砕け散る涙の反作用

[ どっちもどっち ]



 長い間傍に居なかった反動なのか何なのか、出戻ってきた荒垣に対する真田の行動は、明らかに幼児がえりとも言うべきものだった。

「シンジ」
「……んだよ」
「一緒に寝よう」

 至極当然だとでも言うように笑って言われた言葉に荒垣は僅かに顔を顰めて頭を悩ませ、残念ながら居残っていた下級生達は途端飲んでいた物食べていた物を吐かないよう、手で口を押さえなければならなかった。
 言葉もなく目を見開かせる事で驚愕を示した下級生達を構う訳にもいかず、取り合えず荒垣は横目でそれを知りながらも真田を優先させる事にした。
 このまま放って置けばこれ以上変な事を言い出しかねない。

「嫌だ」

 だからはっきり口に出して断ってやったのだが。

「何故だ?」

 本当に本当に、意味が分からない、と言いたげに首を傾げた真田。

「前まで一緒に寝てたじゃないか」

 また一段と下級生達の目が大きくなる。
 何処まで大きくなるかと興味はあるが、今するべきは荒垣自身の保身だった。
 このままでは〈寮を出るまでずっと幼馴染みと一緒に寝ていた男子高校生〉と噂されてしまう。
 真っ平ごめんだ。

「何時の話だ。施設ン頃まで遡るじゃねぇか」
「それも〈前まで〉だろ」
「前過ぎるわ馬鹿」
「間違ってないのに…」
「間違いじゃねぇが、適切でもねぇだろ」
「うー…」

 唇を咬む真田に、何時もの面影はない。
 本当に、子どもの顔。
 そして。

「も、良い。シンジの馬鹿」

 その行動もまた、子どもそのものだった。
 暴言を吐き、真田は曲がれ右をしたかと思うと、真っ直ぐに階段の方へと歩き、上がって行ってしまったのだ。

「……相変わらず餓鬼だな」

 ったくしょうがねぇな、と口を付けていた飲料水をまた口に含むと、放置していた下級生達の視線に気付いた。

「何だ?」

 慣れない荒垣の眼光に戦いたのか、ちらほらと逸らされる視線もある中、みんなからリーダーと認識される蒼髪の彼が口を開いた。

「追わなくて良いんですか?」

 拗ねてましたけど、完璧に。

 何時も通り飄々とした物言いに荒垣はヒラヒラと手を振って応える。

「構うこたねぇ。どうせ直ぐ直る」

 そうして一歩も動こうとせず、雑誌を読み続ける荒垣を見て、意識が此方に向いていないと思ったのか、さっきは何も言わなかった岳羽や山岸が小さな声でしゃべり出す。

「真田先輩、子どもみたいだったねー」
「うん。何時もはあまり表情を崩さない人だけど、笑うとすっごく可愛いんだね」
「あ、それ思った。荒垣先輩とまた暮らせるのが、凄く嬉しいんだよ、きっと…」

 きゃいきゃいと笑う彼女らの言葉を、荒垣は雑誌の字面を眺めながら聞いていた。
 その中で、不意に引っかかる事があった。

(あまり表情を崩さない…?)

 あんなに分かりやすい奴も居ないだろうと思うのだが、違うのだろうか。
 自分が上級生である事を自覚してか?
 それとも、ただ偶々その表情を見る機会が多かっただけかも知れない。
 分からないが、何か少し、引っかかる。
 と、視線を動かすという小細工を忘れた頃。

「…荒垣さん」

 一際小さな人影が、荒垣を呼ぶ。

「…何だ」

 それが誰かを知っているから、荒垣は今度は視線を雑誌から逸らす事なく、聞いた。
 そう、すれば。

「行ってあげてください」

 真田さんの処へ。

 そう、言われた。

「何故かと言えば、理由は簡単です」

 大人びた、と言うか、大人ぶった言葉遣い。

「真田さんはきっと貴方を待ってる」

 けれどその子は子どもなのだ。

「…そうです、今の真田さんはまるきり子どもだ」

 まだ子どもなのだ。

「だから、分かるんです」

 未だに親を恋しく思う事が許される筈の、

「真田さんは、貴方を、待ってるんです」

 子ども、なのだと。





  キィ…

 ノックもせずドアを開ける。
 それを咎める声は、なかった。
 真っ暗の中、月の明かりでベッドが膨らんでいる事を知る。
 何かに躓かないように、何かを倒さないようにだけ気をつけて、無遠慮に歩み寄ってベッドの脇に立つ。
 僅かに銀髪が食み出ていた。

「アキ…」

 呼べど応えず。
 寝たか、と思い踵を返そうとした時。

  ガバッ

「ぅわっ…」

 布団を被ったおばけに抱き付かれた。

「えへへ、騙されたな、シンジ!」

 その顔は笑ってて。
 でも目尻にまだ、残ってたから。

「…アキ」

 そっと拭う。
 ハッと目を見開いたアキは、けれどまた笑おうとして。
 失敗、した。

「見、ない、で…」
「アキ」

 離れようとしたアキを、俺は離さない。

「ヤダ、やだ、よ」
「…何でだよ」

 こうして欲しいと願ったんじゃないのか。
 俺と一緒にいたいと言ったじゃないか。
 そう聞く、俺に。

「良い子にしてなきゃ、また、どっか行っちゃう…ッ」

 だから泣かない。
 弱い所は見せない。
 だから離して。
 お願い。
 強くなるから。
 良い子に、してるから。

 しゃくり上げるアキを、殊更強く抱き締めた。

「アキ―――」

 もう行かねぇよ。
 もう離れない。
 何しても良い、泣いたって良い。
 弱くて良いよ。
 俺が守るから。
 最後まで、お前を守るから。
 だからアキ。

「離せなんて、言うな」

 俺の我が儘を聞いてくれ。





 泣き疲れて眠った子ども。
 その隣に寝そべるのは、母親か、父親か、もしくはそのどちらもか。
 自分は一体こいつにとってどっちなのだろう。
 母親だと思われていたら嫌だな。
 だからと言って父親ってのも嫌だ。
 そんな、どうでも良くて、どうしようもない事を、寝顔を見ながら真剣に考え続ける。
 その時、残っていた涙が一粒零れた。
 それが自分の為に流されたものだと思い出して。

(自分が満足げに笑った事を、俺は、知らない)





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 20100301
〈知らぬが仏。 〉





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