後日譚:黎明 柒

[ スノードロップ:まさかのときの友 ]



 カラカラと音がする。
 それは幼少の頃訊いた幾千幾万の、風車の音に似ている。
 紅いそれ。
 墓石の代わりに(そび)え立ち。
 風を受け、風を流し、風を産み。
 死者を見送る、風車の。

 カラカラと音がする。
 ずっと消えぬ音がする。
 忘れ得ぬ、音がする。
 耳奥で燻ったままのそれは。
 静かな絶叫のよう。
 穏やかな、慟哭の。

 カラカラと音がする。
 殺す度、死ぬ度に。
 増えていく、音がする。





 丑三つ時を過ぎた頃。
 火の国の国境付近で、忍同士の殺し合いが始まった。
 けれどその死合い相手を目視できた者が、何人敵勢の中にいただろう。
 気付けば忍術に嵌められ、気付かぬまま幻術に惑わされ。
 その二つを切り抜けた者も、心の臓を背から貫かれ、何も見ぬまま息絶えた。
 誰かが我関せずとその死合いを空から見ていたのなら分かっただろう。
 けれどそんな者はおらず、だから月しか知らないのだ。
 煌々と白銀に輝く満月しか、銀の軌跡を知らぬのだ。
 それでなくとも。
 彼は顔の一切を隠してもいなかったのに。

「……チッ」

 その軌跡を生み出した当人は最後の最後で頬に返り血を浴びたことに、色違いの眼の紅い方を細めて冷ややかに舌打ちをし、乱暴に拭う。
 自分らしくない、と心の内に吐き出した。
 いつもならそんなヘマはしない。
 敵の返り血を浴びるなど、他人が自分に触れるのと同様、またはそれ以上に嫌いだからだ。
 らしくない。
 そう思いながら拭った手を更に暗部服に擦りつけ、なんとか視覚的には消えたように見えるまで痕跡を消し、後は帰ってからにしようと仲間を呼ぶ為に音の出ない特殊な笛を吹く。
 吹いて十を数え上げない内に、彼の周りには、彼とは違い、規定通り仮面を着けた暗部が数人姿を現した。

「―――隊長!」
「ご無事ですか!?」
「あぁ」

 幾人かの案ずる言葉に微かに頷き、後ろに転がる死体を顎で示して頼むとただ云う。
 そうすれば暗部等は従順に諾と傅いて死体の処理に専念し始めた。
 その様子を後方で見るともなしに見やりながら、彼はそろりと息を吐いた。

(…俺らしくない)

 途轍もなく、どうしようもなく、本当に。
 自分らしくは、ないだろう。
 けれど――…。

「処理、完了しました」
「…そうか」

 部下の声を聞き、彼は直ぐ様巡らせていた思考を断ち切る。
 そして。

「では、帰ろう」

 帰ろう帰ろう、早く、木ノ葉に。
 その気持を込めて足に力を入れようとした、その時。

「…あの、隊長」

 一人の暗部が他の暗部を代表するように、そろそろと恐縮するように呼び掛けてきた。
 肩越しに振り返って見れば、彼等の仮面の下に戸惑いや心配といった感情を感じ取り、これは訊いてやらねばなるまいと溜息を吐きたい気持ちを押さえて「何だ?」と問うと。

「ご気分が、優れないので?」

 確かに、優れない。
 優れないが、しかし。
 そういうことではないのだろうと、彼は一層溜息を吐きたい気持ちを押し込めた。

「……この前の怪我が、ちょっとばかし、痛いかも?」

 そうして誤魔化すように云いながら首を傾げれば、ハッと息を呑んで部下達はその意味を了承したようだった。
 こくこくと頷きながら「そうですよねっ」を繰り返す。

「失礼いたしました!」
「お怪我に障るといけません、帰りましょう!」

 だからそう云っただろうが。
 ―――とは云わず。

「悪いねぇ」

 とのんびり云えば、部下達はようやく安堵したよう。
 はい!、と良い子の返事が返ってきて、その事に口布の下で呆れたように苦笑して。
 ようやく彼等は里への帰途に着いたのだった。





