割り紫苑菱

[ 個意言葉:永劫 ]



(………まただ)

 首無はいつも不思議に思っていた。
 鯉伴が昼寝をし始めると、決まって総大将―――ぬらりひょんは出かけてしまう。
 誰が知らせている訳でも自分で見ているはずもないのだろうに、寝入ると同時にそろっと家から出ていくのだ。
 しかもそれを、それは彼が彼である所以だが、決して誰にも気づかせなし、また帰ってきても誰に云ってる風でもない。
 首無が知ったのは、鯉伴の部屋の縁側からぬらりひょんが出て行く姿をたまたま見たからだ。
 それから幾度となく家を出る後ろ姿を見送った。

(どこに行くんだろう?)

 誰かに訊くべきだろうかと思ったこともあったが、しかしぬらりひょんが黙って出かけている以上、云ってはまずいのかもしれないと、首無は回数が両手の指の数を超えても誰にも訊けずにいた。
 しかし。

(…気になる)

 好奇心が(もた)げる。

(すごく…気になる)

 誰にも云わず行ってしまう理由も。
 帰ってきた時、何故か微かに機嫌の良い理由も。

(気に…な、る…)

  …チラリ。

 眇めた横目で鯉伴を見る。
 よし、寝ている。
 ぐっすりだ。
 しかも今日は家に青田坊と黒田坊が揃っている。
 雪麗もいただろうか。
 …ならば。

(何を迷うことがある)

 自身を奮い立たせるように心の中に呟いて、首無はぬらりひょんを追いかけた。





 鯉伴と出会い、そして奴良組に入って早数十年。
 鯉伴だけでなくぬらりひょんとも良好な関係を築いてきた。
 奔放さも度量の広さも瓜二つの親子だ。
 首無の組入りを、ぬらりひょんは鯉伴と同じだけ歓迎してくれた。
 それからずっと首無は奴良組本家で生活していたのだ。
 彼等の傍で。

「…………」

 だから―――と云って。
 油断していたわけでも、まして侮っていたわけでもない。
 目視できる距離にいれば例えぬらりひょんでも見失わないなんてそんなこと。

(………思って、ました)

 汗が垂れる。
 冷や汗だ。
 何しろぬらりひょんを見失ったばかりか。

「迷って…しまった……」

 首無は基本的に家から出ない。
 他の妖怪に比べれば見た目はまるきり人だったけれど、名の通り、首がないのだ。
 隠すのには限度があるし、突風が吹けばそれだけでバレてしまう。
 よって地理に疎い。
 滅法弱い。
 帰り道なんて覚える必要ありますか?、が口癖。
 だからいつも出かける時は誰かとセットが基本だったのに。

(ぬかった…!)

 冷や汗なのか涙なのか分からない滴を袖で拭う。
 こっちだろうか、あっちだろうか。
 うろうろと家々の門扉に近づいては違うらしいと肩を落とす。

「うえぇ…総大将、どこですかあぁ…」

 とうとう涙に瞳を潤ませて、焦った時の手癖で何度もマフラーを巻き直す。
 どうしよう、どうしよう、と知らず呟いていた首無はふと道路の果ての塀を見て、涙で煌めく瞳をぱちぱちと瞬かせた。

(……なん、だ…?)

 近づいてみると、それはとても長い塀だった。
 体を反らして左右を見ると、右手に大きな門扉が見えた。
 余程大きな家らしい。
 首無の身長と塀の高さ、そして角度的に屋根は僅かしか見えないが、奴良組本家と張り合うほど立派なようだった。
 しかし首無が足を止め、近づいた理由はそんなことではなく。

(ここ…変だ)

 空気が、(すが)しい。
 妖気が全く感じられない。
 昨今、妖怪はどこにでも隠れているというのに。
 ここにはそれがない。
 これ、は。

(何か、…他の力で溢れている…?)

