていて、祖母と、そして彼の傍らにいる人の視線がこちらに注がれていた。鈍く、はいと返事をすれば、祖母は繕った顔で落ち着きのない子で…と弁解を述べる。相手方は外の雪が気になられたのでしょうと、本音か気を遣ってか、朗らかに笑んでそう言ってくれた。
 外を見る口実ができたと、祖母もその人も、そして彼も視界の端に追いやって、胸の高鳴りをどうにか意識の外に押し出して、窓の向こうへ視線を放る。真白の雪が空から降り続いていた。降り積もる。地に落ちる。花に、椿に、舞い降りて。あぁ…。 視線の先、とうとう椿がぽとりと堕ちた。
 それが五歳の冬の記憶。それが、赤司との最初の出会いだった。





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 20120915





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