雨夜の月




 じくじくとした痛みがある。左手。切られてから以来、ずっと――…。
 そっと彼女は閉じていた緑翠の双眸を開く。そのまま視線を闇の中へ注ぎ、凝と見詰めた。その先にこの傷を負わせた彼を見るように。

(…ランサー)

 あの夜の、闇に浮かぶ真白の美貌を思い出す。だがそれは手傷を負ったことを恥じる為でなく、ふと耳にした彼の過去を思ったからだ。彼の顔―――右目の下の、泣き黒子。

『彼は、ランサーはね、セイバー…――』

 気の毒ね、とアイリスフィールは最後にそう呟いた。あぁ、そうだろう。彼女は思う。騎士の誓いにより身を滅ぼした彼は、まさかあのような形で守ることになろうとは、彼自身、思ってもなかったに違いない。誓いを逆手に取られるような、あんな、願いの、為に。

「………?」

 傷の痛みが(いや)増した。何故、と見遣れば、革手袋が軋むほど手を握り締めていた。痛い筈だ。即座に力を緩めて手を開いた。爪が食い込んだ部分がじんじんと痺れ、指先の感覚は消えていた。
 まるで激した時のような反応だ。耐えるのではなく、発散する為の。まさか怒りでも抱いたというのか、まさ、か。

(何に…――誰、に…?)

 ぱちり。目を見開いて、瞬いた。その後に。

「…愚かな」

 嘲りは声に、そして笑む口元に刻まれた。馬鹿なことを、馬鹿なことを、―――馬鹿な、ことを。

(何を考えた、アーサー王)

 哄笑が溢れそうになる。拒む為に、唇を咬んだ。ギリと強く、戒めるように。だがそれが何故かは考えずに置いた。考えることを放棄して、何を思ったかを忘れた。忘れようとして。

「……馬鹿だな」

 忘れられなくて、笑った。困ったように、含羞(はにか)んだように、泣き笑いの顔で、彼女は。

「ただの、女のようだ…」

 そうでありたいなど、自分は云う訳にもいかないのに。





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