烏兎の誓い

[ 太極図のようね、貴方と私。 ]



 返り討ち、という言葉を知らないまま、俺は多分まるきりその行為にあたる暴力に準じていた。
 力には力を。
 その時ばかりはルールなんて関係ない。
 やられたらやり返す。
 そこに階級なんてものはない。
 ううん。
 だって俺はまだ忍ですらないんだ。
 あぁだったら、ルールを犯していることにはならないのか。
 なぁんだ。
 気にしなくて、良かったのか。
 へらっと笑えば、殴られていた男の腫れた顔が引きつった。
 さっきまで散々垂れ流していた懇願すら、もう云えないみたい。
 可哀想だね、おじさん。
 力がなくて残念だったね。
 俺より下で、ご愁傷さま。
 じゃあね。
 バイバイ。
 次目覚めた時、息していると良いね。
 そう云って、男が最初俺に向かって投げつけてきたクナイを振り上げる。
 振り切らない間に、男は情けない声を上げて意識を失ったよう。
 別に殺す気はなかったが、せめて顔の横に深々と突き刺してやるつもりだったのに。
 空中で止まった腕は、ぴくりとも動かない。
 何故かと云えば、見知らぬ青年に止められていた。
 なにするの。
 と云えば。
 なにしてるの。
 と返される。
 意外にも厳しさの見当たらないのんびりした声でそう云われたから、何だか気が抜けて躰を弛緩させ、無抵抗の意を示す。
 青年はクナイを俺から取り上げて腕を離した。
 対峙すれば、青年の太陽の髪が月に照らされキラキラと輝いていた。
 綺麗だなぁとぼんやりと見上げていたら。
 綺麗だねとふわりと笑って髪をさらりと撫でられた。
 へ、と間抜けな顔して聞き返せば。
 君の髪、お月様の色で綺麗だ。
 と、女を口説くように褒められた。
 顔が良いものだから、女が云われたらイチコロだろうなぁ、と、どきどきしながら思った。
 ありがとうと云うのも変な気がして黙っていたら、青年が目線を俺に合わせる為に腰を屈めて云う。
 あんなことはもうやめなさい。
 君の為にならないよと、青空の瞳を細めて云う。
 分かってるよと俺は返した。
 やり返したところでやられた方はこんな餓鬼にやられたなんて云い触らす訳もないから、俺の所にわざわざやってくる暇人は跡を絶たない。
 やってられない、正直云えば。
 でも他に方法を知らないんだ。
 やられっぱなしなんて嫌なんだ。
 理由はあるんだろうけど、その理由を本当は知っているんだけど、でもやっぱり納得なんてできないから。
 呟けば、青年が一層優しく笑った。
 笑って、云ったのだ。
 じゃあ俺んとこにおいで。
 ………え。
 教えてあげるよ、傷つかない方法を。
 自分を守る方法を、教えてあげるから。
 おいで、と青年は云う。
 心の中で色んな言葉と感情が入り交じったけれど。
 ………。
 その声を、その手を。
 拒めるほど、俺は大人ではなかったのだ。





  唯一無二の





 ある日のほかほかとした午後のこと。
 珍しくも二人ともが任務のない日で、どこかに行こうかという案もあったのだけれど、折角だから家でのんびりしてようよと。
 意外にもインドア派な先生が云うものだから、俺も二つ返事で賛成して。
 結局、縁側で足をぷらぷらさせながら、二人で日向ぼっこと相成った。
 ふわふわするなぁと躰を揺らしながら先生と喋っていた最中。
 隣りに座る先生が、カカシ、とどこか間延びした声で呼び掛けるから、何です?、と首を傾げれば。

「カカシは奇跡を信じてる?」

 突然そんなことを云い出して、俺はきょとんと眼をまぁるくさせた。
 いきなり何を云い出すんだろう。
 今までクナイの構造について論議していたというのに。
 その視線に気付いたのだろう、先生がほんわか嬉しそうに笑って云った。

「なんかね、この時間がね、カカシとのんびり過ごせるこの時が、なんだか奇跡に思えてね」

 その言葉に、あぁ分かる気がしますと呟いた。
 穏やかで、ほわほわしてて、先生がいて、幸せで。
 そうだね、きっと奇跡と云うに相応しい。
 俺達は忍で、そう生きてきて、多分そうして死んでいくのだと考えれば。
 この一瞬この光景は、そう云って差し支えない、非日常なのだろう。
 忍の生き方からすれば、非常識的な光景なのだ。

