(四)
「赤司っちってば、酷いっス…」
帰りしな、管を巻くようにぐずぐずと黄瀬が言う。あんな怖い顔しなくてもさぁ、と丁度赤司の般若のような顔を思い出してかぶるりと躰を震わせる黄瀬に、青峰がうるせぇなぁと頭を掻く。
「あれはお前が悪ぃだろ」
「ほんとのこと言っただけなのに!」
「だからこそ悪いんですよ」
「赤ちんはお年頃だから」
「…それはちょっと違うのだよ」
言い合う五人が夕焼けに照らされる。影が伸びて、繋がった。黄瀬はそれを見て、なんだか少し気恥ずかしい気がして、あぁあと二人足りないなぁと思いながら空を見た。橙の空。連想するのは、置いてきた狐の子。
「…コウキっちって、これからどうなるんスか」
黒子と青峰から知っている限りのことは聞いた。そこから赤司が何をするつもりかは分からない。分かるのは、コウキの願いであるセイとの再会は叶わないということ。
それを理詰めで諭した所で納得するだろうか。あんな傷だらけになっても会えると信じてやって来たあの子が、並べ立てた言葉に想いを封じられるだろうか。
黄瀬にはとてもそうは思えない。赤司も分かっているはずだ。だとしたら一体、どうするだろう。
「知らねぇし分かんねぇよ」
応える青峰はばっさりそう切り捨てた。容赦無いと苦笑する黒子の横で、でも、と続く。
「赤司はあいつとじいさんのことを知ってた。つまりあいつが何で山を下りてきたのか、その理由は見つけた時点で想像できたはずだ。それでも赤司はあいつを拾った。もしかしたらそれはじいさんに頼まれたからっていう義務感からなのかもしんねぇ。けど背後関係を又聞きしただけの俺等より事実を知ってる分、赤司の方が事態を丸く収める方法を考えつく可能性は高い。それに賭けるしかねぇよ」
当事者ではない。だから口を出せないというのはもどかしい。それでも青峰達は見守る他なかった。事情を知らぬ自分達では、最善は導き出せないから。
「ただ、赤ちんだからねー…」
と、神妙な空気で続いていた無言を断ち切って紫原が困ったような顔で言う。啖呵を切った青峰も、そこは気がかりなのか渋い顔をした。
「そう、なんですよね…赤司君と言うのが…」
「ネックなのだよ」
「赤司っちは、ちょっと論理的すぎるというか、直線的と言うか…ね」
「…いい意味で馬鹿っつーか、奇想天外っつーか…こういう気持ちを大事にしないといけねぇ時に、もっとも向かねぇ奴なんだよなぁ」
口々に溜息が溢れる。その中で、「でも、まぁ」と黒子が小さく微笑んだ。
「躓いた時は、僕等が手を差し伸べればいいじゃないですか」
それができる位置に、いるんだもの。
桜吹雪が空の蒼に映える。花弁が地面に落ちようとするのを拒むように、風が何度も吹いて薄紅を空へと還す。そこから零れた桜が
『…季節が、巡りました』
それは帝光中学に入学した日、その足で墓前に向かった。報告するほどのことではないし、足が向いたのも気紛れのようなものだった。…いや、どうだろう。祖父が亡くなって数年、今でもその影を求めるように親族は自分を見ることを止めようとしない。少し、疲れていた。
『息災ですか。住みよい所ですか。こちらは、』
息を止め、息を吐く。それは一瞬の躊躇いで、どうにも不自然だったけれど。
『…桜が、綺麗です』
無理矢理、そう締め括る。他になんと言えばいいのか。思うことは多々ある。恨み辛みに似た言葉が、沢山、ある。
だが言うことは自分のちっぽけなプライドが許さなかった。桜の花弁にさえ劣るほどの自尊心。その全てで自分は立っていた。他の誰でもない自分という仮面を、精一杯被りながら。
『狐はまだ現れません。聞けば、一度山火事があったようです。もしかしたらそれで――…』
つらつらと述べる。感情はない。表情もない。報告書を読み上げるように、知った全てを吐き出して。
『…会えないかもしれない』
最後、ぽつりとそう零す。頼まれた。託された。それを遂行できないと、言うのは酷く苦痛で無念だった。宥めるように桜が降り続ける。それを追って見上げた空は遠く、ただ蒼い。
既に黒に塗り替えられた空を窓から見て、今日の蒼い空を思い出す。季節は違うが、あの日もあんな晴れ渡った空だったなと思い返しながら、赤司は視線をコウキへと移す。