 何か知らない、出会ったことのない、力に。

  …うず…うずうず…。

 ……いけない。
 好奇心がまた疼いてる。
 また同じ過ちを繰り返すつもりか。
 落ち着け。
 静まれ。
 こんなことより、総大将を探さなきゃ…。
 ………でも。

(ちょっと、…だけ…)

 必死に引き止めようとする理性は、今は少し、見ないふり。





 門まで回らず塀よりも高い処にあった枝に糸を引っ掛けて侵入した先は、大振りの松や楓が植わっており、その根元には咲き誇る季節の花々、敷かれた白石が陽光に照らされ眩しい、とても美しい庭だった。
 感嘆は言葉に出ず、首無の表情でそれは素直に賞賛された。
 すごい、と片膝ついて植えられた花の一つを覗き込む。
 薄紫の花…これは紫苑か。
 本家の庭に植えたらさぞ綺麗だろう―――と考えて。

(…いや)

 無断で敷居を跨いだだけでも無礼だというのに、その上花まで盗って帰るなぞ以ての外だ。
 …妖怪のくせに何を云う、と総大将に怒られるだろうか。
 でも、だって。
 思ったんだ。

(この花はここに咲くから、綺麗なんだろうって)

 だからこのまま置いてまた総大将を探そうか、と、腰を上げかけた、その時。

「それ、気に入ったん?」

 背後から声。
 ビクリとしながらもサッと振り返れば庭に続く縁側に、人影が一つ。
 そこには。

「――――」

 京紫の着物を緩やかに纏う人。
 白い肌、細長の面、切れ長の瞳。
 流されたままの長い濡羽色の髪は艷やかで、楽しそうに弓なりに曲がる唇は桜色。
 柱に撓垂れかかったその人は、驚いたように凝と自分を見て固まってしまった首無に少しだけ首を傾げると。

「もしかして、ボク、怖い?」

 自分を指さして(わら)い、唐突にそう云った。
 焦ったのは首無だ。
 彼の言葉にハッと我に返ると、両手をブンブンと横に振った。

「えっ、えっ、いや、そんな…!」

 いけない。
 なんて云えばいいのか分からないけど、でも兎に角何かを云わなくちゃ――…。
 と、考えて。

「とっ…!」

 ぐっと拳を握って云ったのが、

「―――とっても綺麗なお顔です!」

 それだった。
 云われた彼は一瞬呆けて、一瞬後、腹を抱えて咲った。
 涙さえ浮かべて思いきり咲って、やっと口を利けたのは数分後のこと。

「面白い子やねぇ。ちょお、こっちおいで」

 ひらひらと片手を振って呼ぶ彼に、首無は数瞬躊躇ったけれど、結局おずおずと近づいた。
 なんでしょうと見上げる首無を彼は突然座ったかと思うとひょいっと抱き上げ、驚きに身を硬くする首無に気づかないふりで喋りだす。

「君、迷子? ご両親と離れたん?」
「え、いや…違います」
「あれ。じゃあうちのもんの親戚? 君みたいな可愛い子おるような顔した奴、見たことないけどな」
「いえ、あの…」
「何にせよ良かったなぁ、君。ここでボクに見つかって。よそんとこやったら怖いおじさん達に囲まれとったよ。しかも今は酒瓶離さんような酒乱もおるし…こっちの都合考えんといきなり来て勝手に酒盛り始めたくせに酌させるってどう思う? なぁなぁ、おかしない?」
「そ、うですね…」
「あ、君もそう思う? 良かったぁ。二対一であいつの負けや」

 そう云った彼はころころと嬉しそうに微笑んだ。
 よく咲う人だ、と首無は思った。
 繕ったものでない気持ちのいい笑みに、いつしか緊張を忘れていた首無の瞼がとろんと重くなる。
 あれあれと思う間に意識が保っていられない。

