野薔薇
[ 茨は血を吸って涙する ]『また明日会えるよ』
そう言った俺にフリオニールは何かを言いかけて。
けれど結局口を噤んで、ちょっとだけ、笑った。
それは酷く切なげな笑顔で、少し、変だなと思ったのに。
(そう、あの時)
俺はまだ君の世界を知らないでいた。
夢のカタチ
ある日、少し遠くまで足を伸ばしてアイテムを取りに行こうという話が夕食時に持ち上がった。
最近一所に塒を定めていた所為か、その周辺では中々アイテムが入手し難くなっていた。
全員一斉に場所を移動できれば良いのだが、生憎、連日連戦が続いており、それを実行に移すには些か厳しい状況だった。
だから取り敢えず回復アイテムだけでも大量に手に入れようと、そこそこ丈夫で元気のある数人が一泊二日で行く事になった。
メンバーはバッツとジタンとティーダ。
その賑やかな面子は、初めての遠征だというのに緊張やプレッシャーはないようで、直ぐ其処に遊びに行くような気軽さできゃいきゃいと騒いでいた。
ライトが見かねて「遠足ではないのだぞ」と注意をするものの、旅人のバッツ、トレジャーハンターのジタン、遊び心満載のティーダと来れば、矢張り心が浮き立つのを抑えられないようで、終始にこやかに準備をしていた。
その夜。
「いっぱい、いーっぱい! フリオにアイテム持って帰ってくるッス!」
「いや、俺の為にじゃ駄目だろう。みんなの為に持って帰ってこなくちゃ」
今回同じテントで寝る事になったティーダとフリオニールは、夜も遅いというのに喋っていた。
ティーダはわくわくとした顔を隠そうとせず、フリオニールに聞いて聞いてと言わんばかりに話を振って、フリオニールも苦笑しながらティーダの好きなようにさせていた。
当然話は明日出発の遠征の話となってくる。
「と言う訳で、明日一日俺居ないッスけど」
「あぁ」
「淋しくて泣いちゃダメッスよ~」
「な、泣くか! それくらいでッ!」
「そんなの明日にならなきゃ分かんないだろー?」
「分かるわッ」
反論されながらも、予想通りのリアクションに満足して笑うティーダ。
顔を真っ赤にしてティーダを睨み付けるフリオニール。
けれどその視線がふと弱まって。
「でも、まぁ……怪我にはほんと、気を付けろよ」
ただのアイテム探しとは言え、そうすんなりとはいかないだろう。
当然イミテーションの妨害もあるだろうし、最悪、カオス側からその動きを察知して誰かが襲撃しに来るかも知れない。
全員が一塊で居れば援護も可能だろうが、行くのは三人のみ。
持って行く分のアイテムも、十分とは言えない。
バッツも行くのが、せめてもの救いだろうか。
「ちゃんと、帰って来なきゃダメだぞ」
怪我は大きくなければそれで良い。
細かい傷は帰ってきてから治してやるから。
もしもの時はアイテムほっぽり出してでも逃げてこい。
変な意地もプライドも要らない。
逃げるのも戦略の内だ。
だから、だから…。
そう言い募るフリオニールに。
「だーいじょーぶッ」
ティーダは、安心させるように特大の笑顔を向けた。
「分かってる。帰ってくるッスよ、此処に。絶対」
過保護にもなりかねないフリオニールの言葉を、ティーダは揶揄する事なく受け入れた。
嬉しいのだ、純粋に。
自分を心配してくれる人がこんなにも近くに居る事。
帰ってこいと言うその言葉。
だからこそ、ティーダは安心して気負う事なく明日此処を発てる。
僅かな時間でも離れる事に不安の色を見せる彼を、どうしてか愛おしいと思いながら。
「また明日会えるよ」
正確には明日の明日だけどね。
そう笑って、ティーダは既に寝る為にバンダナが取り外されていたフリオニールの頭を、彼が時折自分にするようにぐしゃぐしゃと撫でた。
フリオニールは突然の事に一瞬驚いたような顔をして何か言いたげに口を開いたが、言う事はなく、ただ小さく微笑んだだけだった。
その微笑が微かに胸を締め付けた事にティーダは気付いたけれど、理由が分からなかったから、彼はするりと理解する事を放棄した。
