第〇話 夜会話

[ Nighty-Night ]


 静かな夜に、目を覚ます。
 目覚めたことに相当驚きながら一つ寝返りを打ち、上半身を起こして傍らの窓から外を見た。まだ(あした)は遠い。それを確証付けるために躰を捻って頭上の時計を見る。ベッドに入ってから、ほんの一時間しか経っていない。時計の針は、丁度、午前零時を指していた。
(なのになんで、起きたんだろう…。普段なら、朝までに自力で起きるなんて、有り得ないのに…)
 疑問に思いながら目を擦り、なんとなしに辺りを見渡せば、少し開いたドアの向こうから白い光が漏れていた。あぁ帰ってきたのかと、寝ぼけ眼のままふわぁと出てくる欠伸を噛み殺し、ベッドからそろそろと降りる。足に脱ぎっぱなしの服が絡み付いたが、気にせず蹴って脇に寄せた。
 ドアの所に辿り着いて、薄らと静かに開けていく。目を光に慣らすように、ゆっくりと。刺激の強い光を、ぱちぱちと瞬きを繰り返すことで殺していって、漸く慣れた頃にドアを全開にして居間U(リビング)に出た。
 その音を聞き付けて、台所(キッチン)にいたらしいが、居間U(リビング)に姿を現した。
「おや、珍しい。自分で起きたのか」
 目を奪う鮮やかな赤髪が、白熱灯(フィラメント)の下、一層あかあかと見えて、寝起きの目に眩しい。
「…ん。なんでか、分かんないけど…」
 応えた後に、ふぁ…、また欠伸が出る。それを見て彼は柔らかく笑んだ。伴って、紅緋(あか)()が優しく細められる。
「ふふ。おねむさんだね。じゃあ今日は行かないかい?」
 まるで子どもに問いかけるような口調にむっとしたが、それよりその内容が気になった。
(行く? こんな時間に、どこへ…)
 眠気に霞んだ意識をなんとか払って、その答えを頭の中から手繰り寄せる。
(この時間…、午前零時…、行かなくちゃ、いけない…――あぁ)
 思い出す。思い至る。彼が言う意味、その理由(わけ)も。
「そっか…。今日は、金曜日か…」
 のっそり呟けば、忘れてたの、と呆れた声で返された。
「まったく、君ほど無自覚なのも珍しいよ。普通はもっと貪欲に求めるものだけどね」
 彼は滑るような足運びで近付いてくると、寝癖が付いてる、と、腕を上げて髪にふわりと触れてきた。さほど長くない髪は、(くしけず)るほどもなく、彼の細い指を擦り抜ける。されるがまま、時折徒に触れる体温に微睡む。それを、彼も知るだろうに。
「まぁ、君は忘れているから、仕方ないのかな」
 素知らぬふりで、意地悪に、笑みを深めてそんなことを言う。
「……寝たい…」
 間近に迫った両目(レッド・アイズ)から逃げるように、視線を逸らして小さく訴える。彼の話題からも逃げるようなそれに、けれど彼が気にした風はなく、そう、とだけ頷いて。
「僕も、今日はあまり欲しいとは思わない。それに久々に帰ってきたんだ、君といる時間を大切にするよ」
 さぁ、と促されるように背を押されて、また部屋に戻る。
 敢えて電気は点けず、ドアの隙間から忍び込んだ居間(リビング)の光だけで部屋の様子を見通した彼の、僕が数日留守にするだけで君は駄目だな、という小言を背に受けながら、ベッドにもふりと横たわる。
 辛うじて残っていた温もりが、容易に薄まりかけていた眠気を誘い出した。うと、と抗うことなく睡魔に身を委ねようとした時、当然のようにベッドに入ってくる彼の影(シルエット)を捉えて、理性が遠退きかけていた意識を引き留める。クイーンサイズベッドだから窮屈ではないが、十代半ばの体格をした男二人が同じベッドに横たわることには、中々に羞恥と違和感が付き纏う。故に牽制するようにじとっと見ても、彼はただ微笑むだけ。何故と問うても口巧者な彼は質問を煙に巻いてしまうし、どうせ何を言っても聞かないことは経験済みで、だから何も言わないことにした。
 たった一つ、諦めの溜息を零して。
「…お帰り、征」
 彼の温もりに擦り寄る。そうすれば。
「ただいま、光樹」
 いつものように、彼は一つ、額にとても優しいキスをした。


 少しもすれば、光樹の顔から躰から力が抜けていき、とうとう無防備な寝顔を覗かせた。その安らいだ表情に、征は穏やかに、ともすればほっとしたように、微笑んだ。嘗て他の存在に哀しいほど敏感であったはずの少年(かれ)が安らかに眠っている事実には、征が顔を綻せるだけの価値がある。弟を見守る兄のように、征はずっと光樹を気にかけていた。出会った頃の彼が、あまりにも凄惨な状態にあったからだ。
(服は破れ、体中を血で汚し、そして記憶を失くしていた…)
 衰弱しきっていた光樹が、それでも持ち直したのは、偏にその躰に流れる血のお陰。それは、征と同じものだった。
「…誰だろうね」
 夢に抱かれた光樹に、征はひそりと問いかける。短い榛色(はしばみ)の髪を撫で、閉じられた淡褐色(ヘーゼル)の双眸を想う。まだ未完成な、紛うことなき少年の痩躯を抱き締めながら。
「―――君を、吸血鬼にした奴は」
 遣る瀬ない思いを胸に、征はそう、呟いた。


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