後日譚:黎明 伍

[ カランコエ:あなたを守る ]



 久々に暗部としてSランクの任務入ったから、行ってくるね。
 はぁ? マジかよ。俺訊いてねぇぞ。
 あれ、一緒に行きたいの?
 ばっか違ぇよ。今俺下忍の任務しかないからそろそろストレス発散してぇの。
 あー、なるほど。でも残念。これは俺の任務なの。
 チッ。
 舌打ちしなーいの。まぁ俺が怪我しないように祈っててよ。
 誰がするか、馬鹿。
 ひどいなぁ。ま、いいや。行ってきまーす。
 …ばかかし。





 あぁなんだか、一日も経っていないのに、そのやり取りがひどく昔の出来事のよう。
 セピア色が似合いそうな雰囲気に、カカシはくすりと苦笑した。
 やばいねぇ、と呟く。
 ドクドクと、耳奥で音がする。
 それは心臓の音か。
 流れる血の音か。
 警鐘の、音か。
 分からないけれど。
 満身創痍というのは、きっとこういうことを云うのだろうと。
 霞む目で遠くにある月を見ながら、思った。

(俺もそろそろ、そんな年、なのかなぁ)

 一般の人間が、就職、結婚、退職、老後と、様々な時期を経るように。
 忍にも、時期がある。
 戦忍、上忍師、引退などがそれで、忍ならば自分の能力やチャクラの量、体力的なことを鑑みて立場を変えていくのが普通だ。
 嘗て血に飢えていた頃のカカシであれば戦忍や暗部として生きた。
 最盛期を過ぎたと感じた後は、暗部を辞めて上忍に戻り、そして下忍を受け持つ上忍師になった。
 今後待ち受けるのは引退だが、今の所そうしようとは思っていない。
 まだ大丈夫だと思ってる。
 それが自己の過大評価でないことは、忍としての経験と勘が裏付ける―――と。
 そう思っていたのに。

(鈍ったかなぁ)

 カカシはこつんと頭を太い木の幹に預けて考えた。
 そんな訳はないと思うけど。
 そんな筈はないと思いたいけど。

(でもこの任務は、そうとしか思えないよねぇ)

 変だと、思ってはいたのだ。
 指令書を見た時からチリチリと首の後ろが逆立つ感覚。
 任務内容が変だとか、情報が偽りであるとか、そう云うことではなく。
 ただ漠然と、不安があった。
 けれど明確にその不安を云い当てることができなくて、結局久々の暗部の仕事で緊張しているのかな、程度に思い込んだのだけど。

(当たってたっぽいね)

 嫌な予感ほど当たるとは誰の言い分であったか。
 先生だったかな、オビトかな、ナルトだっけ。
 なんて。
 カカシは思い出してふふと笑う。

(あーでもなぁ)

 まずったなぁと、頭を掻き毟りたい気分。
 でも腕に力が入らなくてできないから、せめてとカカシは目を瞑って祈った。

(…どうか、来ませんように)

 その不安を抱えたまま、ナルトに行ってきますを云ったから。
 ぽろりと本音が零れてしまっていた。
 云わなくて良いことだったのに。
 暗部として任務に行くことも。
 Sランクであることも。
 怪我しないように祈ってほしいなんてことも。

(来ませんように。どうか、悪い予感が当たりませんように)

 当たった直後で願うのも可笑しいけれど。
 カカシは心から願った。
 音がしたのを、訊きながら。
 誰かが来たのを、知りながら。
 それが仕損じた敵だと分かっていながら。
 動かない躰を動かそうともせず。
 目を開けもせず抵抗する意志もなく。

「写輪眼のカカシッ…覚悟!」

 ぼんやりと、憎悪と歓喜の色を滲ませたその声を聞きながら。
 ずっとずっと、祈っていた。

(来ませんように)
(どうかどうか)
(来ないでほしい)
(これは俺の任務だから)
(俺が死ぬことを前提とした、任務だから)

 だから来ないで。
 守ろうとしないで。
 守る役目は俺のものだから。
 君が傷つかないように血を被らないように頑張るのは。
 俺の存在意義だから。

(だからだから)

