後日譚:黎明 捌

[ 三椏(ミツマタ):肉親の絆 ]



  …カラカラ カラカラ カラカラ

 あぁ音が。
 耳元で、耳奥で。
 掠れそうに遠くで、忘れられないくらい近くで。
 鳴る、音がある。

 幾千幾万と、地に立つ風車。
 紅く紅いそれを。
 生み出したのが誰かなんて。
 気にしたことがないと云えば、嘘、だけれど。

  カラカラ カラカラ カラカラ…

 忘れられない音。
 忘れさせてくれない音。
 忘れてしまいたくない、音。

 でもさようならと云ったの。
 いつかのあの日。
 道を分かつと、決めた日に。

 あと一つ。
 たった一つ。
 風車を立てて止めようと。
 誓った、あの日に。





 小さな手で視界を奪い、祈るように『生きろ』と云って寝入った子に、カカシは触れて良いのか迷うように手を彷徨わせた後、決意して手を伸ばす。
 そっとそっと髪に触れ、輪郭をなぞり、それでも起きる様子がないのを見て、調子にのって頬を突く。
 ふにりと思いの外柔らかい感触が返ってきて、ぷは、とカカシは吹き出した。
 くくと笑ってあぁそうかと思う。
 なんだかんだ云ってまだこの子は子どもなんだなぁと思って。
 そして泣きたいほどこの子どもが愛しいと、心底、思った。

『カカシは、たったひとりしかいないんだから』

 舌足らずなその言葉。
 それは本当に本当にたまにしか聞けない、サスケの本音(こえ)
 子どものまま大人にならざるを得なかったサスケの、子どもとしての言葉。

『おれたちのためにいきることはあっても』

 ねぇその言葉に。

『おれたちのために、しぬな』

 俺が、どれだけ救われてきたことだろう。

(ありがとうね、ありがとう)

 俺がそう思っていることなんて、知らないでしょう、知らないよね。
 云ってもきっと君は知らない振りをするだろうから、云わないでいるけれど。
 でもずっと思ってるんだ。

(本当に、ありがとう)

 撫でる手からその想いが伝われば良い。
 そう思うように、そっとそっと、夜色の髪を梳いていく。
 静かな時を言祝ぐように、ただそっと。
 優しさとか愛情とか、そう云った柔らかい感情を与えるように。
 そっとそっと、梳いていく。
 自分がそういったことをしてもらった記憶はないがそれでもその優しさに覚えはあって、だからきっと、父子としては短すぎた共同生活を送った父や、師弟としては長すぎた関係を築いた先生に、知らぬ間に与えられたものなのだろう。
 だからこれは、子どもの知らぬ間に、そっと与えてゆくものなのだろう。
 気づかれなくて良い。
 知らないままで良い。
 愛情を与えた痕跡を遺さない。
 それは多分、どこまでも卑怯で脆弱で自分勝手な、親心という名の愛なのだ。
 自分にしても、そして父も先生だって、誰かを愛するのにはあまりにも不器用で臆病だったから。
 愛していることを気づかれるのが怖いから。
 だから覚えているのはただひたすら優しかったということだけ。
 ただ、それだけだった。
 愛されていると確信できないだけの優しさは辛くて、身に痛くて。
 でもだからと云って強請るには、自分は早く大人になりすぎた。
 この子達と同じように。
 もしかしたら、この子達よりも、早く。
 だから。

(本当に、ごめんね)

 愛しているよ、でもね、でも。
 それは云わない。
 俺は卑怯で弱くて自分勝手だから。
 勝手に与えて、知らない振り。
 でも気づいてくれたら良いなぁなんて、淡い夢も見ていたい。
 …ううん、やっぱり、気づかないで。
 愛してるよ、愛してる。
 サスケも、ナルトも、大好きだよ。
 幸せになってほしいから、だから俺は生きるんだよ。
 だから俺は死ぬんだよ。
 でもその時はお前達を理由にはしないから。
 俺は、俺の為に生きて、俺の為に死ぬからね。

「…だいじょーぶ」

 だから泣かないで。
 辛い夢なんて見ないで。
 風車の音が聞こえるのなら、俺が歌を歌うから。
 風車の音が消えないなら、俺が耳を塞ぐから。
 だから夢の中で泣かないで。

