小鳥の夢

[ もう何度朝を迎えても光は私に届かない ]



 自分より大きな友と、幾分小さな友。
 彼らは彼にとって異質でありながらも 大切な存在で。
 そして外を知らない彼に外を知る切欠と楽しさを教えてくれた。

(神無ノ鳥である限り、必要ない知識。必要のない、知恵)

 そう言った所で、彼らはからりと笑って彼の言葉を受け流すだけ。
 構わず何度も強引に下界へ行こうと連れ回された。
 仕事で行っているからと言っても聞きやしない。
 彼らにとっては仕事で下界に来るのと遊びで来るのとでは大きな差異があるらしい。

(だからと言って景色が変わる訳でもあるまいし)

 心底そう思いながら、けれど何時も彼は最終的には同行した。
 だって彼は彼らが好きだった。
 時たま本気で疎ましく感じたり呆れたりする事は確かにあったけれど。
 彼らと共に在る事だけで楽しかった。
 それが仕事であろうと遊びであろうと、恐らくそれに差異はない。
 一緒に行こうと手を差し伸べてくれる事が嬉しかった。
 仕事のし過ぎじゃないかと心配してくれる事が誇らしかった。
 彼らが楽しそうに笑っているのを見る事が多分彼の幸せだった。

(例えそんな素振りを一切見せなかったとしても)

 だから彼は偶にそっと振り返る。
 三人が三人とも此処に居た時代を。
 彼が居て、彼が居て、自分が居た、時代を。
 幸せだったと、何時も最後に付け加えて。





  夢のまた、夢





 幸せだった日々に翳が差したのは、小さな友人の最後の任務が言い渡されてからの事だった。
 予想など出来ていた。
 一度だって任務を完遂した事の無い鳥。
 任務をしようと毎回意気込んでは人間の姿に流され結局未達成。
 終いには人間に興味を持ち始め、暇さえあれば下界へ行く毎日。

(そんな神無ノ鳥が、急に己の手を血に染める覚悟を決められる筈も無い事は)

 当然、結果など分かり切っているのに彼は決して人間と馴れ合う事を止めず、それどころか率先して彼らに近付きそしてまた同じ過ちを繰り返す。

『――…俺にあいつの魂を取るなんて…出来ない』

 あぁその言葉を何度聴いた。
 何度忠告した。
 何度諭した。
 仕事仲間としての言葉だけでなく、 ただ友としての言葉もあったというのに。
 なのにまたお前は繰り返すのか。
 神無ノ鳥としての任務を放棄し、死に行く筈の人間の運命を捻じ曲げようとする。
 許されぬ事だ。
 まして今回は最後なのだ。
 最後という言葉に意味など無い。
 ただ、最後だったのに。

『…ごめん』

 誰への謝罪だ、それは。
 どうせこうなった事を後悔などしていないくせに。
 心の伴わぬ謝罪など要らない。
 そんな顔をして欲しいとも思わない。
 そんな、愛おしそうな顔など。

『レンジャク』

 呼ぶな。
 その声で。
 決心が、鈍る。





(あぁそれは、以前良く見た夢の回廊)

(彼と彼と俺とで構成された)

(優しく、…そして少しだけ哀しい時代の事)

(それから目覚めて残るのは、何時だってただ漠然とした寂寥感)





 コツコツと硬質な靴音が石畳を木霊する。
 酷くその音が寂しいような気がしてふらりと視線を彷徨わせた。

(……何をしているのだか)

 そんな自分の行動に小さく舌打ちをする。
 自分らしくも無ければ、まるで意味も無い。

(もうあの者は、居らぬのに)

 探し人は現れぬ。
 決して、もう。
 あの明るく感情豊かな声でレンジャクと呼ばれる事もない。
 ころころと変わる表情を見る事も。
 全てが何年も前の話だ。
 何年も前に自分が終わらせたのだ。
 彼の居る日常を。

(…あの者は今どうしているだろう)

 神無ノ鳥である事を止め、浄化された魂。
 既に転生しているだろうか。
 それともまだ早すぎるだろうか。
 彼岸でそこら辺の魂を捕まえて遊び呆けてやしないだろうか。

(ありそうな話だ)

 くすりと笑う。
 そんな風に、彼は何時も彼をからかっていたもう一人の彼と共にまるで神無ノ鳥らしくなかった。
 自由奔放で天真爛漫、少し迷いながらも結局は己の道を突っ切った。
 あぁそうだ。
 彼は最初から最後まで誰を頼る事もなく空を飛んだ鳥だったのだ。

(そんな彼が、どうして俺などを相手にしていたのだろう)

 典型的な神無ノ鳥である俺。
 任務遂行は当たり前。
 痛みにもがく人間から魂を引き剥がす事になんら心を動かされる事の無かった俺は、どうしたって彼の嫌いな神無ノ鳥だった筈なのに。

