未恋一双
[ 何も知らず、君に恋した訳じゃない。 ]急遽必要になった薬剤をもらおうと天国に足を向けた。相も変わらず清々しいほど春だけを象った世界は、色鮮やかで、故にどこか現実味が薄く、あの常春頭を手本にしたんじゃなかろうかとふと思って些かうんざりした。
その上向かう先の家の前で身を寄せ合っている男女の姿を見れば、疎ましさは倍増どころの話ではない。こちらは忙しいというよりは次々襲ってくるという表現がぴったりするほどの仕事の合間を縫って
その気配を察して女の方が慌てふためいて帰っていった。残ったのは常春頭の神獣と、未だ殺気が駄々漏れの自分だけ。神獣が呆れた顔でこちらを見た。
「…何、いきなり来てそんな不機嫌な顔してんの?」
「薬ください」
「餓鬼のお使いか。しかも僕の質問は無視だし。…で、何が欲しいの」
「金魚草の栄養剤です。近々コンテストが行われるのに金魚草だけが罹る病気が蔓延してましてね、市販のものではどうも効果が薄いようです。これではコンテストが開催できません。審査員として大変憂慮すべき事態ですし一般の方からも嘆願書が寄せられていて…」
「分かった分かった。金魚草の栄養剤ね、ちょっと待ってて」
とひらひらと手を振って家の中に入っていく神獣。その後を追っていけば、不意にいつもは隠れている首筋が服が乱れている所為でしっかと見えた。一つ二つの紅い痣。ささくれだっていた機嫌の所為か、思わず突っかかるように窘めていた。
「神獣ともあろう存在ものがこうも女性関係にしまりがないとは、ほとほと呆れますよ。せめて外に出る時くらい、しゃんとしなさい。例え貴方の私有地の中だとしても、です」
まぁ今更ですけどね、と言うだけ言って毒づき、引き戸に身を寄りかからせる。既に手当たり次第に薬棚を開け閉めしていた神獣は、不意に何を思ったか、一瞬こちらをきょとんと見ると、酷く楽しげに笑い出した。
「お前、馬鹿だな」
剰え、そんなことを言う。
「貴方に馬鹿と言われる筋合いはありませんね。撤回なさい」
貶される覚えはないと厳しく言うも、神獣は尚も笑って。
「馬鹿だよ。僕が遊んでいられるのは、お前が言うように、僕がまさに神獣という存在であるからだ。命に限りがないから日々の生活に頓着する必要はないし、それに子種としての機能もないからね、安心して女の子と楽しめるってワケ。男でありながら人の男とは、もちろんお前とも、僕はどれほども異なるんだよ?」
そんなの知っているだろうに。それこそ今更だろうに―――そう言う彼は。
「僕は誰かと
そんな寂しいことを、笑って言う。…だから自分はこの神獣が嫌いなのだ。寂しいことを寂しいと言わず、哀しいことも哀しいと言わない。自分が気づいていないだけで感じていない訳ではないのに、誰も彼も、この神獣はそういう存在なのだろうと簡単に片付ける。そうして彼の寂しさ、哀しさは、置き去りにされたままになる。彼と、一緒に。
「…難儀なものですね」
だからそう言うのに、全てを知るはずの神獣は微かもこちらの憂慮など気づかないまま、そうでもないさ、と微笑ったまま言った。眉根を寄せる。また寂しいことを言うだろうか。そう、思っていたら。
「だからこそ、こんな僕でも夢をみるんだ」
思いがけないことを言う。なんですか、それ、と些か興味を引かれて問うと、更に驚く言葉が返ってきた。
「人になったら、たった一度の人生だ、たった一人を好きになる」
たった一人を愛し、慈しんで、添い遂げる…そんな夢をみるんだと。
「……そんなこと、貴方にできるんですか?」
彼らしくない夢の内容に、語る表情の柔らかさに、絶望に似た何かが心を
「だから言ったろ? 夢だって」
あっけらかんと返される。ただそれだけのことなんだと、声の軽さが言外に伝えてきて面食らう。眉間に皺を寄せれば、神獣は
「僕にとって夢は脳内の幻想、手に入らないもの、実現し得ない事象のことだ。できるかできないかなんて論じたって意味ないよ。僕は僕以外にはなれっこない。絶対に、ね」
…結局、寂しいことを言う。顔で笑いながら心では諦めてる癖に、その意識もなく笑うから。
(貴方自身ではなく、私が哀しいと思ってしまうのですよ)
面倒なことだ。完全であるはずの神獣は要所要所が抜け落ちていて、不完全である故に自分はその抜け落ちている部分こそが大切だと知るから、変にこの神獣に感情移入をしてしまう。…面倒な、ことだ。
(肩入れした所で、例え言葉で諭しても、この人が変わる訳でもないのに)
寂しいと思う。哀しいと思う。そんな彼も。こんな自分も。
「…ねぇ、白澤さん」
「何?」
「私、やっぱり貴方が嫌いですよ」
万感の想いを込めて言う。
「……何言ってんの」
神獣は心底不思議そうな顔で言う。そうして。
「そんなの、今更じゃないか」
笑って、笑って。
(…寂しい、ことを。)
20121203
〈未恋一双(みれん-いっそう):未だ恋せず、一組の番い。造語。〉