そして夜は更け、明けた朝に、ティーダ達は発った。
そうして彼等が帰ってきたのは、発った翌々日の夕方だった。
「いやー、中々三人一塊にってのは難しくってさ、みんながそれぞれ勝手動いちゃって、んで勝手に戦闘始めちゃって、まぁそのお陰で誰が何処に居るのかは分かったんだけど、兎に角合流する所からして時間掛かっちゃって」
こんなに遅くなりました。
へら、と笑ったバッツ。
その横で同じように笑うジタンとティーダ。
聞いて居たライトやセシル、クラウドが、数瞬の沈黙の後。
剣を、抜いた。
「光よ!」
「月に惑え!」
「全てを断ち切る!」
「「「ぎゃ―――――ッ!!!」」」
悲鳴が空に溶けて光が交錯する。
そして。
「―――あまり心配を掛けるんじゃない」
「「「ごめんなさぁい…」」」
制裁を受けた三人は気絶から復活すると、仁王立ちするライトの前で正座させられしょんぼりと項垂れた。
「アイテムを大量に持ち帰ってくれたのは良いが、此方は離れた君達の状況を把握できないんだ。当初の予定に従って帰ってきて貰わなければ困る」
「そーだよ。ティナも心配してたんだから。ねぇ?」
「三人とも…何も、なかった?」
「スコールも黙ったままだけど、本当は今すっごく安心してるんだよ」
「な、お、俺は別に…」
オニオンの勝手な言葉を打ち消そうとするスコールだが、その言葉を聞いた途端、そーかそーかとバッツとジタンはにやりと笑ってスコールを取り囲んだ。
対応に困っているスコールに、自分も加わろうかとティーダは近付こうとしたが、肩を掴まれて阻まれた。
肩越しに振り返れば、セシルだった。
その横には、クラウドも居る。
「ほら、ティーダはフリオニールに会っておいで」
「え?」
「心配してたぞ。お前達が予定通りに帰って来ないから」
「…そっか」
んじゃ行ってくるッス!
ティーダは朗らかに笑うと二人に背を向けて、フリオニールが居るテントへと駆けていく。
それを、セシルとクラウドは、そっと見ていた。
入り口の布をサッと開いて中を覗くと、フリオニールが背中を向けて座っていた。
ティーダはニッと笑うとその背に抱き付いた。
何時ものように。
「フリオッ」
けれど。
「……フリオ?」
フリオニールは振り返ってくれず、声も返してくれない。
何時もなら、何するんだと怒ったように言って、それでもしょうがないなと笑ってくれるのに。
そう言えば出迎えにすら来てくれなかった。
不安を抱きながらティーダはそろそろとフリオニールから身体を離すと、一歩下がって頭を掻いた。
「お、怒ってる、ッスか…?」
帰ってくるの遅かったから…、と言っても、返ってくる言葉はない。
どうして良いか分からなくて、手を伸ばして良いのかすら躊躇った。
言葉を掛けて、また返ってこなかったら。
それはどんなに辛いだろう。
「フリオ…」
縋るような声を出す。
怒らないでとも。
ごめんとすら言えずに。
そんなティーダの声なき想いが届いたのだろうか。
ぴくりとも動かなかったフリオニールがティーダを見た。
ホッとしたのも束の間、ティーダは気付いてしまった。
無表情の中、揺れる、琥珀色の瞳に。
そして彼は、掠れた哀色の声を紡ぎ出す。
「―――…会えなかった」
その言葉と共に、涙が一粒、ぽろり。
「フリ、オ…?」
ぽろり、ぽろり。
流れる涙は止まらない。
そしてフリオニールの表情は悲しみに滲んでいって。
その様子に絶句するティーダに気付かないように、フリオニールは言葉を次々と吐き出していった。
「ティーダの言った明日は何処だ? 俺達何時別れた? 一昨日だ。―――ほら」
明日なんて、なかったじゃないか。
そうして思い出した、あの夜の会話。
あぁそうだ。
確かに言った。
また明日会えるよと。
けれどこれは、どういう訳だ?
「フリオ、兎に角落ち着いて」
言ってもフリオニールは泣き止まない。
小さい子のように泣きじゃくって。
もう言葉こそ発しなかったが、ティーダの言い分を聞く事もしなかった。
(ねぇこんな時どうすれば良い?)
