影時間のスケルツォ

[ ピエロは笑って泣いている ]



 時は影時間の只中。
 何時もなら出掛けているか寝ているかの時間帯。
 なのに、今日は違った。
 出掛けもせず、寝る事もせず。
 ねじれの位置に座った俺達は、薄明かりの中、取り止めもない事を喋っていく。
 そんな途切れ途切れの会話の中。
 話のネタの中心は此処に居ないあいつの事で。
 俺と相手の、部活を除けば唯一の共有点。
 いなければ寂しいものだと、顔に出さずにそう思い。
 それと全く同じ事を、微かに苦笑しながら相手が言った。
 そんな偶然を何度か繰り返しながら。
 俺達の会話は、最初から最後まで、笑い話で終わる筈だったのに。

(あぁどうしてこうなった?)





  笑話の小話





 学校が終わってからの時間を、街を意味もなくぶらぶら歩く事で潰し、そして荒垣が寮に戻ったのは日付が変わる寸前だった。
 扉を潜ってそのまま自室へと向かおうとした荒垣は、けれど気配を感じ取ってぴたりと足を止めた。
 くるり、と首を回してラウンジのソファへと視線を遣ると。

「…お帰り、荒垣」

 笑ってるくせに怒ってる。
 ありありと伝わってくるその相反する感情を露にしながら迎えた桐条に荒垣は溜息を吐きたくなって、けれど桐条が怒る理由も溜息を吐いたらどうなるかも分かっているから、荒垣はただ「よぉ」と返事をして桐条の近くへと歩み寄り、少し離れたソファに座る。

「さて、聞かせてもらおうか。こんな遅くまで外をほっつき歩いていた理由と、あと一人の所在をな」

 笑みを消し怒りを前面に押し出した表情で、桐条は荒垣をねめつける。
 それをちらりと横目で見遣って、荒垣は口を開いた。

「俺はただ遊んでただけだ。アキは今日、帰ってこない」

 ボクシング部でなんかするらしい、と言えば、桐条は驚いたように眼を見開いた。

「無断外泊か?」
「無断じゃねぇだろ。一応俺に言ってきたんだから」
「確かに、そうだが…」

 そう桐条が言った瞬間、テレビがプツリと映像を写さなくなり、寮中の電気が色を変える。
 非常灯のようなその色。
 見えない時間、影時間の始まりだった。

「…今日は、探索はなしだな」

 慣れたものだと動揺しない二人は、依然としてソファにゆったりと座ったままで会話する。

「そうだな。二人では心許ないし、それに…」

 と、どちらともなく視線を合わせて。

「「あいつが勝手に行くのを許す筈がない」」

 重なった言葉に、桐条と荒垣はふっと笑った。

「我侭だな」
「容易に想像できちまう、ってのがまたあいつらしい」

 そう言って荒垣は、此処にいない級友であり仲間であり幼馴染である真田を思った。

(あいつは、力に飢えてるからな…)

 大切なものを喪って、それから直向に力だけを追い求めた真田。
 だからこそペルソナを得たにも関わらず、その力を滅多に発揮できないのをもどかしく思っているようだった。
 メンバーが三人である今、タルタロスへは挑めない。
 精々影時間に街を徘徊するはぐれシャドウを仕留める事くらいだ。

(それなのに今二人ではぐれシャドウすらも倒しちまったら…)

 確実に真田は拗ねてしまうだろう。
 自分がいない間に、と。

(あぁ、今此処にあいつがいれば)

 外に行こう。
 探索と称して影時間の街を三人で喋って歩き、自分達だけが知る世界を大部分の興味と僅かな恐怖を持って見聞するだろう。
 そんな中、ふとはぐれシャドウを見つけた真田が突っ走って、それに文句を言いながらもフォローするのは荒垣で、そして倒した後桐条が油断するなと真田を叱り付ける。
 そんな想像は、とてもとても容易かった。
 それが、何時もの情景だから。

(…でも、今日は違う)