「遠い所まで来て、しかも歩きまわって疲れたんやねぇ。初めての場所でずっと気ぃ張り詰めてたんもあるやろうし」

 ゆっくり寝ぇやと彼は首無の頭を撫でた。
 あぁそんなことしたらバレてしまう。
 自分が妖だと気づかれて…それに何故彼はそんなことを知っているのだろう…。
 と思うのに、やっぱり意識は睡魔に逆らえず沈んでいく。

「大丈夫やで。ボクは君の味方やから」

 すぅっと夢に絡め取られるその瞬間。
 最後に聞こえた言葉に、なぜかひどく安堵した。





「お、寝た寝た。可愛らしお顔やなぁ」

 など好きに云っていると。

「……勝手なことを」

 ガラッと襖が開き、顔を覗かせたのはぬらりひょん。
 不機嫌と顔に書いてあるようなぬらりひょんに、首無を抱く彼は気にした素振りも見せなかった。
 付き合いの長さを感じる邪険さでちらっと見るだけに留めて。

「あれ、酒乱。どないしたん。摘み食いは終わったんか?」
「……いい加減機嫌直せ」
「い・や。ボク悪くないもん」

 云ってツンと頑なに視線を寄越さない彼に、ぬらりひょんは深い溜息を吐いた。
 澄ましてはいるが、彼も仮面を剥げば不機嫌と顔に書いているのは明白だった。
 突然訪れることも酒を呑むことも常套化しているというのに、何故か今回だけ不興を買って途中で席を立たれてしまったのだ。
 そして首無を見つけたらしいのだが。

(まぁ徹夜明けの今から寝るという時に来て酌をさせればそうもなるか…?)

 普段狩衣をきっちり着て人前に出る彼が、今日こうも乱れた恰好でいるというのはそういう訳だ。
 あぁ、珍しいその姿をジロジロ見たのも一因かもしれない。
 兎に角なんとかせねばなるまいとは思うのだが、こういう時の対処法をぬらりひょんは知らない。
 また溜息を零す。

「………秀元」

 そして困ったようにいつも省かれがちな名を呼べば、秀元も数瞬微かに困ったような顔をして。

「…それ、ズルイわぁ」

 ぽつりそう云うと、しゃあないなぁと首無を抱いたまま立ち上がり、ぬらりひょんへと手渡した。

「この子怒らんって条件で手ぇ打つわ」
「…最初から怒るつもりはねぇよ。予想外ではあったがな」

 首無を受け取り背負ったぬらりひょんは、最初から首無が付いて来ていることを知っていた。
 誤算だったのは、撒いてしまえば一人で帰るだろうと思っていたのに、ここに辿り着いたことだ。

(まさかここが陰陽師の家だと知らなくても、何かあるとは分かるだろうに)

 兎も角、ならえぇよと咲う秀元の様子にどうにか機嫌が直ったようだとぬらりひょんは息をつく。

「しかし、お前も変な術を作ったな」

 そうぬらりひょんが云うのは、花開院邸に張られている結界のことだ。
 陰陽師の家ならば当然の処置とは云え、しかし張り巡らせている結界は妖怪を寄せ付けず侵入を許さないものではなく、敵意のある妖怪のみを除外するものだった。
 本来妖怪嫌いで通る花開院家を守る結界としては不良品と云っていい。
 そもそも許しが出ていない筈だが。

(効果を云っていないか、黙らせたか)

 どちらもありそうなことだと、ぬらりひょんは呆れたように秀元を見る。
 まったくどうして、陰陽師の家にこいつのような奴がいるのかと云わんばかりで、しかもそいつが兄を差し置いて当主になるほどであると聞かされれば、世の中うまく行かねぇもんだなとその兄を慰めてやりたいくらいだ。
 そんなぬらりひょんの心なぞつゆ知らず。

