陽炎稲妻水の月




 闇に揺蕩う。意識を、躰を、冥闇(くらやみ)に乗せ、流れるように。そうと願う彼は、けれどふと自分以外の誰かの気配を感じて瞳を開けた。槍を手に取る。だがそれは一瞬の後、離れて消え、また微笑みすら零された。それは苦笑と云うに相応しく、諦めと云うに近い。視線の先に、ライダーがいた。

「また、勧誘か」

 豪胆な王は、けれどその言葉に何も何も返さない。どうしたものだと揶揄い混じりの言葉を放り投げた彼は、戸惑いと共に双眸を瞬かせる。幾許かの無音の間を彷徨う。一人は惑い、一人は思案を滲ませて。
 そうして口火を切ったのは、考えに耽っていた王だった。

「…何を憂える、ランサーよ」

 その言葉に、何も、と返したいのだろう。問われた彼は言葉を探すように微かな躊躇いを唇に寄せたが、結局引き結び、目を伏せて弱く笑んだ。弱く哀しく、淋しげに。

「そう、見えたか」
「あぁ。しっかり眉間に皺を寄せおって。坊主も偶にそんな顔をするが、お前ほど悲壮感に溢れた顔をすることはない」

 引き合いに出された彼は、そうか悲壮な顔をしていたか、と思い至って、笑みの比重を弥増した。
 王の云う通り、心に蟠る思いがある。それを云って良いのかを迷った。何れ戦うべき相手に、弱音を吐いて良いものかと。
 彼は王を見遣った。王は彼の視線を受け止めて、泰然と其処にいる。大地のようにしっかりと、揺らぐことすら知らない風に。見て、知って、彼は知らず口を開いていた。彼ならばと思った自分など、気付かないふりをして。

「…端から、期待してはいなかった」

 それが何を指すのかを、王は即座に理解した。

「この戦いにか?」
「あぁ。主という存在がいて、最後まで共に戦い抜くことが出来ればいいと、そう思っていた。忠義を尽くす事ができるなら、ただそれだけが望みだと」

 予想外だ、と、彼はまた薄く目を伏せて云う。

「豪傑の王に、高潔の騎士…その二人に出会えたばかりか、戦うことが許された。戦いが何たるかを理解せぬ外道ばかりであれば、こうも執着することはなかったのに」

 騎士道を理解しない相手にさえ騎士道を貫くほど、彼は愚かではない。騎士の道は、騎士同士が真っ向から鍔迫り合うことを前提とする。馬鹿正直、愚直と云い換えることもできるそれ。だが誇りとはそういうものだ。理解してもらうことが前提の誇りなど、持つに(あた)わぬ。

「……歯痒い」

 だからこそ、思うのだ。誇りをかけても良いと思える相手がいる。それを理解し、受けて立つ相手がいる。喜ばしいことだ。それこそ、誇れることだろうに。

「戦うことが、矛を交えることが、ままならぬとは…」

 マスターがいることで、とは、云えない。忠義を誓ったのだ。それを貫き通すことが願いだ。だから云う訳にはいかない。唇を、咬み切ってでも。

「…難儀よなぁ」

 悔しげに呟いた彼を、王は憐れんで見た。その心を知るからこそ、彼の誓いを知るからこそ、余計その程度は深い。抱く憂いを主の所為にするくらいなら、この男は舌を咬み切ることだろう。
 一度訊いた彼のマスターの声。その声が発した命令。最悪の相性だ。否、そもそも生きた時代、生きる時代が違うのだ。考えも違うだろう。世界観が違うだろう。願いも違う、考える作戦も、騎士としての彼、魔術師としてのあの男とは。
 全くもって難儀なことだ、とまた心中王は思った。だが二度も彼にそう云うほど、王は人の機微に疎い訳では決してなかったから。

「あまり嘆くな、ランサーよ」

 と云って、肩を叩く。些か加減を間違ったそれに、それでも彼は耐えた。耐える素振りも見せないまま、何でもないように王を見上げる。あぁ矢張り坊主とは違うな、とだけ王は思って、笑った。朗らかな、気持ちの良い笑顔だった。

「存分に願え。セイバーと戦うこと、余と戦うこと、そして己が願いの成就を」
「しかし…」
「願うことがこの戦いの要よ。聖杯に聞き届けられる願いは一つかもしれんが、聖杯に辿り着く為の願いは、如何ほどあったところで困ることはあるまいて」

 迷う先に未来など有りはしない。その前に挫けてしまう。願いとの差に、その絶望に朽ちてしまう。彼にそうなってほしくないのだと、王は云わないまま思った。

「さぁ笑え。小難しい顔をしたところで、事態が好転することはない。ならば前向きになれ。何時か騎士として余の前に立ち塞がる時までな」

 何時か何時か、その日まで。何れ訪うその未来。決着がついたなら、何方かが消えてしまうやもしれぬ。彼も王も、それを待ち望めば良いのか、少しの寂寞を抱いても良いのかを、心の中で迷いながら。

「…では、そうしようか」

 云ってふわりと微笑んだ彼に。

「うむ。それが良い」

 ニッと子どものように、無垢に笑った征服王。その彼等を、雲が晴れた夜空の道標、月が穏やかに優しく照らしていた。





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