春夢
[ side ROOK'S PAWN ]泡沫に似た花弁が風に踊る。頬を髪をなぞって過ぎたそれらを追った視線が、人影を捉える。
「 ぅ」
何度かもぞもぞと唇を動かす。端々が音となって生まれていく。そうしてやっと。
「 ぎ ぅ 」
ぎこちなく、口の中で唱えるように呼ぶ。小さな声、稚いそれが、向ける人影に訊こえた筈はない。そんな大きな声はでない。自分と彼を頒つ距離も、自分の躰を幾つも横たえなければ届かない。
訊こえなければそれでもいい。そう思う自分を、叱咤するよう。
「 ? 」
訊こえた筈はなかった。―――ない、のに。
「どうした」
あっという間に近づいた彼は、腰に手を当てて覗き込む。驚いて二三歩下がれば、バランスを崩して尻餅をついた。
「……何してるんだ」
目を見開いて見上げる自分と、呆れたように見下ろす彼。その延長上に太陽があって、眩しかった。でもそれも、キラキラと彼の金色の髪を輝かして、綺麗で、綺麗。
云わないまま思って、云わないまま、問う。
「 き ぃ た ? 」
途切れ途切れの音を、彼は正しく理解して。
「訊こえた」
何でもないように、云ってのける。それがどれほどの奇跡なのか、知りもしないで。
「ほら、帰るぞ」
云って、伸ばされた手。白くて小さな、自分と同じくらいの、紅葉みたいな掌なのに。
「 ぁ ぅ 」
酷く大きく見えて、頼もしくて、困って、泣きたい気持ちを堪えて、笑った。彼は酷い顔だと笑いながら、それでも伸ばした手を取り引いてくれた。導くように、それは固く握られて。
亡くしていた声で、あの言葉を形作るのは難しい。だから、と。
「 ぎ る 」
精一杯、彼の名を呼ぶ。応えは、掌の痛みが全て。