daydream
[ 人の、夢 ]茹だるような暑い日だった。
暑い熱いと思って町中を歩いていた。
何か親父に頼まれた用事で外に出ていた気がするけど、もう暑さで何が何だか分からなくなった。
そしたら、目の前にゆらりと現れた白い影。
いや、白と言うには何か不純物が混じってる。
淡い淡い紫色みたいだ。
その時俺はそう思って、そして何故だか陽炎だと思ったんだ。
暑すぎると現れる、幻のようなもの。
何故かそう思い込んで、けれどこれ程までに近いなら捕まえられると、今となってはよく分からない理由で手を伸ばしてみた。
ら。
捕まえられたんだ。
当たり前だ。
「タンタン君?」
俺が捕まえたのは、実在の人物だったんだから。
儚
「タンタン君が自ら私に声を掛けるなんて、珍しい事もあるものですねぇ」
明日は雪でしょうか、なんて、この暑さの中汗一つかいていない顔で茶を飲む目の前の美青年は、のほほんとそう笑って見せた。
「…だろうよ」
それに反論することなく、いや、出来る筈もなく、蘇芳はただそう頷いて机に張り付いた。
一瞬冷たかった木製の机も、蘇芳の身体の内に籠もった熱を吸って熱くなる。
うんざりしながら蘇芳は顔を上げて頬杖を突いた。
真正面に座る相手の顔は、絶対に見ない。
(あーあ、何でこんな事に…)
さっき彼が言ったのは真実で、蘇芳が能動的に彼に声を掛けるなんて珍しい事以外の何者でもない。
だからこそ蘇芳は溜息を吐いて、そして見ようとしなかった対面する相手の顔をじっと見た。
その視線に気付いているのかいないのか、兎に角相手は蘇芳の顔を見てなくて。
それも良いと、それでも良いと、蘇芳はぶっきらぼうに呼び掛けた。
「…あんた」
「え?」
視線が移る。
ようやっとこっちを向いた相手に、何処か心が小さく波打ったのに気が付きながら、蘇芳は綺麗にその動揺を掻き消した。
だから目を瞬かせる相手にそれを知られる事は一生ない。
そして平然とした顔で。
「あんた本当は、俺が傍にいるって、知ってたろ」
だから出会い頭の驚いた表情は演技じゃないのかと聞く蘇芳に。
「―――えぇ」
笑みは崩れない。
ゆったりと質量を増し。
ただ深まって。
ただ、綺麗。
(……
僅かに眉根を寄せ、蘇芳は。
(だから明日きっと、雪が降るんだろう)
目を瞑る。
耳を塞ぐ。
闇を、視る。
陽炎だと思ったんだ。
陽炎とは儚いもの、捕らえ所のないもの。
だから自分が今視るそれは真実違う事なく其れなのだろうと。
(だって俺が見たそれは、今にも毀れてしまいそうな貌をしてたから)
きっと嘘だ。
俺に気付いてた、なんて彼は肯定したけれど。
気付いていたなら、あんな顔は絶対しないと言い切れる。
あんたはそう言う奴だから。
弱味になるような言葉も行動も、表情だってしない奴だよ。
(あぁ、だから)
陽炎だと、思ったんだ。
手を伸ばせば消えてしまいそうな彼。
だからこそ今なら捕まえられると夢を見た。
悪夢だ。
悪い悪い、白昼夢。
(……ったく)
嫌な夢を見たものだ。
嫌な幻を見たものだ。
(夢も幻も、この手では掴めない)
何も掴んでいない手を握る。
空を握る。
(……分かってた)
夢と幻と同じように、彼が、俺なんかに捕まるような奴でない事も。
(…分かってたのに)
手を壁に打ち付けて自分を傷付けてしまいたい衝動を堪える。
辛うじて、指が食い込む程手を握る事で。
そんな事をしてまで何を守りたいだろう。
自分の身が可愛い訳では決してない。
なのに今更。
今更だ。
(自分は何を、畏れているんだろう)
壊れる友情もなければ、ただ朽ちていく想いしかないのに?
「………馬鹿みてぇ」
舌打ちを零しかねない顔で蘇芳はただ闇を視た。
そしてただ。
「タンタン君?」
聞こえる彼の声に揺れ動いた心を眉間の皺を増やす事で耐えて。
(本当に、雪が降れば良いのに)
ただただ強く、そう願った。
(―――そうして目の前にいる陽炎なんか跡形もなく消してしまえ)
20100601
〈あぁいっそ、全てを夏の暑さの所為にしてしまおうか。(だから俺は悪くない、なんて。俺は一体誰に言い訳しているんだろう) 〉