「サスケ」

 夜のような優しい声で。
 月のような穏やかな顔で。
 カカシは何度だってそう呟く。
 今までそうしてきたとおり。
 これからだって同じように繰り返す。
 柔らかく頬を撫ぜていた手で子どものそれを探し当て、小指と小指を絡めてそして。
 一瞬の、指切り。
 直ぐ解かれて跡形もないそれは、何度も繰り返された儀式。
 何度もそうしてきたように。
 何度もそうしていくような。
 カカシからの一方的な、誓い。

「…約束を、忘れないで」

 大丈夫。
 俺もナルトも、サスケが大好きだよ。
 例え―――例えいつか。
 離れ離れになったって。
 だから、ねぇ。

「(あいしてる)」

 忘れないで、その約束の、合言葉。





 月が夜に傾く中、高い木の上に人影一つ。
 闇に紛れ込むような暗部服のまま、彼は大樹の静寂さを身に纏ってそこにいた。
 しばらくの間無表情のままぴくりとも動かなかった彼が首を傾げるように遠くを見て笑ったのは、誰かがそこに近づいてくるのに気づいたからだった。
 のんびりとした雰囲気で、ゆったりとした速度で。
 貴方らしい、と彼が心に呟いた時。

「お疲れ、テンゾウ」

 さっきからずっとそこにいた、という自然さで彼の隣に姿を現したカカシに、彼、テンゾウも「お疲れ様です」と返して一層笑みを深めた。

「先程の任務、怪我をなさっているにも関わらずお一人で特攻されるという無茶をなさったので、お体は大丈夫かと思いまして現れた次第です」

 白々しく、そしてどこか刺々しくそう云うテンゾウに、カカシは微かに苦笑した。
 バレてるな、とテンゾウの機嫌の悪さと笑顔の不気味さに思い、それでも白を切るつもりで喋り出す。

「だいじょーぶだよー。いやぁ、優秀な部下を持つと上司は楽ができて良いよ、ほんとほんと」
「嘘おっしゃい。大丈夫じゃないでしょう。身代わりを寄越すほどなんですから」

 駄目だった。

「あは…」

 笑ってなんとか流そうとするけれど、もう笑ってもいないテンゾウを騙すのは無理だと悟って一つ溜息。
 それに元々この後輩で部下のテンゾウという男は、カカシ部隊の中で人一倍カカシのことに敏いのだ。
 暗部時代連れ回していた付けがここに回ってるな、とカカシは思う。
 長く連れ添ったと云えば訊こえは良いけれど、結局任務達成の為、自分達が生きて里に帰る為、互いに誰よりも敵を殺すのが上手かったと云うだけの話だ。
 そうして今も生き残っていると云うだけの、話だ。
 そう云い切ってしまえば哀しいと、カカシもテンゾウも、分かってはいるのだけれど。

「まだ、治ってないのでしょう」

 だから怪我には人一倍、この男は煩い。
 任務の達成と里への生還を同等に尊重するテンゾウは、カカシにもそれを強いる傾向にあった。

『生きて帰らなければ、何の意味もありませんよ』

 淡々と云って自身も重傷であるのに動けなくなったカカシを抱えて里に帰還し、その途端平然とした顔でブッ倒れた強者だ。
 それがいけないという訳でも、鬱陶しいと思っている訳でもない。
 カカシだってテンゾウと気持ちはまったく同じなのだ。
 任務を達成し、そして生きて帰る。
 ただカカシは自分を排除して考える傾向があることを、テンゾウは長年の付き合いで知っていた。
 みんなで生きて帰る―――それはカカシの信念だけれども、その〈みんな〉の中に〈カカシ〉は含まれないことが多い。
 とても、多い。
 過去何度もテンゾウが怒り懇願したその回数を正確に数え上げることが難しいほど、多かった。
 自分の身を大事に、などと戦場では云っていられない。
 それは分かるのだがしかし、カカシの場合は常軌を逸した自己への無関心さがテンゾウには怖かった。
 カカシの能力が誰より優れているのも分かっているし、写輪眼がそれを許しているのも理解できる。
 けれどそれを理由にカカシばかりが余計に怪我をする。
 誰より危険な任に就き、囮役を引き受け、ボロボロになって帰ってくる。
 それでも、云うのだ。
 笑って、痛々しく、充血し切った左目から、涙を零しながらも。

