ソレイユの譚歌

[ 太陽は昇る。雨は止む。今じゃなくても、何時かは。 ]



(のばら)

 それは唯一俺の過去とリンクするもの。
 分かっているのは、何があっても手放してはいけない事。
 守らねばならない事だけだった。

(あぁ、そうだ…守らなければ、ならなかったのに)

 奪われてしまった。
 追いかけた背。
 口端を歪めた冷笑。
 攻撃は尽く跳ね返され。
 傷付いたのは己だけ。

「―――クソ…ッ!!」

 情けない。
 情けない。
 ギリと噛む唇よりもただそう繰り返す心が痛い。
 その痛みを放散させるように息を吐いて。
 目蓋を、閉じた。

(…どうして)

 大切なものは、何時も指をすり抜けていくのだろう。

(今守らなければならないのは、たった一つだけなのに)

 握り締めるこの手には、それすらない。





  世界は君を愛してる





 朝も昼も夜も、此処にはない。
 それでも自分以外の二人がまだ寝ているという事は朝ではない何時かなのだろうと、微かに流れる風を感じながら思う。
 自分一人だけが寝てない訳じゃない。
 セシルとティーダと俺は、互いにおやすみを言い合って眠った。

(…ただ、俺だけ早々に目が醒めてしまっただけで)

 そう思って瞑った目蓋の裏に蘇る、幾度となく見た夢の情景。
 喉が、体が、震え出す。

「―――っ」

 長い銀髪の男。
 氷のように冷たい美貌。
 手に身の丈程もある長刀を握り、零された嘲りの言葉と笑み。
 そして奪われた。
 何一つ出来ず。
 残ったものは、心に穴が開いたような空虚な感覚だけ。

(その繰り返しだ…!)

 怖かった。
 耐え難い喪失感を何度も何度も味わう事が。
 まるで夢を見る度、道を照らしてくれていた灯火を吹き消されるようで。

(もう、嫌だ…)

 喪う事も。
 奪われる事も。
 なのにまた、夢に見て。

(寝るのが、……怖い)

 戦いの中にはない恐怖。
 それをどうして良いか分からなくて、それでも寝ない事を選択する事は出来ないから眠りに就き、そして悪夢を見て飛び起きる。
 毎日それの繰り返し。

(…怖いんだ…っ…)

 恐怖は涙となって流れ出る。
 それを止めようとは思わなかった。
 声を殺した。
 震えを殺した。
 だからそれ以上、心まで殺す事は出来なくて。

(誰か…)

 ―――…助けて…。

 戦慄くその声に、応えるように。

「……フリオ?」
「―――!」

 振り返りはしなかった。
 それでも、その呼び方その声で、誰であるか分からないはずはなくて。

(ティーダ…)

「こんな所で、何してんスか?」

 起きたらフリオ居なくてびっくりしたッスよと、何でもない事のように言うから、驚いた所為で止まった涙を拭って小さく笑う。
 ティーダが気付いているかいないかは、その声の様子からは分からない。
 それでも今の俺にはその距離が丁度良いように思えて、だからティーダに何も言わない事にした。
 言えばきっと太陽のように明るいティーダの表情が曇ってしまう。

(そんな事、望んでない)

 声を掛けてくれただけで充分だった。

「…直ぐ、戻る…」

 それでも恐怖と涙で強張った喉は思ったように言葉を吐いてくれないから、ぶっきらぼうにただ単語だけで返事をして、納得してくれればと願った。
 けれど。

「…フリオってば水臭いなー」

 少しの後苦笑を滲ませてそう言われ、聞き返す前に、とん、という軽い衝撃と共に感じた重さ。
 見なくても分かる。
 ティーダが俺の背中に寄りかかっていた。

「……ティーダ?」

 何するんだと、俺が言うのを遮るように。

「〈のばら〉、ッスか?」

 ティーダは迷いなくそれを口にした。
 対し俺は一瞬止まった息を細く吐き出しただけ。
 驚きは、しなかった。

(……なんとなく、気付いてたから)

 人に隠し事をするのが苦手な自分だ。
 隠し通せている筈は、ないと。
 それでも一度だって気付いた素振りを見せなかったセシルとティーダ。
 共に暮らす中でそれは如何程に難しい事だっただろうと彼らに感謝しながら、それでも俺は無言を貫いた。
 認めてしまえば、俺はもっと許せない。

(……許せない?)

 心の中に唐突に出てきたその言葉に息を呑む。

(何、を…?)

