恋って多分そんなもの。
[ 好きなら好きって ]二つの単語を見比べる。
一つを凝視すれば、もう一つ。
そんな事を繰り返して、けれど出ない答え。
なら、とふと思い描いた〈もし〉のストーリーを辿っていけば。
「あ」
目から鱗。
そんな感じで流れた涙。
「…そっか」
浮かんだ笑み。
「それで、良いのか」
独り言は、誰にも聞かれず空気に溶けた。
恋はlikeかloveなのか
「ヒーイロっ」
聞こえた声に、また来た、と幾分顔を強張らせたヒイロは、努めてなんでもないフリをしようとノートを走らせるペンを動かし続けた。
何時も何時も絡んでくる彼の名を、ヒイロは当然知っていた。
(…デュオ)
時期外れに転校してきたヒイロに初日から何かと付き纏い、自分で何とかするから構うなと言うのに変わらず話し掛けてくる彼。
最初はただ物珍しいだけかと思ったいたが、何の事はない、自分と友達になりたいなどと言うような、本当にただの馬鹿だ、とヒイロはデュオをそう心の中で評していた。
人嫌いで馴れ合いを好まない事など、ヒイロの態度と行動を見ていれば初日で分かりそうなものを。
(いや…ヤツは知ってて俺に近付いてきている)
だから尚悪いんだ、とヒイロは内心で溜息を吐いた。
知ってて他の誰かでなくヒイロに声を掛けてくるデュオを、ヒイロはどうして良いのか分からず持て余していた。
近付くなと突き放したことなど数知れず、無視なんて日常茶飯事。
あれこれ言い訳を作って逃げだそうにも、「俺も一緒に」などと言って付いてくる。
その様子をデュオと昔から親しくしているらしいトロワとカトルが苦笑混じりに眺めていて、五飛が馬鹿かと言いたげに見ている事を知っているヒイロが、恥を捨てて何度「何とかしてくれこの馬鹿を」と彼等に言おうと思った事か。
しかし最後には何時だって矜持が優って、それに類する言葉を言った事は未だない。
そうして考え得る限りの手は尽くした筈だが、それでもヒイロはデュオから逃げる事は出来なかった。
だからデュオはヒイロの隣は俺の特等席だと言わんばかりに何をしても其処に居る。
今も近付いてきたデュオはペンを動かし続けるヒイロに構う事なく前の机から椅子を引っ張り出し、ヒイロと向かい合わせになるように跨って座った。
そして話しかけてくる。
「なーなー、ちょっと話しねぇ?」
明るい声に、忙しそうなヒイロに声を掛けたという罪悪感など微塵もない。
そう言うヤツだと分かっているし、もう疾うの昔に諦めていたが、中々に苛つくものだ。
ヒイロはその思いもあって無視をした。
その返しこそヒイロの何時もの手で、相手も慣れている筈なのに。
「駄目、か?」
ぴくり、とヒイロが反応したのも、無理からぬ事。
その声は何時になく寂しげで、何か返してやらねば泣いてしまいそうな。
(……俺の注意を引き付ける新しい技か?)
ヒイロは一瞬そう考え、けれどもうペンを止めてしまった事に気が付いた。
相手にそれは見えているだろう。
気付かれて尚無視し続ける程ヒイロは鬼ではなかったし、悔しい事に、その声によってヒイロの良心が幾分突き動かされたのも事実だった。
諦めてヒイロは顔を上げる。
そして今度こそ驚いた。
「ヒイロ」
自分の方に向いてくれた事にか、嬉しそうに笑った顔。
その一瞬前の本当に寂しげな顔を、ヒイロは見てしまったから。
「……なんだ」
溜息混じりに零された声。
それが精一杯の譲歩。
デュオはそれでも良いという風に笑みを変えずに言う。
「なぁ、ヒイロ。俺、気付いちまったよ」
何をだ、と視線だけで問う。
何だか言葉にするのも億劫だ。
その不精を笑ったのか、他に何かを思ってか。
デュオは浮かべていた笑みを僅かに深めて。
「俺、お前が好きだ」
酷く酷く、嬉しそうに言われた言葉に、一瞬ヒイロは眉を顰めた。
何の冗談だ、とか、馬鹿な事を、とか、そういう類の表情ではなく。
ただ、意味が分からなくて。
「…好き?」
「うん、そう」
あっさりと返された言葉にも、何処かピンと来ない。
ヒイロにとって、その言葉はあまりにも自分の世界からは遠すぎた。
けれどその言葉の意味と、そしてそれが本来どのような間柄で交わされるかの知識はあったから、それに則ってヒイロは窘めるようにデュオに言った。
「そう言う事は女にでも言ってやれ」
喜ぶぞ、と付け加えれば、デュオの笑みは苦笑に変わった。
「そりゃ喜ぶかもしんないけどさ、俺はお前に言いたいんだ」
好きじゃないヤツに好きって言ってもしょーがねぇだろ?
その言葉に、ヒイロは漸くその好きがどうやら自分が思い描くものではないらしいと言う事に気が付いた。
好きという言葉にも種類があるとヒイロは知っている。
デュオがヒイロに言う「好き」は恐らく友好の意だろうと思ったヒイロは、しかし言われても別段嬉しくない。
友情を育む気など、一切ないのだから。
それならばその言葉を女子にでも言ってやれば、人気のあるデュオの事だ、喜ばれるだろうと、だからヒイロはあぁ言ったのだ。
そこに女子が求める好意は含まれていないが、「好き」という言葉だけを捉えて勘違いするのは女子の勝手。
ヒイロの知った事ではないし、デュオにしても罪はない。
しかし。
「好きって、お前、まさか…」
自分に向けられているものは、女子が求めているような好意なのか。
そう気付いてしまえば、平静で居られる筈もない。
珍しく言葉を濁したヒイロを見詰め、デュオは。
「ごめんな」
くしゃ、と笑みを崩す。
ヒイロの困惑を写し取ったように、瞳を揺らして。
「でも、気付いちまった」
そう、言った。
「お前がこの学校に来た時から気にはなってた。けどそれは、今まで居なかったタイプの人間と仲良くなってみたい、って、そんな気持ちから来てると思ってた。でもさ、お前の事考えると胸が痛いんだ」
今何してる?