『みんな、大丈夫?』

 その言葉がその姿が、どれだけ、テンゾウ達部下にとって、痛かったことか。

「…貴方は本当に、変わりませんね」

 生きてりゃ良いというものではありませんよと深く溜息を吐くテンゾウに。

「三つ子の魂、百まで、ってね~」
「あんたの場合笑えないから」
「…うん、まぁ、確かに?」

 ピシャリと言われたその言葉にもカカシはのほほんと笑うだけ。
 そしてそのまま、月を見た。
 その横顔を、眩しい訳じゃないのに、そんな筈はないのに、テンゾウは眩しげに目を細めて見る。
 それはカカシが月を見るのと、同じ顔。

「そういや何度も云われたねぇ、『僕達が何故ここにいると思っているんですか!』って」
「云いましたね」
「『あんたに勝手に傷つかれちゃあ守れるものも守れないでしょう!』」
「あぁ」
「『僕達に貴方を守らせてください。お願いですから、僕達に貴方がただ傷つく姿を見てろなんて、そんなひどいこと云わないでください』って、よく怒られたもんだったね」
「…よく覚えてますね」
「覚えてるよ~」

 無駄に記憶力良いんだから、と本心ではあるものの若い頃の自分の言葉が恥ずかしく、そう茶化してしまおうとしたテンゾウを。

「忘れないよ、俺を思って云ってくれた言葉だったから」

 カカシのそんな言葉が、押しとどめて。

「カカシ先輩…」

 呼び止めるようなその声を、けれどカカシは訊かない。

「覚えてるよ、テンゾウ達が云ってくれた言葉なら、全部。知ってたよ、どんな言葉も、根底には俺を心配してくれてるからだって」

 ちゃあんと分かってたからね、これでも、と笑って。
 カカシは、ひどく優しい顔をした。

「だから戦ってこれたよ。どんな任務だって生きて帰ることができた。今も、生きてる。それってね、すごいことなんだよ」

 俺にしたら、すっごいことなんだよ、と。
 独り言のように、繰り返しそう云うから。
 えぇ知ってますよ、とは、云えなくて。
 生きることに無関心であった時期の貴方を誰より知っていると自負していますから、とも、云えなくて。
 テンゾウは心の中で思って、ただ笑った。
 ただ笑って、目を瞑り、カカシの言葉に心を寄せる。

「なぁんにもなかったのにね。あの頃の俺には。ただ戦って、生きて、また戦って、生きて。ただ、それだけで。それを辛いとも哀しいとも思わなかったけれど、でもきっと虚しいとは思ってたのかなぁ。死んじゃいたかったもん、いつも」

 淡々と語られるその言葉が哀しい。
 今はそれが哀しいと分かる。
 けれど嘗ては分からなかった感情で、知らなかった言葉だった。

「それがほんの遊び心で作り始めた隊にいたテンゾウとかが、俺の相手をしてくれるようになって。心配してくれて。どれだけ修行という名の苛めで傷めつけても、全然俺から離れようとしなかったねぇ」

 嬉しかったよ、うん、なんて。
 今ではなんでもないことのように云われるその言葉を、嘗ては切望しても得られなかったのだ。
 そのことに、じわりと瞳が潤むよう。
 テンゾウはそっと双眸を開けて瞬きを繰り返す。
 ふわりと滲んでいた宵空が、繰り返すごとに明瞭になっていく。
 そのことに安心して、またカカシの言葉に耳を澄ませば。

「でもだからこそ、かな、不思議だったよ。こんな俺を直向きに好いてくれたことが不思議だった。離れないことが不思議だった。守ってくれたことが不思議だった。生きろって云ってくれたのが、不思議だった」

 ねぇテンゾウ。

 呼び掛けられて、なんですかと視線で応じる。
 真摯とはかけ離れたどこか遠い瞳が、テンゾウの横をすり抜けて。

「なんで俺は、お前達に見捨てられなかったのかな」

 それほどの価値が、俺にはあったのかな。

 そんな事を真顔で訊くその人を、テンゾウは一瞬呆然と見て、そして生まれた笑いの衝動を腹の中で押し殺した。

(あぁあんたはなんで、そんなことにも気づかないの)

 罵倒ではなく呆れでもなく、愛おしさにさえ似た感情を、テンゾウは持て余しながら心の中に閉まって微笑み、月色の髪を風にさわさわ揺らす目の前の人を見た。
 自分が尊敬し、守りたいと思い、頭を垂れる唯一の人。
 唯一ではいけないのに、唯一だと決めてしまった人。
 哀しいかな。
 自分が彼にとってただ一つの存在になることは、永遠にないけれど。

