Narcissus Jonquilla

[ 静かな夜、貴方の隣 ]



 永き世の (とお)(ねぶ)りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな





  良い夢を





 わぁ雪だ、と(はしゃ)ぐ声に窓を見る。
 確かに外には雪が降っていて、だから、あぁ雪だな、とただ肯定すれば、窓の外の銀世界を凝視していた彼が振り返り、頬をぷくりと膨らませた。

「どうした?」

 恨めしそうなその顔にそう問えば。

「……なんでもなーい」

 そこに、言っても無駄だ、というような響きと、そしてその裏に何か蒼ざめたような色が含まれている事に敏く気付き、ライトは不意に悪戯心を沸き立たせた。
 再度窓の外に眼を向けた彼の背後にすっと寄ると、耳元で低く囁いてやる。

「フリオニール」
「ゎ…っ」

 耳朶に響いた甘い声に、ぴくんとフリオニールは肩を震わせ、頬を一瞬で薄桃に染めらせた。
 耳と、そういった類のライトの声が苦手だと知っている癖に、とライトを振り返り睨むフリオニールの瞳は薄く涙が張っていて、それにライトは溜飲を下げて満足気に小さく笑むと、フリオニールの腰に腕を回して「済まない」と長い銀糸に額に頬にとキスの雨を降らせる。
 最初はむぅと拗ねていたフリオニールも、優しいそれにだんだんと絆されていく。
 終いには擽ったさを訴えて、曲げていた唇を笑みへと結んで。

「降参、こーさんっ」

 声を上げれば、ライトも嫌がるまでは本意ではないと直ぐに止め、笑むフリオニールを優しく見る。
 しかしさっきの台詞に含まれた、諦めの響きの理由を知りたくて。

「先程はどうした? 何か気に触ったか?」

 そう、問えば。

「え、あっ、違うんだ」

 フリオニールはライトから視線を逃して彷徨わせる。

「そうじゃ、なくて…」

 徐々に俯き口篭ってしまったフリオニール。
 その理由を知らないまでも、眉宇に漂う不安や哀しみ等の感情を汲み取って、ライトはまた優しく優しく口付けた。

「無理に聞こうとは思わない。言いたくないのなら、良い」

 本音を言えば知りたい。
 それでも、その願望を押し通してフリオニールが傷付くのであれば、知ろうとは思わない。
 ライトの言葉に、フリオニールはまた少しだけ瞳に涙を滲ませた。
 ありがとう、と唇の動きだけが伝えてくる。
 愛おしくて、またキスをした。





 寂しかったんだ、と共にベッドに入り、珍しくも甘えるように自分からライトの首に腕を回したフリオニールは言う。
 ライトの肩に顔を埋め、また言った。
 寂しかったんだと。

「何故?」

 何か私がしただろうかと無理矢理顔を覗き込もうとはせず、ただゆったりと髪を撫でるライトに首を振り、フリオニールは小さく小さく呟いた。

「…夢をみた」

 と、ただ、それだけを。
 どのような、とは、今日のフリオニールの様子を見れば聞く事は躊躇われて、しかし何かを吹っ切ったのか、フリオニールは今度は口を閉ざさず言葉を続ける。

「貴方が、俺から離れていく夢だったよ」

 それでも、声の震えは、隠しようがなくて。

「フリオニール」
「分かってる。分かってるんだ、夢だって」

 でも哀しくてしょうがないんだ。
 年が開けて最初の夢が、初夢が、そんな夢だった事が哀しくてしょうがない。
 別れたくなんかないのに、離れたくなんかないのに。
 そんな一年になってしまいそうで怖いんだ。
 共感できない想いが増えていって、俺の側に居るのが飽きてしまうような。
 そんな一年になってしまいそうで。

「そん、なの、…やだ」

 そう言いながら、震えはどんどん顕著になっていく。
 声も体も、震えて止まらない。
 摺り寄せる頬が濡れ、同時にライトの肩も濡れてゆく。
 分かっているとフリオニールは繰り返す。
 その言葉を、震えと涙が粉々に打ち消して。
 啜り泣きの声が夜特有の静けさに響いて消える。
 寂しいと呟いたフリオニールが憐れで、その裏返しが自分の傍にいたいのだという想いであるとも分かるから。

「フリオニール…」

 ライトは髪を撫でていた手で腕で、フリオニールを抱き締めた。
 此処に居ると分からせるように抱いて、宥めるように言う。

「一つ君に教えよう、フリオニール」
「…ぅん?」
「初夢とは、元日の夢もそうだが、二日の夜にみる夢を指す場合もあるらしい」
「………そ、なの…?」

 漸く顔を上げたフリオニール、涙を溜めた睫毛をぱちぱちと瞬かせながら首を傾げる稚い様子に、ライトはからかうでもなく「あぁ」と優しく微笑んだ。

「だから昨夜の夢に気に病む事はない。今夜、幸せな夢を見れば良い」

 其処に私が居れば、私としても願ってもない事だが。

 言ってライトはフリオニールの額に目尻にキスを落とす。
 お(まじな)いだと言って、何度も。
 フリオニールは知らされた事実にぼんやりとしていたが、やがて気が抜けたかのようにくすくす笑い出した。
 そして「擽ったいって」と、夕方の遣り取りを繰り返す。
 そうして笑ったフリオニールが、何時もの彼であったから。

「昨日の夢、今日みるかもしれない夢…何方を信じるかは君の勝手だが、私としては今宵の夢が良い夢であると、私が出る夢である事を願う」

 そう言うライトに、フリオニールは「固いんだから…」と小さく笑って。
 ぎゅ、と抱き付く。
 早鐘の心音が、ライトに伝わる。
 それを知るのか知らないのか、フリオニールは俯いたまま。

「絶対絶対…夢に、出てきて」

 そうしたら今夜は幸せな夢になる筈だからと、くぐもった願いの声。

「出てこなかったら?」
「恨んでやる」

 間髪なく返ってきた言葉に笑う。
 フリオニールも笑った気配がして、微かに見える耳が赤い果実のようだったから。

「ならば君の想いに応えよう」

 楽しげに言って耳を食む。
 フリオニールは驚いた表情と何かを耐える表情、恥ずかしげな表情を混ぜ合わせた表情を晒した顔を上げ、反省の色の見えないライトを睨んで、笑った。
 其処に不安の色はない。
 安堵とそして、愛しているという想いだけ。
 気付いてライトはキスをする。
 額でなく髪でなく、頬でなく目尻でもなく。
 愛を紡ぎ想いを零す唇に。
 離れないという誓い、彼への想い、全て全てを含んで深く。
 その深さだけ、愛しているんだと言うように。





 愛していると繰り返す。
 不安になるのなら何度でも。
 大丈夫だと囁くから。
 私の大事なお姫様。
 どうかどうか良い夢を。
 夢の中でも会いましょう。
 貴方の愛に、応える為に。





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 20110102
〈貴方の柔らかな寝息が子守唄。〉





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