「だからかな、ちょっと訊いてみたいって思ったんだ」

 と、相変わらずのほほんと笑んだまま、

「カカシは、奇跡を信じてるのかなぁって」

 また繰り返す先生に。

「えぇ、信じてます」

 と云えば、今度は不思議そうにぱちぱちと先生は長い睫毛を瞬かせた。
 意外ですかと問うと、うんと素直に返される。

「だって何だかカカシは嫌に大人びた子どもだから、そういうの嫌うかなって」

 褒めてるんだか貶してるんだか、相変わらず素直で子どもみたいな先生の言葉に、それでも嫌悪感なんて抱かない。
 何故かは知らない。
 多分俺が先生を好きだからだろうけど。
 兎に角そうですねと頷いて。

「確かに昔は信じてもなかったし嫌いでしたよ、そんな不確かなもの」

 じゃあ何故と小首を傾げる先生に、口元だけで小さく笑む。

「俺なんかを構い倒す大人が現れた時から、信じるようになったんです」
「…え?」
「そんな人もいるんだって。俺なんかをちゃんと見て、叱って、笑いかけてくれる人がいるなんて、思ったことなかったですから。常識的に考えて、ね」
「カカシ…」

 途端、眉尻を下げてしまった先生に、俺はくしゃりと笑いかける。
 そんな顔、しないで、先生。
 だって本当のことだもの。
 俺は木の葉の白い牙の息子で、ただそれだけの子で、でもそれだけで、憎まれた。
 暴力を振るわれ、嫌われて、殺されかけて。
 ただ俺には力があったから。
 父さんが遺してくれたものの中で、一番役に立ったもの。
 哀しい理由だけど、でも気付かないふりをしてその力を容赦なく振るった。
 そのお陰で、俺に対する憎しみは、いつか恐怖に変わってた。
 元々一人ぼっちだったけれど、もっともっと独りになった。
 でも哀しいとは思わなかった。
 それで良いと思ってた。
 そうして生きていこうと思ってた。
 そう、思い込もうとしてたのに。

『―――おいで』

 差し出された手を拒めなかったその日から、俺は独りじゃなくなった。
 哀しい理由で力を使わなくて良くなった。
 白い牙の息子であることを、また誇れるようになったのだ。
 それがどれだけ、俺を救ったことだろう。
 俺の心を、満たしただろう。

「だから俺は、その人に感謝してます。その人を信じてます。それがつまり、俺にしたら奇跡を信じるのと、同義なんです」

 分かりました?、と呆然としっぱなしの先生に云えば、こくこくと何度も頷かれた。
 頷かれて、―――抱きつかれた。

「わっ」
「カカシー」
「何です、いきなり」

 先生が俺の肩に顔を埋めるものだから、ふわふわと太陽の髪が俺の耳をさわさわ撫でる。
 くすぐったいなぁ。
 でもやっぱり、綺麗だなぁ。
 と、そんなことを脳天気に思っていれば。

「信じててね」

 きゅ、と抱く力を強められて、くぐもった声で、そう云われた。
 驚いて、目を見開いて。
 咄嗟に何の返事もできなかったけれど、先生は気にした風もなく続けて云った。

 信じてね、信じててね。
 お願いだから、信じてて。
 不確かかもしれない、頼りないかもしれない。
 それでも、そんな、奇跡を。

「信じてたら絶対、裏切らないから。信じられなくなっても、裏切らないから」

 一生懸命紡がれるその言葉に、いつしか俺は笑ってた。
 笑って、そしてそれに応える言葉を。
 俺は一つしか、知らなくて。

「…はい」

 云えば、先生もほろっと笑ったよう。
 見えないけれど、感じて。
 多分それは、本当のことで。

「…でも出来るなら最後まで、信じて」

 一瞬震えたその声は。
 きっと星に願う気持ちに似ている。
 叶わないかもしれないと。
 そう恐れる気持ちに、きっと似て。

(でもね、先生)

 俺はこの言葉しか知らないの。
 先生にあげられる言葉は、これしかないの。
 繰り返しでごめんね。
 でもね、やっぱり。

「はい先生」

 はい、先生…。

 そう返すしか、知らないの。





 信じてます。
 裏切りません。
 誓っても良い。
 だから先生。
 貴方も、俺を信じてください。
 何があっても疑わないでください。
 そう、誓ってください。

 ねぇ、先生。
 奇跡は起きるって、俺、信じてますから。

(貴方を最後まで、信じてますから。)





戻る



 20110225





PAGE TOP

inserted by FC2 system