「似ていたから、でしょう」

 答えをあげることができるのはただ一人だと思ったから、テンゾウは端的にそう云った。
 ぱちぱちと分かっていない風に瞬きをするカカシに馬鹿だなぁなんて、そんなことを思いながら、云った。

「僕達は、出生、能力、その他において何かが異端でした。正当な血統に反して生まれた異分子。僕であれば初代火影の能力を宿し、そして貴方であれば」

 云いながらそっとテンゾウはカカシの隠された左目部分を見た。
 彼の生来のものではない紅玉を、思った。

「…写輪眼を」

 望んだ訳じゃなかった。
 欲しいと強請った訳でもない。
 ただその状況に巡り逢い、そして躰がそれを受け入れただけのこと。
 その所為で何が変わったと云われれば、自分は迷わず運命がと答えるだろう。
 彼はただ、人生がと、笑って云うだろうか。

「僕達と貴方は似ていました。異分子であるという点、存在が禁忌である点が。だから貴方は僕達に手を伸ばしたのでしょうし、だから僕達は貴方の手をとったのでしょう」
「……それだけ?」
「えぇ、それだけのことです。でも貴方が手を伸ばそうと思わなければ、僕達は貴方に手を伸ばそうとは思わなかったでしょう」
「なんで? 同じことじゃない?」

 似ているのなら、カカシが手を伸ばすより前に彼等が手を伸ばすこともありえるのではと問うカカシに、テンゾウはひんやりと首を横に振る。
 ありえませんよと笑って、少しだけ、眼を伏せた。

「僕達は傷つくことを何よりも恐れます。手を伸ばしては振り払われる絶望を、何度も味わいましたから」

 だからありえないんです、そんなこと。
 だからありえたんです、そんなことが。

「貴方は僕等を見てくれた。ただそれだけで、貴方に付いて行く理由は十分でした」

 それはきっと、雛が初めて見た存在を親だと思い込む、あれに似ている。

「自我や自己と云うのは、やはり他者に自分を写した時、他者を介して自分を認められた時に、初めて確立されるものだと思います」

 だから初めて自分を写してくれた存在を、親だと思い込むのだろう。

「だから自分を自分として見てくれる存在を、大事だと、大切だと、思うのでしょう」

 そんなテンゾウの言葉を、カカシはひどく穏やかに訊き。

「…分かる気がする」

 緩やかに、笑って笑って、頷いた。

「分かる気がするよ、てんぞ」

 と。
 ふんわりと微笑んで、遠くを見るようにそう云うから。
 えぇそうでしょうね、と。
 テンゾウも同じく微笑んだ。

(えぇそうでしょう)

 貴方も同じでしたから。
 僕等と同じ、雛でしたから。

(貴方の場合、親鳥は云うまでもなく―――)

 そんな遠いと云うには近すぎる過去を思い返して、回想する。
 優しい記憶、平和な思い出。
 戦争の合間合間にあった、奇跡と呼ぶに相応しい。
 そんな、彼が雛であれた、僅かすぎる時を。





 月が空の向こうに帰ろうという頃、すくっとカカシが木の上で立つ。
 帰るね、と云うカカシに、送りましょうか、と云うテンゾウ。
 けれどやんわりとカカシが首を振る。

「気持ちは嬉しいけどね、ほら、子ども達んとこに帰んなきゃいけないから」
「あぁ、なるほど。しかし、あまりあの子にカカシ先輩の真似させるの、良くないですよ。あまりに殺伐としてて嘗ての貴方にそっくりだったんで、他の奴等が萎縮しちゃって。僕が『気分が悪いのか』って訊いてそのままお茶を濁しましたけど」
「……配慮ありがとう。でも、内緒だよ」
「分かってます。気づいてるの僕だけですし」

 しーっ、と唇の前に人差し指を翳して子どもみたくそう云うカカシに、テンゾウもさすがに呆れ顔。
 しかしその顔を引っ込めて、不意に真剣な顔になる。

「…それにあの子、ちょっと不安定です」
「………」
「先輩も気づいてるんですね」

 確信を含んだテンゾウの言葉に、カカシは困ったように笑うだけ。
 それに答えはせず、ただ。

「…痛みだけの絆でも、ないよりはマシかなぁ、なんて、思ったから」

 そうカカシが云った時、伏せられた瞳を一瞬だけ過ぎった昏い翳。
 哀しみとか、後悔とか、そういったもの。
 それはカカシが抱え込んで滅多に見せない感情で、そんなものが垣間見えたことにテンゾウが何かを云おうとした瞬間。

