大人であるという事
[ he can't cry ]じっと真田は己の手を見る。
今朝天田の頭に触った手。
そして拒絶された、手を。
(…あれでは、駄目か)
あの時天田の瞳に灯った焔。
苛立ちと嫉妬の綯い交ぜになったような。
それは酷く、真田に訳の分からない焦燥を抱かせた。
(大人になりたい、か)
ふと、思う。
ある時から大人になりたいとせっついて、背丈や力に拘り始めたあの頃。
小さな自分の身体が嫌で自分より大きな彼を良く見詰めたものだった。
その時自分は、気付かないうちにあんな瞳をしていたのだろうか。
(…それをあいつは、どんな気持ちで受け止めていたのだろうか)
自分が小さい事、力のない事、大人でなく子どもである事。
それに嫌悪と焦燥と絶望が付き纏うのは誰にでもある事だ。
誰もが経験する事だ。
天田があの瞳で見上げた真田も、例外ではない。
きっと真田が見上げた彼も、それに漏れた筈はない。
(そして願わずとも、俺達は大人に成らざるを得ないのに)
そうして意識した上での大人らしさの装いは、偽であって真ではない。
どうしても齟齬を生む。
何かに気付けず、生まれた筈の何かが壊れていく。
それに天田は気付かない。
まだ、気付けない。
真田が、そうであったように。
だから真田は天田に子どもであるようにと諭したかった。
自分と同じようになって欲しくなかった。
真田がその齟齬で見失っていた大切さに気付くのは、何時だって喪った後だったから。
(――…なぁ)
呼びかける。
(俺には、お前が居た)
嘗ての友―――いや。
(背伸びをして無理矢理大人になろうとする俺を、子どもに戻してくれるお前が居たのに)
今でも、真田の親友は彼一人。
その彼の面影を思い出して。
(天田には、誰もいなかったんだ)
真田は、そっと息を吐いて、その言葉を噛み締める。
『お前の所為じゃないんだ』
そう心の中で言う事も出来ず止まった傍白に、真田は。
「まだ俺が子どもで居られたなら、勇敢と無謀の、優しさと残酷さの違いを弁えずに言えたものを」
そして。
「戻ってきて欲しいと、返してくれと…神にでも何にでも、願ったのに」
笑う。
笑う。
苦く重く辛い言葉と共に。
(天田が躍起になって手放したがっているもの)
それは真田が熱望しているものと同じだ。
同じ形同じ重さ同じ価値のそれ。
…けれど、もう。
「―――…俺は子どもじゃ、ないから」
喪ったものは、もう、この手には戻らない。
どれだけ嘆いても嫌でも取り戻したくても。
戻らない事を知っている事。
その重みに気付いている事。
あぁそれがきっと。
(大人であると、いう事なのだろう)
20091123
〈泣けないまま、彼は、ただ。〉