白き華

[ 散るは花だけと覚ゆる事なかれ ]



 鞘を抜いた状態の、正に白刃そのもののような御子だった。
 容姿は冬の厳しさと雪の儚さを思わせ、双眸は夜明けの色を想起させた。
 視線は零下の剣。
 言葉は磨かれた氷柱(つらら)にも似た。
 兎角、冬の似合うお方だった。

(……あぁ、だが)

 蒼空を見上げて思い出す。
 それは確か、彼の公子が御年十二の春。
 あの事件の前の年の事。





「清苑様」

 毎年この月には花見がある。
 高官は元より、六部の長官次官、朝廷三師、王も参席する春の宴。
 桜は見事咲き誇り、匂い立つ。
 昊はその日を待ちかねたように蒼かった。
 その下を通る旺季は、第二公子の名を時偶思い出したように呼びながら、探すように彼方此方を見渡していた。

「どちらへ行かれた…?」

 宴の席から歩いてきてそこそこの時間が経っている。
 後少しでまた宮城へ辿り着いてしまうが、探す人影は何処にもない。

「春の宴を欠席されるおつもりだろうか」

 春の宴。
 そう一言に言いはしても、高官が集まる場所。
 となれば、情報収集に打って付けであり、またあわよくば懇意にすらなれる場所でもある。
 公子はその宴で自分をどれ程売り込めるかを競うのが密かに通例となっていた。
 ただ出席できるのは公子だけで母親やその親族が来る事は出来ない為、自身の力のみで勝負できる公子が如何ほど居るかを官吏達が裁定する場でもあった。
 当然、清苑もその席に呼ばれている。
 しかし始まる寸前になっても姿を現さない。
 官吏もそれに気付き始め、ざわめきは大きくなるばかり。
 そこで旺季自らが席を立ったのだが。

「一体何処へ…」

 その呟きの先は、サァサァと風に揺れる桜花に奪われた。
 見上げれば散る薄紅の花瓣。
 昊に映えるその様が、旺季は何故か好きだった。
 散り行くその姿が綺麗だと思った。

(美しい…)

 目を細め、そう心に零した、その時。

「――――」

 旺季は目的の人物を見付けた。
 清苑だ。
 しかし何故。

「……樹の上に…?」

 旺季はゆっくりと清苑が上る樹に近寄った。
 相当な年月を経たのだろうと分かる大きな幹から伸びる太い枝は、子どもならば楽々座れる幅があった。
 清苑は危なげなく座り、昊を見ているようだった。
 その樹の根元まで近付いた旺季は、しかし見上げる清苑が先程からぴくりとも動かない事に気が付いていた。
 旺季の存在に気付いている上で気に留めていないのだろうか。
 それとも何かに集中していて全く気付いていないのか。
 もしくは、何かあったのか。
 最後の考えに心をざわめかせて名を呼ぼうと旺季は口を開けたのだが、結局それは声にならなかった。

  サアァァ…――ッ

 枝が揺れる。
 何百、何千と在る枝が。
 桜の雪が散華する。
 それはいっそ幻想のように美しい。
 何かに共鳴するように、風もなく、一帯に花雨が降り注ぐ、その様は。

(声に出せば、毀れてしまう)

 何かがそれを押し留めた。
 瞬きを忘れ、息を忘れ、自分という存在を忘れかけた時。
 旺季はふと清苑を見た。
 何かの拍子に顔の向きが変わってか、先程は見えなかったその玉顔。
 見えたそれに、旺季は一瞬惚けた後、柔らかく優しく微笑んだ。

(……守りましょう、清苑様)

 花の雨はまだ止まない。
 桜の樹は揺れ続け、それは何処か唄のよう。
 樹々はその姿を隠すように重なり合い、強い風を受けては返す。
 旺季は声を出さず、物音を立てず、ただ其処に居た。

(春も、お似合いでいらっしゃる)

 うっすらとその時に溶け込むように、佇んで。





 清苑はその中で、揺り籠の中に眠る幼子のような顔をして、眠りを揺蕩っていた。





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 20100401
〈風の子守唄、木の揺り篭、束の間の夢。〉





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