 呆然とした。
 それに気付かないティーダが、口を開いて。

「フリオは一生懸命戦ったと思う」

 聞こえた声はティーダ本来の明るい口調はそのままで、でも決して軽くはない、本当にそう思っているんだと教えてくれる重みのある声だった。
 でも、心の蟠りは消えない。
 益々分からず混乱する俺の耳に飛び込んだ、ティーダの言葉。

「それでもフリオは許せない? ―――〈のばら〉を奪われた、自分が」

 息が止まる。
 体が強張る。
 鼓動が跳ねた。
 それらは全て、一瞬で。

(――…あぁ)

「フリオはずっと、そんな顔ばかりしてるッス」

(……そうだ)

「自分を責めてる顔ばっかり」

(…そう、だった)

 思い出す。
 自分が夢を忌避する、本当の理由。

(自分が、許せないから)

 忘れていたのが不思議な程、純粋な憎しみは己に向いていたのに。

「フリオが〈のばら〉を取り返そうとして頑張った事、俺もセシルも、ウォーリアだって知ってる」

 不意にティーダの声が不貞腐れた子どものそれにとって変わった。

「なのにフリオは、頑張った事よりも失敗した事ばっかり考えててさ」

(……あぁ、そうかもしれない)

 傷付いた俺を心配してくれた、セシルとティーダ。
 俺に代わって〈のばら〉を取り戻す為に戦ってくれた、ウォーリア。
 嬉しかった。
 そう、確かに。
 それでも。

(どうして、許せる)

 幾ら考えてもダメなんだ。
 どうしたってどうしても自分が許せない。
 夢を見る度、何度だって考える。
 あの時こうしていたら何か違ったんじゃないかって。
 自分がもう少し強かったら。
 もっと、強かったら。

(のばらを、奪われはしなかったのに)

 怖かったのは〈のばら〉を喪った事じゃない。
 己の弱さと、相対する事。

(俺が弱かった所為で)

 ずっとその想いが胸にある。
 黒い雲みたいな、重い澱み。

(それを認めるのは、辛いから)

 だから逃げたんだ。
 見当違いな言い訳をして、夢から目を逸らして。

(……本当に俺は、弱いな)

 力だけじゃない。
 心すらこれ程までに弱い。
 これでは負けて当たり前だと自嘲する俺の背から、ティーダの声が聞こえた。

「でも、フリオには無理だろーなー」

 それはまるで笑い飛ばすような明るい声。
 何時もの、ティーダの。

「真面目だから、なんでも自分で抱え込んで、落ち度は全部自分の所為」

(あぁ、なのに)

「―――大切な仲間の大事なモンを守れなかったのは、俺達だって同じなのにさ」

 そんな事を、言うから。

(ティーダ…!)

 違うんだと叫びたかった。
 〈のばら〉は俺が守るべきもので、お前達が傷付く必要はないんだと言いたかった。
 けれどそれが口を突く事はなかった。

(だってそれは、拒絶の言葉に等しい)

 優しい声。
 温かな熱。
 預けられた重み。
 それらは、こんな俺を受け止めてくれている証なんだ。

(それでどうして、仲間に関わるなと突き放す言葉が言えるだろう)

 そう微かに震えた俺にティーダは更に体重をかけて、だからさ、と笑った。

「フリオが自分を許せないってんなら、俺が許してあげるッス」

 まるで歌を口ずさむような。

「自分が頑張ったんだって思えないんだったら、俺が頑張ったんだって、フリオを褒めてあげるから」

 そんな軽やかな声で、ティーダは寛恕の言葉を口にした。
 知らず、俺は唇を噛み締めていて。

(…そうしなければ、堰き止められなくて)

 流れ出てしまう。
 何も、かもが。

(けれど)

「笑って、フリオ」

 今じゃなくて良い。
 けれど、涙が枯れたその後は。

「フリオの笑顔、俺、大好きだからさ」

 背中越しの言葉。
 なのに、ティーダが優しく笑っているのが分かって。

(……馬鹿)

 心の中で呟いて、膝頭に額をくっつけた。

(そんなに優しく言われたら、…笑え、ない)

 だってほら。
 折角止まった筈のものが、また頬を伝ってく。
 それを知られたくなくて声を噛み殺した。
 背中がくっついているのだから、それは本当に無駄な努力なのだけど。

「フリオニール」

 明るい声。
 太陽、みたいな。

「想いが強ければ、何だって叶うんだ」

 だから俺は願うよ。

「明日が、晴れるように」

 思わぬ言葉の連続に、あぁけれど妙に納得できてしまうのは何故だろう。
 そう涙を零しながら、くすりと笑う。

(…あぁ、そうだな)

 涙はまだ止まらない。
 黒い雲もまだ少し残ってる。
 けれど明日には、きっと。

(ティーダが言うなら)

 本当にそうなるだろうと、思った。





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 20090516
〈しばらくスコールとクラウドの出番はないッス!とケラケラと笑ったティーダ。こっそり隠れて見ていた二人の内一人に大ダメージ。〉





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