鳴かぬ蛍が身を焦がす




 少々重い扉を開けて屋上に出る。そこには先客がいた。紫原だ。のそのそと好物のまいう棒を齧り柵に凭れ掛かって空を見上げている。赤司を探すのではなかったかと疑問に思い、その途中である黒子はそのまま声を掛けず去ってもよかった。ライバルが一人減るのだから。
 けれど黒子はあっさり扉から離れると紫原に近づいた。紫原の斜め後ろに立つ。

「空に美味しそうなものでもありましたか?」

 声をかければ紫原は肩越しに視線を向けて黒子を認め、けれどそれも一瞬のことでまた目線は空に放られる。何か意図があってのことではないと、黒子は敏く気がついた。

「何もないよ、なーんにも」

 いつものだらりとした、間延びした声が返される。合間にビリッと何かが破られる音が聞こえたかと思えば、新たにまいう棒を開けたらしい。まったくここから動く気はないようだ。

「赤司君のこと、探さないんですか」

 問う体裁を取りながら、だがその答えを黒子は既に知っていた。それは多分、自分がここに留まったのと同じ理由。

「ほんとは、どーでもいいから」

 どうでもいい。それが指すのは当然探し人である赤司ではない。赤司を探す鬼ごっこを指して紫原はそう言っているのだ。

「それは傷つきますね、折角僕が考案したのに」

 思ってもいない口調と顔で嘯く黒子に、ひょこりと紫原は振り返って。

「それはごめんね。うん、確かにどうでもいいは言いすぎた。捕まえたらこーしようかな、あーしようかなって言う想像は楽しかったし」
「でも、紫原君は赤司君を捕まえようとはしないんですね」
「うん」

 清しいほど言い切られた言葉に、黒子はほんのり瞳を薄める。何故、と問うその瞳を見返して。

「俺はこの前その役目をもらったから、今度は誰かにあげるべきでしょ」

 黒ちんも、だからここにいるくせに。

 言われた言葉に、黒子は笑む。それはどうしようもないほど否定し難く肯定で、それ以外の意味はない。そうだ、だから黒子はここにいる。ここで足を止めた。同じく赤司のいる場所へ足を向けないようにと佇む、紫原の直ぐ傍で。

「紫原君は前回の勝者でしたね」
「黒ちんは前々回でしょ」

 言い合う彼等は今回の鬼ごっこのように、繰り返された競争の中で何度も勝利を手にしていた。だから今回は自分以外の誰かに勝ちを譲ったのだ。赤司に相手を選ぶ権利があるのに対し、他の五人には参加するかしないかを選ぶ権利がある。
 それは五人が等しく勝利を手にできるようにと赤司のあずかり知らぬ所で交わされた約束で、だから厳密に言えば赤司の得る権利は甚だ不公平なものなのだけれど。

『彼は誰のものでもない』

 不可侵の、不文律。それが彼等五人の根底にあるもの。誰かが赤司を独占することは許されないし、許さない。愛でるのならば平等に。これまでもそうしてきたように、これからだって。

「そうそう、今回はみどちんの勝ちだね。赤ちんがいる体育館に入ってったし」
「…青峰君に連絡しましょうか」
「あ、俺がもう黄瀬ちんにメールしたー。峰ちんと今向かってるんじゃない?」
「なら安心ですね」

 何が、とは言わない。もしかしたらとは思うけれど。きっと二人が思うことは同じで、それでも紫原も黒子も屋上から動かない。何をしようと勝者の自由。どうなろうと赤司かれ赤司かれ。それさえ知っていればいい。
 薄情だと、赤司が知れば詰られるだろうか。そう考える黒子は、しかし、とふわりと小首を傾げ。

「…僕等が赤司君に向けるこの感情はなんなんでしょうね」

 ぽつりと言う。それはころりと零れた私語ささめごと。問いではなく、だから答えなど必要とはしなかったのに。紫原がふと笑う。指についたまいう棒の粉をぺろりと舐める口元の、その小さな笑み。微笑というより、それは憫笑にほど近く。

「何って、愛でしょ」

 知らなかったの?、と言いたげに零されたそれは、けれどどこか滑稽で。

「…愛、ねぇ?」

 黒子は口の中でその単語を転がすようにそう言った。空に向けてただ穏やかに。思ってもないくせにと、笑いながら。





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