無限回廊
[ 蜘蛛の巣に囚われた蝶のように。 ]今日一日生き延びれば一人分。
明日も生き抜けば、もう一人分。
そうやって、一日一日、誰かを守って生きている。
自分の為でなく、誰かの為に。
そうして生きているあいつは、
「馬鹿野郎…」
本当の意味で、馬鹿なのだろうと思う。
「死にかけの躰で、命かけて誰かを守ってんじゃねぇよ」
そんな奴に助けられたってこっちが寿命縮むだけだっての。
悪態をついて、根元に座り込んで背を預けていた木に、頭もついでに預けて月を見る。
少し欠けたそれは、雲に隠されながらも凛と輝いて夜空を彩る。
綺麗なもんだな、と久々にゆっくりと見た夜の太陽を讃美して、そのままずっと見続けながら逸らさずに。
そろり、と手を動かす。
目的地は地面に放り出した足の上、膝に感じる重み。
それは人の頭で、当然その下に続く胴体は地面に横たわる。
躰の下には血溜まり。
致死量の。
それを知りながら、手探りで浮かした手が仰向けにした躰の表面を這って、ある所で止まる。
ベストを脱がせたそこは服越しですら肌の冷たさを直接伝えるよう。
流し過ぎた血が、一緒に体温も連れ去ったのだろう。
凍えるように、冷たい。
あぁそれでも。
「…本当に、馬鹿」
トクトクと、弱く脆く、こちらの手を押し返す。
トクトクトク。
静かに無音で、生きていると叫ぶ
「ばかかし」
そんな所で主張するならとっとと起きろ。
起きてお前の口で云え。
それまで待っててやるから。
夜が明けるまで、夜が明けても。
お前の瞳が、開くまで。
(…あぁまったく)
月が、綺麗。
呪縛
はたけカカシの人物像は、一貫性を持たない。
見えない素顔に色男だとか醜男だとか云われ、その実力は認められるものの僻みが多いものだから、必ず説明に「だが」とか「でも」とか「しかし」とか付いて、結局何か、人間性とか云ったものが打ち消される。
日常の態度は遅刻の常習犯だったり成人向け小説を昼中で堂々と読む歩く18禁みたいに捕らえられ、きっとPTAがあれば学校の電話は鳴りっ放し、非難轟々だったろう。
それでもそうなりゃ素顔晒してはい終わり、てな風になるだろうけれど(PTAって処はほら、オバサマ達が多いから)。
私生活は全くの謎。
何処に住んでいるのかも気の知れた上忍仲間数人と俺しか知らないし、神出鬼没な所為で決定事項ですら予定で未定。
暗部としての仕事の時でさえそうだから、カカシの部下達は泣いている。
獣面の横から伝う涙の、なんと哀しい事。
項垂れる奴等に同情した事数知れず、思わず捜すのを手伝ってやろうかとさえ云ってやりたくなる。
いなければ探せば良い、見付からなければ呼び出せば良い―――なんてもんじゃないのだ、カカシの場合。
例えば暗部内で隠れん坊をした時、もしあいつ一人が隠れ役で、それ以外、俺含めて鬼になったとしても、見付けられるとは思えない。
隠れるという次元ではなく、それはもう消えると云った方が正しい。
綺麗に跡形もなく、カカシは痕跡どころか存在を消してしまう。
なのにへらっと笑ってまた現れるのだ。
集合時間に少し遅れて、いつだってふらりと風の様に。
隊長頼みますよほんと俺等の寿命縮めないでくださいお願いですから、と懇願する部下の噎び泣く姿に、ごめんねと、それでも笑って返すのだ。
分かってねぇ、とみんな一様に思うのだが、それ以上云う事はない。
あぁまた繰り返されるんだろうなと分かっているのに、強くは云えないのだ。
人望と云うならそうだろう。
はたけカカシの人物像に一貫性を持たせない原因はそこにもある。
そしてそれが最も顕著に、はたけカカシを歪に見せる。
強いのだ、半端無く。
チャクラの量や力で云えば俺が圧倒する。
けれど違う、そういう話ではなく、そういう話すら含んでも。
カカシは誰より強いのだ。
なのに、脆い。
弱いのではない。
ただひたすらに、脆かった。
嵐の中、雷鳴が響いても聳える大樹を思わせながら。
不意に吹いた小さな春の息吹にでさえ、葉を散らし朽ちてしまいそうな。
そんな脆さも持ち合わせる。
突然の失踪然り、詫びる笑顔然り、そして任務中の自殺行為、然り。
(あぁ例えば、そう)
今日の、ような。
『―――ぅあっ!』
小さな悲鳴が、今日のSランクの任務中、忍術合戦の合間、暗器の摩擦音に混じって聞こえた。
それは九尾を腹に宿した俺の、動物並みに特化した感覚だからこそ拾えたと云って良い、雑音に消されかけた音。
それが敵味方誰のものか、なんて。
ましてやそれが聞こえるなんて。
だから普通じゃあ、有り得ないのに。
『……ッ』
俺の傍にいたカカシが、突如飛んだ。
足場を蹴った跳躍でなく、それは瞬身で。
『――…馬鹿ッ』
気づいて、腕を伸ばして、それが、空を切って。
呪うように罵った。
己の鈍さを。
カカシの愚かさを。
瞬身は、予め何処に行きたいかを明確にイメージしなければ使用できない忍術。