 真田がいない。
 たったそれだけの事なのに、何処か寂しい。
 それは、口にも顔にも出さなかった筈なのに。

「なんだか、何時もより部屋が静かだ」

 桐条もやっぱりそう感じたのだろう、笑みが僅かに寂寥に染まっていた。
 けれど、直ぐにその笑みは消されて。

「それにしても、明彦の奴…」

 そう言って眉を顰めた桐条に、荒垣は思わず苦笑を漏らす。

「何心配してんだよ。ただ部活の連中と仲良くしてくるってだけの話だ」

 それだけの話なのだと、そう自分が事も無げに言うのを、荒垣は何処か他人事のように聞いていた。

(…本当は、それだけって話じゃねぇからな…)

 小さな頃人の環に入りたくても入れなかった子どもは、大きくなって人の環に入ろうとさえしなくなった。
 入学してもクラスの誰とも喋る事はなく、入部してもそれは同じ事。
 真田にとって部活とは強くなる為の手段と方法が揃う場所で、人や人の輪に特別思い入れはないんだと、ただ一人黙々とメニューをこなす姿を見て思った。
 そんな真田を見かねて友達を作れと言う荒垣に、お前がいるから良いんだと笑った真田。
 それを馬鹿がと溜息を吐きながら、結局それ以上諫める事を止めてしまった荒垣。
 ずっと続いてきた関係の延長。
 それではダメだと知っていた。
 けれど。

(…俺には、変えられねぇ)

 何時からだっただろう。
 荒垣の世界は真田を中心に回ってた。
 真田が思うまま感じるままに生きて、荒垣はそれに引き摺られていく。
 何かあれば諫めはする。
 けれど、真田が変わろうと思わないのなら、荒垣はそのままにさせた。
 だから荒垣は変わらない。
 変えられない。
 真田が変わらないのなら、ずっと。

(…あぁ、けれど)

 荒垣は、そっと室内を見渡した。
 元々三人しかいないこの寮に、今は二人。
 それがなんだか物足りなくて、今にも、ただいま、と明るい声を上げながら外から飛び込んできやしないかと扉を見るけれど、少しの間見続けても扉は依然開かない。
 沈黙を保ったまま、外と中の世界を隔ててる。

(今日は、帰ってこねぇんだ)

 何時もなら荒垣と桐条とで過ごすこの時間を、真田は他の誰かと過ごしてる。
 それは確かに真田にしてみれば進歩のはずで、世界を広げる切欠になるだろう。

(アキの世界の扉は、此処と違って開いてるんだな、…今)

 心の中で呟いて、それと同時に自分の中にある漠然とした靄に気がついた。
 悲しいのだろうか、自分は。
 寂しいのだろうか。
 でもそれが身勝手な感情だと知っているから、荒垣は感傷に浸れず静かに自らを嘲笑した。

『アキが決めれば良い。アキの決めた通りに、するから…』

 どうすれば良いのかと問う縋るような視線に何度も繰り返したその言葉は、結局真田を前には進めさせなかった。
 戸惑うような笑みを浮かべさせ、真田が進めたかもしれない別の未来を奪い去っただけ。
 根底にあったのは、何時だって真田の幸福だった筈なのに。

(でも…、これからは違う)

 自分で考え、自分で決めて、そして出した答え。
 行ってくる、とはにかんだ真田の顔。
 教室の外に待っていたボクシング部の生徒。
 彼らの背を見送った荒垣は一人、其処に立ち竦んで――…。

「―――荒垣?」

 そんな荒垣の思考に割り込む声。
 見れば、桐条が荒垣を訝しげに見ていた。

「…なんでもねぇ」

 ちっと考え事してただけだ、と荒垣が言えば。

「まったくどいつもこいつも…」

 桐条がしょうがないと言いたげに溜息を吐いた。
 その意味が分からなくて、なんだよ、と眉を顰めた荒垣に、桐条は表情を崩さず吐き出した。

「恋煩いか」

(………は?)