分からない。
分からない。
どうしよう。
(だって俺にはフリオニールが悲しんでいる理由すら分からないのに)
そうしてティーダはおろおろするばかり。
こういう時に限って誰もこのテントを訪れはせず、そして夜はどんどん更けていく。
そんな中、フリオニールはある瞬間にことりと眠りの世界へ旅立った。
その泣き濡れた寝顔を、ティーダは呆然と見詰めるしか、なくて。
「ねぇ、フリオ、どーしちゃったんだろう…」
いっぱいいっぱい考えて、けれど自分だけでは最後まで結論を出せなかった。
どうしてあぁなったのかも。
どうすれば良かったのかも。
だからティーダは少しの間行動を共にし、互いの事を良く知っているセシルとクラウドに相談する事にした。
彼等なら何か答えをくれる気がして。
二人はフリオニールの状態を知っていたのか、泣いた事を聞いても驚きはしなかった。
少しの沈黙の後、ぽつりとセシルが呟いた。
「…また明日会える、か」
それはちょっと、きつかったかもね。
そう苦笑するセシルにクラウドはどういう事だと疑念の視線を遣り、ティーダはそれに食い付いた。
「どういう事? セシル、何か知ってるッスか?」
酷く真剣で、その癖酷く傷付いた顔。
知りたいという欲求と、何故自分は知らないんだろうという絶望が、綯い交ぜになったような。
友情に厚いだけと言ってしまうには、ティーダの様子は必死すぎて。
(…知ってる)
この太陽の子が夢見る青年に恋してる事。
けれど本人はその事に気付いていないし、想われている方はもっと鈍感だから気付けない。
(早く気付いて)
そして彼を守ってあげてね、とセシルは優しくティーダの太陽の色をした髪を撫でた。
ティーダはその意味を全く分かっていなかったけれど、傷付いた表情は撫でる毎に薄れていった。
それを目にして、セシルは少しずつ語り始めた。
「…フリオニールが元々居た世界って、どうも戦争中だったらしいんだ」
カオスの側に居る皇帝が率いる大勢の軍隊を相手にして、戦ってたって。
その中で、いっぱいいっぱい人が死んで…仲間が、死んでいったんだって。
「そんな…」
「……」
フリオニールの明るさから程遠い暗く重い話に、ティーダとクラウドは目を見開き痛みに耐えるように手を握り唇を噛んだ。
「だから、フリオニールにとって〈明日〉っていうのは、当然あるべきものじゃなかったと思うんだ」
今を生き抜く事が義務みたいな世界だったよ、と何時か寂しげに語った義士。
次の約束なんてない。
しても零れていった仲間の命。
約束はただ哀しいだけで、力になってはくれない。
『仲間が死ぬのは…もう、嫌だよ』
そんな世界では、確かに明日なんて不確かなものはないに等しいのだろう。
思わぬ世界を生き抜いてきた彼を思って、口を閉ざし彼等は切なさと苦しさに沈み込む。
「……だからか」
その中で、突然そう呟いたのはクラウドだった。
何かの疑問が氷解したように、納得した顔をしていた。
何の事?、と首を傾けるセシルに、クラウドは。
「あいつが〈のばら〉に固執する理由だ」
ずっと思っていた事だ、と前置いて。
「のばらは普通、誰かが栽培してやらなくちゃいけないものじゃない」
のばらとは強かな植物だ。
刈り取っても刈り取っても、根本から命を増やしていく。
自然と生えるもので、そして自然に育っていく、そんな植物。
「けれどそんな〈のばら〉が、あいつの夢だと言う」
それにセシルは僅かに目を見開き、了解したように頷いた。
けれどティーダは依然として分からない。
その苛立ちが顔に出たのか、クラウドが辛抱強く更に言葉を重ねる。
「ティーダ。雑草は誰かの力を借りて育っているか? 人間が手入れをし、水をやり、そうして育っていくものか? …そうじゃないだろう。のばらも、そう言う種類の植物なんだ」
思い至ったようにティーダが息を呑む。
驚愕が、表情に覗いて。
「そうまでしないと、のばらが育たない、から…?」
フリオニールの世界。
もうのばらすら自然に生えない世界。
それはどんな世界だとティーダは愕然とした。
想像なんて出来ない。
分からない。
だってティーダは、そんな世界を知らないから。
「…お、れ…」
なのに自分は何を言った。
また明日会えるよ、なんて。
「……フリオ、傷付けちゃった…」
安易に、そんな事を。
多分今日は混乱してるだけだから、明日になればきっと「お帰り」って言ってくれるよ、と言うセシルの言葉に背を押されて、ティーダはフリオニールが眠るテントまで帰ってきた。
そっと入ればフリオニールはやっぱり眠っていて、けれどその目尻には新しく流された涙が光っていた。
伝うそれを、ティーダは拭う。
溢れればその度に。
何度も何度も、自分の指を濡らし続けて。
(……フリオ)
呼び掛けは、そっと心に零された。
(守るよ)
君の夢、君自身を。
(その涙すら、守るから)
「だから…――」
その先の言葉は、夜の帷に消えていく。
ティーダはその行き先をじっと見て、目蓋を、閉じた。
20100325
〈祈ることしか、できないなんて。 〉