(あの者は最後まで優しかった)

 神無ノ鳥でありながら人間に近い彼は、どうしてと泣きそうな声で言い張った。

『どうしてあいつの言う事を聞かなくちゃいけねぇんだよ…っ』

 嫌なら嫌でいい、と。
 したくない任務ならしなくていいんだと息巻いた彼。
 そうそれは、俺の為の言葉だった。
 自身の友に手をかける事を厭うた、俺の、為の。
 あぁけれど。

(その程度の問題では無いと言うに)

 あの方と神無ノ鳥は不可分だと主張する俺に、それは決め付けているだけだと言った彼。
 しかし決してそうではないのだ。
 繋がりを断てば確かに神無ノ鳥は生きられない。

(…鳥は、休める場所があるから飛べるのだ)

 ずっと飛び続けるなど不可能な事。
 休む場所がなければ何時か疲れ果て真っ逆様に堕ちるだけ。

(だから俺は…俺達は)

 あの方と繋がってい続けねばならぬのだ。
 そこに感情など必要ない。
 あの方に対する好悪など関係ない。
 ただ自らの生命の存続を考えた時、その答えしか残らぬだけ。

(あの方は止まり木)

 俺達神無ノ鳥が唯一羽を休める事の出来る場所。
 彼処しかないのだ。
 あの方の、元でしか。

(俺達は、生きられぬ…)

 僅かに睫を伏せて思い偲ぶ。
 闇に浮かぶ大樹を、そしてふと大人の顔を覗かせる友を、人間に近い、彼を。

(……羨ましい)

 純粋に、そう思う。
 飛び立つ事になんら不安を抱かぬ彼らが。
 ふとあの場所に立ち返った時、大樹が其処になくともきっと飛び続けるであろう彼らが。
 大樹から離れ任務に向かう時、もし帰って来た時に此処に大樹がなければと何時も不安に思う自分などとは違う、彼らが。

(酷く妬ましく…けれど、そうであり続けて欲しいとも思っていた)

 あぁその反発する感情はまるで曖昧な夢のよう。
 あっちに行ってはこっちに飛ぶ、夢の情景。
 自分らしくもないと自嘲しても、もう溜息も出ない。
 彼らと付き合う中で、何かしら変わって行った心模様。
 けれど。

(それだけでは、駄目だった)

 こつん、と足音を鳴らして立ち止まったその視線の先。
 意識せずとも体はこの道を覚えている。
 自室から此処に辿り着くまでの最短の道。
 何度も何度も、何度も。
 通い続けた道の果て。
 大きな石の扉が、其処に在った。

「―――……」

 其処に来て、一つだけの深呼吸。
 それはまるで儀式のような厳かさで。
 此処に立つ時のお(まじな)い。
 呼気と共に全ての感情を出してしまうかのように。
 まるでそれを祈るかのように。
 細く細く、長く、吐き切って。
 そしてようやく口を開く。
 僅かに戦慄く事など、知らない、振り。

「…レンジャクです。…入ります…」

 ギギギ…、と重い扉が開く。
 誰もを拒み、誰もを統べる彼へと続く(とびら)が。

『……レンジャク…』

 その声を聞いた途端、あぁ…と零れた吐息は空気に触れて粉々に毀れていく。

(俺は、…彼らではない)

 自由に飛び立つ事もその覚悟も無い俺は。

(ただこの方の命に従う事だけを、選択し続けるだけだ…)

 彼らと触れ合い心が変わっても、全てを変わり切る事は出来なかった。
 関係は変わらない。
 身分を繋ぎ繋がれの関係も。
 身体を繋ぎ繋がれの関係も。
 きっと彼が知れば悲しむだろうと、知りながらも。





(今何処に居るだろう)

(あぁもしかしてあの優しい彼と共に居るのだろうか)

(彼が守ろうと力を使い運命を曲げけれど死からは逃げ切れなかった彼と)

(それも良い)

(ただ幸せである事を)

(心から、願う)





 あぁ、そう言えば、とレンジャクは跪きながらふと思う。
 するりと奪われた衣服が床に散らされるのを横目に見、彼の人の口付けを受けながら。

(……夢を見なくなって、久しい)

 会わない時間は思い出までもを奪って行く。
 だから。

(久々に、…会いたい)

 現で会う事はまだ出来ぬ。
 ならばどうか夢で。

(笑うあの者を、見たい)

 けれどそれを拒むが如く体を這う感覚に、小鳥は現にも夢にも浸れぬまま、白い喉を震わせ甘く甘く啼き濡れた。





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 20090916
〈裏切りではない。裏切れるほど信用してくれる奴らは、もういないのだから。〉





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