 とんでもない台詞を聞いた。
 恋煩い?
 いきなり何を言い出すんだこいつは。

(あいつは部活の親睦会に行っただけだって言っただろうが)

 どこをどうとったらそうなるんだ。
 第一。

「あいつが恋愛なんぞ知る訳がねぇだろ」

 ただの筋肉馬鹿なんだからと、そう笑う荒垣に、桐条は首を傾げた。

「…何を言っているんだ? 荒垣」
「あぁ?」

 お前こそ何言ってんだよ。
 そういう意味を込めて遣った荒垣の瞳を、桐条は躊躇いも無く見返して。

「私は、お前の話をしているのだが」

 その言葉に、頭がくらくらする。
 誰が、…恋煩いだと?

「今さっきのお前の表情は、まるで想いを傾ける人間が振り向いてくれないのを嘆くような顔だった」

 淡々とした桐条の声は、それを強く確信していた。
 そして、呆れたように笑って。

「伝えれば応えると思うがな。私から見て、お前達はお似合いだ」

 何を馬鹿な。
 お前達って何だよ。
 ふざけんのも大概にしろ。

(そう、言いたいのに)

 何も言えない荒垣を置いて、桐条はソファから立ち上がった。

「まぁ何にせよ、今日、明彦は帰ってこない。つまりは起きていてもしょうがない。もう寝る事にしよう」

 明日に差し支える、と桐条は話を切り上げ、そのまま振り返りもせず階段を上っていった。
 それを意識する事も放棄して、荒垣は桐条の言葉を反芻する。

『今さっきのお前の表情はまるで、想いを傾ける人間が振り向いてくれないのを嘆くような顔だったぞ』
『伝えれば応えると思うがな。私から見て、お前達はお似合いだ』

 戸惑いなんてこれっぽっちもない。
 当然の事を言ったまでだとでも言いたげな。

(当然? ―――馬鹿な)

 とんでもねぇ冗談だ。
 一瞬息が止まっただろうが。
 あぁ、それこそ。

「笑える、冗談だな」

 誰もいないラウンジに、その震えた言葉は、やけに響いて。





 笑える。
 笑える。
 誰が誰に恋してるって?
 まったく。

(―――笑えねぇよ)

 荒垣は顔を歪めて。
 くちり、と唇を噛み締めた。

(だって、俺は、知ってた)

 俺が抑えていた感情。
 それが、どういう意味を持つのかを。
 アキが抱えていた感情。
 それが、そっくり俺と同じだと言う事を。
 ただ。
 それらの感情に名前をつけようとしなかっただけで。

(……馬鹿みてぇ)

 泣きたくなる。
 気付いた想いに怖気づき。
 咄嗟に隠して知らないフリ。
 そして騙し切れてるつもりで居た。
 誰も彼も彼女もあいつも、自分、すらも。
 まるで道化だと、自嘲する。
 それでも。

(…滑稽でも良い。道化であっても構わねぇよ)

 言わねぇ。
 この気持ちは。
 痛いほど膨れ上がって、苦しんでも。
 言ってしまいたいと、もがいても。
 アキが、…どれほど願っても。

「好きなんて、…誰が、言うかよ」

 その言葉は、アキを雁字搦めにするだろう。
 折角開いたアキの世界が、閉じてしまう。
 だってようやく俺から離れる事を決めたんだ。
 自分と俺だけの世界を変えようとしてるんだ。
 だから。

(それはダメだ…ダメ、なんだよ)

 例え俺の世界が、閉じても。





 沈黙した空間が変化したのは、それから少し後の事。
 パッと点いた電気。
 途中から始まったテレビの音楽番組。
 光と音が世界に還って来た。
 それは、影時間の終わりで、一日の始まり。
 その中で。
 ソファに、眠りに、少しの悲しみと絶望に。
 沈み切った荒垣の耳を、軽快な音楽が擽った。
 一人の観客もいないのに。
 曲は最後を目指して流れ続ける。
 明るく滑稽で、少しだけ、寂しい曲。
 まるで騙す事に飽いた道化が奏でるような、諧謔曲(スケルツォ)を。





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 20090701
〈それはピエロの一人舞台。それはとても寂しい発表会。〉





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