「なんで? 敵意ない子、無碍に帰すことあらへんやん」

 たまにこうした出会いもあるし、と云う秀元は酷く楽しげに咲って。

「それに云うたかて、ぬらちゃんもそのうちの一人のくせに」
「うっせ」

 咲う秀元を一瞥して、ぬらりひょんはトンと庭に降り立った。

「邪魔したな」
「ほんまに」
「………おい」

 一も二もなく返ってきた言葉に僅かに顔を強ばらせて振り返る。
 けれど視線の先、秀元は薄く穏やかに微笑んで。

「今度はその子も連れてきたらえぇ。ボクのこと、怖くないんやったら、やけど」

 云う彼の表情に影はない。
 繕ったとは、とても思えないけれど。

「ばーか」

 自分とはまた別の奔放さを身につけた秀元の闇を、ぬらりひょんは知っている。
 それは言葉にも表情にも出されない、ただじわりと滲む仄暗い闇。
 永遠に誰も共感できない幽暗。
 陽の人間でありながら秀元は陰を持ちそれゆえに熟知する。
 妖怪を、知る。
 だから恐ろしいのだ、妖怪にとって。
 だがそれは。

「俺の組のモンだぜ? 舐めてもらっちゃあ困る」

 〈畏れ〉には、程遠い。
 ぬらりひょんは勝気に笑って、

「また来る。こいつもな」

 そう云って、帰っていった。





「―――ハッ!」

 ガバリ、と身を起こした首無は自室の布団の中にいた。

「……あ、れ?」

 くるりと見渡してもその事実は変わらず首無は首をふよんと右へ傾けた。

「んー…んー……なんで?」
「そりゃあワシが担いで帰ってきたからじゃ」
「ぃっ!!」

 いつの間にいたのか。
 ぬらりひょんが首無の部屋の襖に持たれて煙管を吸っていた。
 ふわりと一瞬形を成しては風に薄れる紫煙。
 見送るように辿り、ぬらりひょんは首無へと視線を遣る。
 慌てて首無は深々と頭を下げた。

「こ、この度は真失礼致しました、総大将…!」
「あ? 気にするな」
「そうは仰られても…っ」

 言い募ろうとする首無の頭を、ぬらりひょんが掴んでぐいっと上げた。
 驚く首無を、ぬらりひょんは部屋から続く庭を見たまま見ようとしない。
 あぁそれほど怒っていらっしゃるのかと首無がふにゃりと顔を歪ませた時。

「折角の花だ、ワシの顔よりそっちを見ろ」

 云われた言葉が分からず、分からないまま、首無はぬらりひょんの視線をなぞる。
 なぞって、知る。
 ぬらりひょんが見る先に、紫の気品ある花が咲いていた。
 些か殺風景になりがちな庭に彩りを添えるそれは。

「あの庭の…」
「主がくれた。お前が気に入ったようだったから持って行けと」
「え?」
「そんで」

  くしゃり

「また来てくれたら、嬉しいとさ」

 粗暴さの見当たらない造作で首無の髪が撫でられた。
 ぬらりひょんは変わらず無表情のままでいたけれど。

「……嬉しゅう、ございます」

 優しいぬらりひょんが嬉しい。
 また来てほしいと、花を与えてくれたあの人の心が、嬉しい。

「是非連れて行ってください」

 明るくニコニコ笑う首無に、ぬらりひょんは少しだけ不思議な顔をして。

(…まさかあそこが普通の家だなんて、思って……ねぇよな)

 怪訝に見詰めて、けれど。

(まさかな)

 妖怪ならば感じずにはいられない違和が確かにある。
 若いが敏い首無が気づかぬはずもない。
 信頼に似た思い込みで、ぬらりひょんはそう片付けた。

「楽しみです」

 さぁ鯉伴様は起きられたかなー。

 その後ろ姿を見送って、煙管からぽかりと一つの白煙がぬらりひょんの口から生まれて消えてった。
 首無が本当に何も気づいてないと知ったのは、それから少し後の話。





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 20110928
〈花は「再会(また)」を待ちかねた。もう、独りでいるのには飽いたから。〉





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