 と。
 そう、願ったのに。

「―――ガ、ハ…ッ」

 呻き声。
 それはさっきの声と。
 同じ、声。

  ドサッ

 誰かが倒れ伏す音。
 まだじくじくとした痛みを感じるほどには感覚は健在だったから。
 それが自分でないことは分かってて。
 そして。

  ひたり

 頬に宛てがわれた、誰かの手。
 冷えたカカシの躰には、熱を押し付けられたように思えたけれど。
 あぁきっと違うのだ。
 その手は何時も冷えていて、可哀想なほど、冷たいのを。
 カカシは、嫌というほど知っていた。

「……何眼ぇ瞑って黄昏てんだ、カカシ」

 帰るぞ。

 なんでもないことのように、いつものように。
 平淡な声で、冷たい声で。
 そんなことを云うものだから。

「…ひどいなぁ…ナルトは」

 なんとか強ばった口を動かしてそう云って。

(来ないで、ほしかったな)

 やっぱりそっとそう思いながら。
 カカシは意識を手放した。





 パサリ、と綱手の前に放り投げられた指令書は、カカシが持っていたそれだった。
 綱手は一瞬眉を顰めてそれを見て、その後机を挟んで立つ少年を見た。
 暗部服を着ながら顔を隠していないその少年は、四代目の子宝で、三代目の最終兵器。
 五代目が自分にとって些か荷が勝ちすぎる存在と、認めざるをえない忍。
 九尾を宿しているからなのか。
 それとも両親の全てを受け継いだか。
 幼少の経験が、彼の意欲に火を注いだか。
 どれが原因かは知らないが、木ノ葉最強の忍に育った少年を前に、綱手はそれでも胸を張ってい続けた。
 虚勢だと云うことは、綱手自身、知ってはいたけれど。

「…この任務」

 その一言で、キンと空気が凍るよう。
 普段素顔を隠した状態の少年を炎だと例えるのなら、今の少年は氷だ。
 湖の表面のそれでなく。
 深海の暗さの中で存在する氷のように。
 冷たく、寒い。
 鳥肌が綱手の白い肌を覆い、くっと喉が上下する。
 気にせず少年は云い捨てた。

「カカシを、切り捨てるつもりだったな」

 ―――忍にも、時期がある。
 血の気が多い頃には戦前に立ち、落ち着いてきた頃に上忍や後援に回り、忍の卵を育てるのも良い、そこそこ危険な任務をこなしながら忍として生き、力の衰えを感じたのなら引退する。
 けれど偶に、引退が許されぬ忍もいる。
 余りにも他国に名を馳せた忍だ。
 そんな忍に普通の穏やかな死は与えられない。
 苛烈に生き、戦い、死なねばならない。
 戦いの中で、息絶えねばならない。
 例えば四代目がそうだったように。
 例えば三代目がそうだったように。

(英雄が、英雄として、死んだように)

「また無駄に英雄でも作るつもりだったのか?」

 カカシを、使って。

「………」

 押し黙る綱手の沈黙が、答えだった。
 少年は何故とは訊かない。
 訊いても意味がないからだ。
 訊いても諾としないからだ。
 どんな理由があろうと。
 少年は、認めない。

「まぁ、里の運営は火影(あんた)の仕事だ。これだって里の為を思ってしたんだろう」

 そう分かった振りをして。
 でもな、と少年は。

「あんまさ、俺を怒らせんなよ」

 にこり。
 にこり。
 にこり―――と、笑った。

「―――…!」

 無邪気な笑顔。
 無垢な声。
 あぁそれだけなら、子どもらしいと笑えたのに。

「その方が双方の為だって、分かってんだろ?」

 少年が笑ったその瞬間。
 部屋に満ちた殺気。
 千本一本の空隙もなく。
 割れる寸前の風船のように。
 殺気に満ち満ちた部屋。
 それは本当に一瞬で。
 その、たった一瞬で。
 喉が絞まる。
 息が苦しい。
 冷や汗が、吹き出した。