知りすぎている里内ではいざ知らず、見知らぬ地での戦いの最中、しかも目印もないまま使用できる技ではない。
それは酷く危険だった。
下手をすれば全く知らない場所へ行ってしまう事もある。
帰って来られないまま、行方不明になった者さえいる。
なのにカカシは躊躇いなく飛んだ。
部下を助ける為―――殺し合いの最中、迷わず、ただその為に。
そのカカシの分別のなさを憎みながら、己の前に立ち塞がる敵を斬り殺し、唇を咬んでカカシが跳んだであろう先を睨む。
果たして。
『――――』
カカシは、いた。
悲鳴を上げた部下のもとへと正確に跳び、守るように抱き抱えて。
そして直後振り下ろされた一撃。
カカシの到着と敵の攻撃は紙一重で。
避けきれず、カカシが腹を負傷した。
代わりに味方は助かって、敵は殺された。
どちらともカカシによって。
酷く間抜けな話だと、外部の者が聞けば哂うだろう。
隊長が守るべきは部下に非ず里の利益であると。
それは酷く正しい。
諸手を上げて賛成だ。
忍びとはきっと、そういうものを云うのだろうから。
でもそれは多分、はたけカカシという人物ではないのだと、誰が云うでもなくカカシを知る者なら思うだろう。
深い深い傷を負い、部下を蒼褪めさせ、俺を怒らせ、それでも尚。
立ち塞がる敵を、逃げる敵を屠るカカシが、俺達の中で一致したはたけカカシという男なのだ。
(例えそうされる度に追い切れない痛みが手を摺り抜けて行く感覚に絶望しても)
(俺達はカカシを止められない)
(何時も今日だって何時までも)
(そんなカカシに言葉を亡くしながら)
(そうして何度、溜息を吐き、歯を食い縛ってきただろう)
(何度、そうしていくだろう)
馬鹿野郎、と敵を全て殺し終え、味方全員が生き残った事に笑って安堵した後。
崩折れ気絶したカカシを抱き留めて、俺は憎々しげに呟いた。
『怒らないでね』
怒らいでか。
吐き捨てるように、いつかのカカシに俺は云った。
余計な事はするな、馬鹿な事はするな、里の為にならない事は慎め。
お前が死ねば、里に損益が出る事くらい頭の芯に叩き込んどけ、ばかかし。
怒りながら暗部の部屋に続く廊下をずんずんとカカシの前に立って進んでいれば、不意にカカシが立ち止まった気配。
無言の拒絶に感じて振り向けば、分かってるんだよと、それは穏やかに優しく返された。
分かってんなら…、と怒鳴りかけた俺を、カカシはごめんねと遮って。
それでもどうか、怒らないでねと。
繰り返し、云ったのだ。
『俺は守れなかったから、その代わりに里の仲間を守るんだよ』
完璧な自己満足だけどと、あははとにこやかに笑ったカカシ。
ごめんね。
ごめんね。
ごめーんね。
『でも約束だから。最後の最後の、約束だから』
だからどうか、許してね。
今までに何度も繰り返されたそれ。
聞き飽きた。
もう良い。
聞きたく、ない。
それは何度も思う事で、だからそれに対して怒る事も詰る事も拒む事も出来たけれど。
しちゃいけない気がして、何も何も、云えなくて。
『………次は、ないからな』
そんな事を云って、云いながら。
次が永遠に繰り返される事なんて。
俺はずっと前から、分かってたのに。
(笑うな笑うな笑うな)
(せめて哀しげに笑う可愛げがありゃ良いのに)
(それだったらまだ、俺がこんな気持ちになる事は、ないのに)
(ばかかし)
(―――…ばか)
そんな笑顔で隠す痛みを分けてくれとは、俺が云う訳にはいかなくて。
カカシの云う守れなかった人間が誰かなんて、俺は訊くまでもなく知っていて。
そしてそれが誰の入れ知恵かなんて事は、俺じゃなくても分かる事で。
「…守られるほど、俺たちゃ弱くねぇんだよ」
と、味方を全員帰還させた後、寝入ったカカシを見遣って小さく嫌々呟いた。
あぁそうだ、そうなのだ。
守られるほど、俺達は弱くないのだ。
それをカカシは知っている。
知っていて、守るのだ。
そんな事、俺達は望んじゃいないのに。
そうさせるのは、多分―――そう。
「まったく恨むぜ、クソ親父」
吐き捨てて、苦く笑う。
笑って、一瞬後、錆びた笑みは掻き消えて。
「――――」
痛みを堪えるよう、眉が顰められて瞼がきつく閉じられる。
(胸が裂けそう)
心が、軋んで。
生きろ生きろ生きろ。
カカシ。
届けるつもりはない。
云うつもりはない。
ただ心の中で絶叫する。
静かに、無音で。
生きろ、カカシ。
呼び掛ける。
(誰かの為にではなく、自分の為に)
その道を、もしカカシが選んだとして。
その瞬間、笑って死ぬ事を選んでしまいそうだと知っていても。
そうだとしても、俺は願うよ。
(生きろ生きろ生きてくれ)
誰かを守り続ける生き方でなく。
どうか自分を守ってくれと。
(ずっとずっと祈ってるんだ)
お前が死に続けるのを止める日を。
お前が生き始めるのを決める日を。
(無限に続く、この悪夢から覚める日を)
だから、なぁカカシ。
「…いい加減、眼ぇ覚ませよ」
月が、お前みたいに綺麗なんだ。
20110207