 無事里に着き、それじゃあ後はヨロシク、と彼が部下に報告書を押し付ける前に、自分達がやりますから隊長は早く帰って養生してください!、と部下全員に見送られ、彼は夜道を悠々と歩いていた。
 しかしその足が向かうは自宅にあらず、彼と彼の友しか知らない隠れ家だった。
 気配を読み、気配を絶ち。
 誰も彼を見ていないことを確認して、隠れ家へと入る。
 ただいまの声もなく玄関を抜け、廊下を渡り、ある部屋へと踏み込めば。

「あ、お帰り~」

 のほほんとした昼色の声が、夜に似つかわしくなく響いて溶けた。
 窓辺の寝具に上体だけを起こしたカカシが、部屋に入ってきたカカシを見る。

「んー。中々面白いよね、写輪眼のカカシが二人って」

 気持ち悪いね、と。
 悪怯れもせず自分を貶し、兎に角お疲れ様、ともう一人のカカシを労えば。

「―――本当にな」

 一瞬でそのカカシが消え、代わりに黒髪の少年が現れた。

「カカシの振りすんの、すげぇ疲れる…」
「まぁそう云わないでよ、サスケ」

 眉間に皺を寄せカカシに寄っていく子どもをそう呼べば、サスケは少し嫌な顔をした。
 さっきはカカシで今はサスケ。
 その差が嫌だと云うように。

「…今度はナルトに頼むか」
「えー、なんでよ」
「馬鹿の振りはやっぱ馬鹿に任せんのが一番だろ」
「……ナルトが訊いたら、怒るよ、マジで」

 ナルトが昼間の自分を良く思っていないのは、カカシもサスケも良く知るところだ。
 馬鹿な振りをしているのが嫌なのではなく、馬鹿な振りをすることで、〈うずまきナルト〉と関わりを持つ誰かを騙しているのが嫌なのだ。
 それを、ナルトはいつまで経っても認めようとはしないけど。

「まぁ、今日は任務でいないから良いけどね」

 笑ったカカシを、月が照らす。
 キラキラと銀髪が輝いた。
 さっき自分が成り代わっていた時にも銀髪だったが、その銀色とはやはり違うのだろうなと、サスケはそれを見てぼんやりと思う。
 カカシの銀は、カカシだけの色だった。
 他の誰かの銀を見ても、カカシほど綺麗だとは思わない。
 鈍い灰色。
 曇天の色。
 ただそれだけ、それ以上も以下もなく。
 太陽のしたで穏やかに輝き、月のもとで寂しく光るその髪が。
 サスケは、それを誰にも云ったことがなかったけれど、好きだった。

(…あぁ、けれど)

 ナルトあたりは、気づいているかもしれない。
 サスケがナルトのその心に気づいたように。
 ナルトもサスケのその心に気づいただろう。

(似たもの同士だからな)

 どこからでも、どこまでも。
 陰と陽だとサスケとナルトは云われるけれど、きっと本当は違うのだ。
 サスケとナルトは似ていて、心の構造が、多分一番似ているから。
 同じ、と云って差し支えないほど、似てるから。
 だからきっと、サスケとナルトは陰で。

(陽は、こいつの方なのだろう)

 そう感じる思考さえ、多分、同じなのだろう。
 まったく。

「御免被るぜ、ほんと」
「何が?」
「今日みたいなことが、だ」

 本当の気持ちとは裏腹の言葉に挿げ替えカカシに云えば、カカシは申し訳なさそうに眉を下げ、少し頭を傾けた。

「んーでもね、今日は絶対写輪眼が必要だったから」

 そう、今日の任務は元々カカシに与えられたものだった。
 その理由は単純で、写輪眼を必要とする任務だったからだ。
 だがカカシは先日の「英雄作り未遂事件(ナルト命名)」での怪我が完治しておらず、安全に任務を遂行できる躰ではなかった。
 それでも。

『まぁなんとか痛み誤魔化しながらでもできそうな気はするけど』

 と受諾する可能性を孕んだ言葉に、待ったをかけたのがサスケだった。

『ばかかし』
『あー! サスケまでそんな風に俺をけなしてー!』

 ひどいひどいと駄々をこねる餓鬼のようなカカシに、煩いとサスケは一言云い。

『そんなこったろうと思ってな、ナルトから有り難い言葉を預かってる』
『………分かった。なんか嫌な予感がするって分かったから、云わなくて良いよ、行かないから、行かないって云うからもう云わなくて』
『「任務に行くというような意味の言葉を云った瞬間、天ぷらの刑」』
『ギャー!!! もうその言葉だけで俺死にそう!! てか死んで良い!!? も、嫌―――ッ!!!』
『ばかかし』
『その言葉甘んじて受け入れるからお願いナルトには云わないで天ぷらの刑で死んだ初の忍になりたくないよ!!!』