「ま、俺も気をつけるよ。だから誰にも言わないでね~」

 パッと表情を変えてしまったカカシに、云い募っても無駄だとテンゾウは悟り、今までで一番深い溜息を零して見なかった振りを決め込んだ。

「…大体誰が信じるって云うんです。まだ下忍の子どもが暗部だと」
「有り得ない話じゃないのにね、何でかみんなあまり考えないよね」
「まぁ、今はそういう時代ではないから、でしょう」

 戦時下であれば供給できる以上の需要があったし、戦術的効果もあった。
 しかし今では長期的に育成して優秀な忍を作ることが求められる時代だ。
 カカシやテンゾウが暗部として過ごした時代とは、また違う。

「時代、ねぇ」

 自嘲に似た笑みがカカシの口元に煌めいて、零された言葉が苦く響いた。

「時代が俺達を生んだ訳じゃあ、ないんだけどなぁ」

 ただ自分がそう生まれてしまった。
 それだけだ。
 それだけで、誇れた時代が昔はあった。
 誇れない時代が、今は、ある。

「……それでも、あの子達は幸せですよ」
「そう?」
「貴方に、出会えたでしょう?」

 返された言葉にカカシは数瞬瞠目し、くしゃりと笑って、そうだと良いけど、と呟いた。

「でもね、カカシ先輩」
「んー?」
「貴方は気づくべきですよ」
「へ?」

 何に、とカカシが問おうとした、その時。

「―――ッ!!」

 とある方角から鋭い殺気を受け取って、カカシの背を冷や汗が伝った。
 知った気配だということが、その冷たさに拍車をかける。
 しかも。

「嘘、でしょぉ…?」

 殺気は二つ。
 一つはサスケ。
 そして、もう一つは。

(ナル、ト…?)

 サァ、と血の引く音を、訊いた気がした。

(うっそ訊いてないし今日帰ってくるなんて!!)
(うわーうわーなんでぇ!?)
(しかもっしかもなんでこんな)

 怒ってるの―――二人とも。

 殺気と怒気が絶妙に混じりあった気配に、それはそれは恐ろしい予感しかしない。
 それでも。

(こ、こうしちゃいられないっ!)

 素直に帰らなければ地獄を見るのを、カカシは経験上、知っていたから。

「ちょ、ごめッ、俺帰る!!」
「は」
「死にたくないから、まだ!!! じゃあねっ!!!!」

 云い放って直後、瞬身で消えたカカシの行く先と焦りの原因を考えるまでもなく導き出したテンゾウは、太い枝に身を投げて深呼吸。
 そして、―――笑った。
 大きく息を吸い、腹を抱えて笑った。
 声には出さなかったけれど、忍としてそんな間抜けな真似はしなかったけれど。
 笑いまくったら涙が出て、月を見上げたら泣けてきた。
 なんでか、どうしても。
 泣けてしょうがなくて。
 そんな自分を認めるのも、嫌で。
 全部全部カカシあの人が面白かったからだと理由をつけて。

「あーあ、ははっ、ほんと、馬鹿、だなぁ」

 無理矢理云えば、笑いで震える息に言葉も震える。
 涙で滲む月。

(あぁそれでも)

 綺麗な月がやっぱり好きだと、思った。





『なんで俺は、お前達に見捨てられなかったのかな』

 そんな馬鹿なこと、訊かないでくださいよ。
 知っているでしょう、分かっているでしょう。
 貴方も、見捨てなかったでしょう?
 だから、そういうことなんです。
 それと同じ事なんです。
 だから。

『それほどの価値が、俺にはあったのかな』

 そんな哀しいこと、訊かないでくださいよ。

「だからずっと、僕達は貴方の傍にいたでしょうが」

 そんな哀しいこと、云わせないでくださいよ。

(分かってますよ、それが貴方が貴方を顧みなかった時期が長すぎた所為だって)

 だからね、いいえだからこそ、カカシ先輩。
 貴方は気づくべきなんです。
 貴方が雛だったように。
 僕が雛だったように。
 次はあの子達が、雛であると云うこと。
 貴方が守るべき、貴方の雛であると云うことを。

(僕達ではなれなかった、手にいれられなかったもの)

「…羨ましい、なぁ」

 心底、思いますよ。

(貴方は家族を、手に入れたんですね。)

 おめでとうございます。
 だからどうか、大事になさってください。
 あの子達を。
 そしてどうか。
 貴方を。





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 20110305





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