俺の居ないとこで何してんの?
無視されるのは嫌だよ。
ずっと傍に居て欲しい。
なぁ俺を見てよ。
その、瞳で。
「その気持ちが何か分かんなくて――…いや、分かってたか。俺は多分最初から、お前に抱く気持ちを分かってて、けど認めたくなかったんだ」
奔放な俺でも怖い事はあるさとデュオは言って。
「でも昨日、ちょっと考えてみたんだよ。お前がもし、此処に来たように、またどっかに転校とかしちまったら、って」
ヒイロはその言葉をじっと聞く。
その言葉の先に自分への想いがあると知りながら。
「……怖かったよ」
涙が出た、なんて、嘘か本当か分からない事をデュオは言い。
「なぁヒイロ、好きだよ。お前が、好きなんだ」
お前の傍に居たい。
俺の傍に居て欲しい。
居なくなるのは、嫌だ。
「ライクじゃなくて、ラブでさ」
照れたように笑ったデュオ。
自分で言った言葉にか、それとも放課後といういかにもな時間に告白している状況にか。
どちらでも良い、兎に角本当に放課後で良かったと、ヒイロは聞きながら思った。
これが授業の合間の休み時間、若しくは朝の誰もいない時間になされていたら、ヒイロはその日まともに過ごせる自信がない。
(………なんだ、それ)
関係ない。
告白なんて、そんな。
(そいつが好きでなくては、心動かされる事なんて、ない筈―――)
ならばまともに過ごせる自信がないなどと、思う筈は、ないのに。
「…ヒイロ?」
不安げなデュオの声。
そちらを見る事を、何かを言う事を、ヒイロは自分でも分からず躊躇って。
「―――デュオ」
そして唐突に聞こえた第三者の声に、デュオもヒイロも肩を大げさに震わせた。
「か、カトル!」
「遅いぞ」
「…トロワも…」
「俺も居るぞ」
「……五飛もか」
デュオが何時もの所に中々来ないから来ちゃった、と言うカトルにデュオはごめんと言いながらちらちらとヒイロの方へ視線を遣る。
「帰らないの?」
かくん、と小首を傾げるカトルにどう言おうかと迷うデュオの視界の端、ノートと筆記具を鞄に入れ、素早く立ち上がるヒイロが見えて。
「ヒイロ!」
慌てて呼び止めるも、ヒイロは足を止めない。
手を伸ばしても、擦り抜けてしまった。
追い掛けようかと迷ったが、カトル達が居る手前、それは躊躇われて。
「何か話してたの?」
「い、いや。宿題について聞いてたんだよ」
「お前がか?」
「ふん、珍しい事もあるものだな」
苦しい言い訳を口にして、デュオも諦めたように自身の鞄を手に取る。
勇気を振り絞って告白したというのに、この仕打ちは一体…。
(…嫌われた、かなぁ)
切なげに瞳を微かに伏せる。
そう考えるのは、怖い。
けれど。
「……ま、勝手に想像して落ち込むってのは、俺の性に合わねぇよな」
ちゃんと聞こう、明日にでも。
それまでは希望を持とう。
自分の気持ちは、ちゃんと伝えたのだから。
「よっしゃ、早く帰ろうぜ!」
「お前が遅いんだ」
意気揚々と言うデュオに対し、五飛の冷静で冷淡な声。
つっめてーなぁ、と言いながらけらけらと笑うデュオの顔に、先ほどの影はない。
それを、後ろからそっと見ていたカトルとトロワ。
安堵したように息を吐く。
「…ちょっと焦っちゃった」
「……俺もだ」
デュオとヒイロ。
水と油のような二人。
そんな彼等の関係が面白くて、けれどデュオがヒイロばかりにかまける事は少しばかり面白くなくて。
そしてまた、偶然耳にした告白を聞いて居ても立っても居られなかった。
デュオの気持ちもヒイロの気持ちも考えず、思いのまま割って入ってしまった。
幼馴染み四人の輪を壊して欲しくないなんて、幼稚な束縛の為に。
嫁をいびる姑か、とカトルとトロワは自分たちの所行を苦みを混ぜて笑った。
「まぁちょっとした意地悪だよ」
ごめんねと言えない代わりにカトルはそう言って優しく微笑んだ。
「そうだな。明日は赤飯か」
トロワも柔らかく笑んで頷く。
彼等は気付いていた。
顔を俯かせて帰ってしまったヒイロの頬。
夕陽よりも明らかに紅かったそれ。
デュオの気持ちは、きっと。
「…明日からは五人か」
「良いね」
「おーい、何話してんだよさっきから!」
「おい、お前達、そろそろこいつの相手をしろ。いい加減鬱陶しい」
「五飛、ヒドッ!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
「何時もの事じゃないか」
そんな明るい四人の姿。
明日その姿が変わるなんて、知っているのはその内の三人で、一人ともう一人は知りもしない。
それでも夕陽はその差に関わらず、彼等の背中を見守るように、優しく照らし続けていた。
20100208
〈奪うほどの気概はない。けど、伝える勇気くらいは持ってるから。〉