「そう三代目の火影から遺言預かってねぇの?」

 指先ひとつ、動かせば。
 それが恐らく死刑執行の合図になる。
 意図せずとも。
 ただ、動かしたというだけで。

「なぁ、五代目火影」

 呼び掛けは、けれど返事など期待されてはいないのだ。

「云われてねぇんなら教えてやるよ。訊いてないなら云ってやる」

 ただ口を閉じて耳を澄ませなければならない。

「そして忘れるな。違えるな。弁えて、唯一絶対の掟のごとく遂行しろ」

 求められているのは、それだけだ。

「―――俺が守るものを、傷つけるな」

 たった、それだけのことなのだ。





「………」
「………」

 沈黙が、病室の中を行き来する。
 しゃりしゃりと林檎の皮が次々と剥かれる音がする。
 カカシはその様子を横目でしっかりと見ていた。
 器用なものだな、と感嘆している訳ではなく。
 いつその皮を剥いているクナイが自分に向けられるかを恐れてのことだ。

「な、ナルト~…」

 我ながら情けない声だなぁと思うけれど、仕方ないとも思う。
 だって今回のことを、ナルトは途轍もなく怒っていた。
 助けに来てくれた時はそんな素振り全然見せなかったのに、起きてみれば起きたことを後悔しそうなほど怒っていたのだ。
 恐ろしい、本音を云えば。
 けれど今、黙っている訳にはいかないのだ。
 そう自身に云い聞かせ、カカシはまた口を開く。

「あの、ね? 林檎剥いてくれるのはありがたいんだけどね、そのぉ…」

 五個は、剥き過ぎじゃないかなぁ。

 語尾が消えて行くようなカカシの言葉に。

  ぴくり

 ようやくナルトが剥くのを止めた。
 クナイを止め、睨むように剥かれた林檎の数を見て。

「……喰え」
「はい?」
「無理やり喰え。何としても喰え。腹一杯になっても喰え」

 そんな無茶な。

 思わずぽかんとして心の中でそう呟いたカカシは、なんだかその可笑しさに、心の底から笑った。
 躰中の傷が疼くように熱を持つように痛かったけれど。
 気にせずに笑った。
 声に出して、笑った。

「笑うな馬鹿! 傷が――…ッ」

 焦ったナルトの言葉に、あぁやっぱりねとまた笑う。

「ばかかし! 馬鹿、止めろってば!」

 暴言の嵐に、でもやっぱり笑いは収まらなくて。





 知ってるよ、知ってたの。
 心配してくれたんだね。
 ずっと気にしてくれたんだよね。
 その裏返しの怒りだったのでしょう?
 病室に林檎、なんて、あまりにもベタだけど。
 今の時期に林檎なんて、店を回ってもなかったでしょうに。
 わざわざ手に入れてくれたんだね。
 でもどんな会話をして良いか分からなかったから、ずっと林檎を剥いてたんだよね。
 知ってるよ。
 知ってたんだ。

(また、守られたね)

 ある時から、危険な任務が減ったのだと気付いていた。
 どうしても写輪眼を必要とする任務しか入らなくて、その分、ナルトの任務の多さと危険度がぐんと比重を増したのだ。
 そろそろ世代交代なのかなぁ、なんて、のんびりと思っていたのだけれど。
 余りに不自然で、アスマや他の同輩と比べても、やっぱり自分の任務の減り方は異常だったから。
 ある日ナルトと月見酒を酌み交わしていた時、珍しくも酷く酔ったナルトに訊いたのだ。

 なんでかなぁ。
 俺、もういらないのかなぁ。

 そんな、こっちもこっちで酔っていたから、ふわふわとした訊き方で。
 それに油断したのだろう。

 良いじゃん、そろそろ楽しろよ。
 お前は随分頑張ってるよ。
 頑張りすぎて死なれたら困るからさ。
 俺がじゃなくて、里がだけど。

 長生きしろよ、カカシ―――なんて。
 云うだけ云って、くぅ、と寝入ってしまった君。
 それになんだか答えを垣間見た気がしてたんだ。

(守るのは、俺の役目だったのにね)

 それも世代交代なのかな、そろそろ。
 良いかもね。
 ナルトに守られるなんて、かっこよすぎでしょ。
 おいしい役どころだね。
 でも心配するから、ほどほどにね。
 そんなこと、云わないけど、云えないけど。





「ありがとね」

 にこりと笑って、くしゃりと太陽の髪を撫でれば。

「~~~~ッ!」

 どうして良いのか分からないのだろう。
 兎に角顔を真っ赤にさせて、カカシを睨んで。
 そうかと思えば。

「良いからとっとと林檎喰って寝ろ!!!」

 と叫ばれて。

(あぁ)

 幸せだなぁ。

 と、思った。





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 20110225





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