 確かに嫌だな、と共感したものだから、サスケはカカシに『さぁな』と云いながらもナルトに告げ口は止めてやろうとこっそり思った。
 それでも、サスケがカカシに変化した理由にはならないのだ。
 それが何故か、と云えば。

『でもねぇ、サスケ。真剣な話、これ、俺の部下達連れてかなきゃいけないんだよねぇ…』

 実はカカシ、暗部では有名な話なのだけれど、カカシだけの隊を持っていた。
 それはカカシが暗部にいた頃の地位を利用して作った隊で、直々に隊員を選り抜き、育て、まとめていたのだ。
 本当はほんの遊びで始めたようなものだったのだけれど、だんだん楽しくなってきて、のめり込んで、そうしていたらいつの間にやら暗部最強の隊となっていたという、『伝説の零隊』。
 ナルトやサスケがそこにいなかったのはカカシの保護者的観点からの決定だったのだが、当然二人に文句と殺意を覚えられたことは云うまでもない。
 兎に角彼等はカカシのもとに集い、カカシの為に戦い、カカシを守ることに血道をあげた。
 カカシが暗部を去った後も、その帰りをひたすら待ち、技を研ぎ澄ませていると云う。
 …とかなんとか、本当の伝説のように実しやかに語り継がれている。

『今回、あいつら連れていかないと、辛いと思うよ』

 写輪眼だけを必要とするならば、だからサスケが代わりに行くだけで良かったのだが、そういう理由もあってカカシに変化した上で任務をこなさねばならなかったのだ。

「しっかし、伝説の零隊っつっても、ただのカカシファンクラブじゃねぇか」
「は? ナニソレ」

 首を傾げるカカシを無視してサスケは思う。
 力量が凄いのはサポートや術のタイミングなどで嫌というほど分かる。
 分かるのだが、しかし。

(あれだよアレ、熱い視線、ってヤツ)

 しかもこれは多大な確信を持っているのだが。

(あいつら絶対任務よりカカシ(オレ)の安否に比重置いてやがったぞ)

「良いのか悪いのか…って悪いな、絶対的に」
「だから何の話~?」

 気になる気になる気になるー!、と、怪我人のくせにはしゃぐ約三十路の額にサスケは一発デンコピンを食らわせ黙らせて。

「寝ろ」

 と一言、命令した。

「ナルトがいねぇから俺が云う。寝ろ。休め。とっとと治せ。以上」
「…ナルト以上に素っ気無いねぇ」

 そう、しみじみとした言葉の後。
 騒がしさが一変、静かになる。
 ただそれだけで本当の夜が来たようで、闇がぐっと近くなったような気がして。
 サスケはその気配の移り変わりに息を呑む。
 そうして。

「ごめんね」

 月が翳ったような、そんな声をカカシが出すのを訊いたから。

「…別に、良い」

 心が揺さぶられて、どうしようもなくて。
 でもそんな心を知られる訳にはいかなくて。
 隠すしか、なかったから。
 素っ気ないと云われたさっき以上に素っ気なくそう云って。

「でも次はねぇから。今日だけだから。だから」

 もう、休め。

 そう云って、カカシの視界を小さな掌で奪えば。

「……うん」

 とても素直で子どものような。
 そんな返事に、またどうしようもなく心を揺さぶられたから。

「…お前は忘れがちだから、教えといてやる」

 返事はない。
 あっても、訊かない。
 この言葉さえ、本当は訊かないでほしいと思う。

「お前は、カカシは」

 どうしようもなく、〈本当〉に近い、言葉だから。
 だから耳を塞いで訊いていて。

「たったひとりしかいないんだから」

 どうかどうか。

「だからしぬな」

 お願いだから。

「おれたちのためにいきることはあっても」

 知らずにいて。

「おれたちのために、しぬな」

 空に浮かぶ月のように。
 何も知らず、何も訊かないままで、いてほしい。





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 20110226





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