両手を耳に

[ 認めてお仕舞いなさいな、もう彼は居らぬのだと。]



 明日、という漠然としたものを信じていた訳ではない。
 ただ、己が歩むその道に太陽の満ち欠けを照らし合わせて〈明日〉という概念を形作っていただけの事。
 それだけの意味しかないのだ、明日という言葉に。
 後付け。
 無意味。
 ただ。
 無価値。
 それでも彼が貪欲にそれを手繰り寄せていた事は事実で、一日でも多くの明日を手にしようと藻掻いていた事も、事実だ。
 それを愚かしいと思った事はない。
 考え方の違い。
 または、重きを置く価値観の違い。
 それだけの話。
 自分と彼は違うし、彼と自分は違う。
 それだけの、話だった。

(それでもどうして、いきなりこんな事を考え始めたのか)

 分かりかねる。
 自分の心の事だというのに。
 自分の事が分からない。
 なんと滑稽な。
 他人の心など、手に取るように分かるのに。
 自分の心が分からぬ。

(彼の心の、ように)

 笑いたくなって、けれどそれは頬を引き攣らせるだけで終わった。
 自分は一体何がしたい。
 鉄扇を開いては閉じ、閉じては開く。
 それに意味もなければ価値もない。
 笑む事も言葉を発したい訳でもなく。
 ただ漠然と思慮に耽る。
 …それも良い。
 今この時が、戦場の最中でなかったのなら。
 天下分け目の策を練る時でなければ。

(何を考えた?)

 自分に問い掛ける。
 このような重大事に、己は一体何を考え、そして何を望んだか。
 知る事は恐らく刃に素手で触る事と同義と知って尚、その問いの答えに執心する。
 己は一体、何を望んでいるのかと。
 ………そんなもの。
 分かり切っている。
 己が一番、分かっている。
 理解してし尽くして、けれど今尚、不理解なのだ。

(何故か)

 認めていないからだ。

 答えは酷く単純で。
 それ故に酷く純粋。
 そして、己の心にのみ、有効な。





 言い訳に成り得ない。
 活路では有り得ない。
 それはただ、無意味。

『         』

 聞こえぬ。

『         』

 聞こえぬ。

『         』

 認めぬ。

『明智光秀、討ち死に』

 何も。
 聞こえぬ。





 心の片方が空洞になった気がした。
 躯の半身が抜け落ちたようだった。
 ただ違っただけ。
 ただ、違っただけなのに。
 ただ、彼が居らぬだけの事、なのに。

 明日が、酷く、遠い。





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 20100418
手繰(たぐ)り寄せた糸が紅い。最初は彼の人のように、真白であったはずなのに。〉





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