緊張の連続だったせいか、コウキは晩になって熱を上げ、冷却シートを額に首筋にと貼ってついさっき寝かしつけたところだった。荒かった呼吸は落ち着いて、後はただ熱が下がっていくだけだろう。思えば、瞳がほんの少し笑ったように薄らいだ。
「…まさか、本当に出会うとはね」
人の形を模した狐の子。祖父の作り話だとも、まして自分を揶揄うための嘘だとも思ったことはない。だが祖父の家とは少し離れた場所に住んでいるし、それこそ死んでいるのだろうとさえ思っていたから、会うことはないだろうと思い込んでいた。
だから今朝子狐を見つけた瞬間の驚きは筆舌に尽くし難い。いた。脳裏に浮かんだのは、ただその一言だった。
「人生、何が起こるか分からないな」
柔らかく零して、また窓の外に目を遣る。月の白々とした眩しさを見て、それをそのまま瞼の裏に写し取るように目を閉じる。
するといつの間にか白に様々な色が混じりはじめた。青に黄に緑に紫、そして黒と、誰かを彷彿させる色。気づけば近しくなっていた。仲間であり友でもあるような、明確な差別化なんか図れない、とても微妙で絶妙な立ち位置にいる彼等。結局自分は一人でいることを寂しいとは思えなかったけれど、彼等がいなくては詰まらないとは思うようになった。
それは祖父が望んだ変化だっただろうか。祖父が伝えたかった答えだろうか。…そうであればいい。
考えこむ赤司は、ふと何かに呼ばれた気がして目を開けた。今自分を呼ぶとしたらあの子狐しかいないとベッドへと向かう。
果たして、コウキは薄っすらと目を開けていた。今日だけで何度も見たヘーゼルの瞳がまた潤んでいる。熱のせいか、と汗で肌に張り付いた前髪を払ってやりながら額に触れる。だが思うほどの熱は感じられず、順調に下がっているようだった。
「せ、じゅぅろ…?」
「あぁ、どうした」
「……なん、も、ない…」
と言う割に、涙が零れ落ちていく。これで何もないわけがない。
「辛いか」
「…ない」
「水が欲しいのか」
「…ちが…」
「……汗が気持ち悪い?」
「そ、じゃ、…なく、て…」
じゃあなんだ。思わず声が出そうになって、耐える。コウキはほんの少しバツの悪い顔を見せて、ぱちりと瞬く。林檎の頬の上を、つるりと涙が流れ星のように落ちていく。
「…姿が、見えなかった、から…どこ、いったのかな、って…」
ごめん、それだけ、と取り繕うように言う。瞬けば、また、涙。そこまで言われれば、さすがに気づく。
「なんだ、寂しいのか」
往生際悪く子狐は違うと弱く頭を振るけれど、その間にも涙は流れ続ける。熱で感情が制御できないのだろう。意地を張らなくてもいいのにと思いながら、熱か指摘されたことへの恥ずかしさかで赤みの増した頬に触れて涙を拭う。
熱を出すと人恋しくなると聞いたことがあるが、それはどうやら人間に限ったことではないらしい。それとも置いていかれたとでも思ったのだろうか。しかし残念ながらここは赤司の部屋で、くれてやるつもりは毛頭ない。置いていくとしたら、また別の場所だ。
「兎に角寝ろ。熱を下げるにはそれが一番だ」
手元にあった濡れタオルで汗を拭き取り、効果の切れた冷却シートを取り替えてそう促す。コウキは一度頷いたものの、目を閉じようとしない。再度どうしたと問えば。
「せぇじゅうろは、寝ない、の…?」
自分がベッドを占領しているから、という意識はないのだろう。ただただ不思議そうに言われた内容に頭が痛くなる。
「…後で客間から布団を持ってくる。病人を一人にしておくのは薄情だしな」
その言葉でやっと気づいたらしいコウキは、申し訳なさそうな顔をした。
「ごめ…」
「悪いと思うなら早く治せ」
言葉を奪って、ずり落ちた布団を掛けてやる。
「それで帳消しだ」
言いながら立ち上がり、タオルを取り替えてくると部屋を出て扉が閉まる直前。
「やさしい、ね…」
そんな声を、聞いた気がした。振り返るより先にパタンと無機質に閉じる扉。聞き違いだろうか。それとも本当に…。
赤司はそう思って、思う自分を
「…俺は優しくなんかない」
世話をしながら、無表情で、ずっと山に還す方法ばかりを考えていた人間を、優しいとは言わない。