The Star Festival
[ 神様の意地悪、もしくは慈悲 ]七月七日。
関係のない人にはただの七夕であるという認識だけの日。
けれど関係のある人には、ある人の誕生日であると祝う日。
今日はあの子の誕生日。
洒涙雨
二限と三限の間の休み時間。
オレはぼんやりと窓から外を見ていた。
「……海馬君?」
声がしてそちらを向くと、心配そうな顔をした武藤遊戯が見えた。
「どうした」
何故そんな顔をするのか分からなくてそう聞けば。
「何度も呼び掛けてたのに、全然気付いてくれないから」
大丈夫?、気分が悪いの?、と遊戯は言った。
それに「大丈夫だ」と短く返し、遊戯から視線を外して先程と同じ窓の外へと向ける。
家を出た時から感じていた水気を含んだ不快な空気。
予感はあった。
そしてその予感は外れる事無く、授業が始まる前には既に現実のものとなっていた。
「……まだ、止まないね。雨」
遊戯もオレの隣に立ち、外を見て言った。
「あぁ…」
見ている間に、また一つ、天から落ちる雫が窓に軌跡を残して消えた。
それは目で追うのが面倒になる程絶え間無く続く。
小雨と言うには激しくて、大雨と言うには及ばない、そんな微妙な雨。
通常なら雨など降っていても降っていなくても気にはしない。
けれど今日というのは特別な日だった。
晴れていて欲しい、日だったのに。
「………… 」
そっと呟いて、けれど視線は窓から離さない。
「え、何か言った? 海馬君」
そう尋ねる遊戯の言葉に、オレは何も返さなかった。
今日の日付を教えれば、大抵の人間は『あぁ、七夕ね』と言い、そして『晴れると良いね』と笑って言う。
七夕。
元来中国の行事だったものが奈良時代に日本に伝わり、元から日本にあった《棚機津女》の伝説と合わさって生まれた祭り。
仕事をしなかった為に、年に一度、七月七日にしか会う事が許されなくなった男女の話は有名だ。
だが、オレが晴れると良いと思った理由は其処にはない。
そんな事はどうでも良い。
ただ、今日がモクバの誕生日だからだ。
モクバは一週間も前から今日を楽しみにしていた。
短冊をぶら下げた竹をリビングに飾り、そして毎夜のように、
『七日は晴れると良いね』
そう、笑って言っていた。
それにオレは『そうだな』と笑みを返し、頭を撫でた。
そしてモクバは何時も窓を見る。
窓の外は、何時だって雨だった。
この一週間、ずっと。
けれどモクバは静かにそれを見やって、ただ言うだけだった。
『晴れたら良いね』
と。
ただそれだけを願うように、縋るように、そして祈るように。
(勿論、分かっていた事だろう)
七月七日の今日という日、晴れない事はモクバが誰よりも知っていた筈だ。
新聞の天気の欄をモクバが見なかった日はない。
また、天気予報も食い入るように見ていたのを知っている。
けれど雨は無情にも地上に降り注ぐ。
窓についた手に、雨が窓を叩く振動が伝わるようだった。
パシャパシャと足下で水の跳ねる耳障りな音がする。
けれどそんな事にどうでも良く、ただオレは家路を急いだ。
もう陽は暮れ、既に街灯がつき始めていた。
(モクバの誕生日だというのに…!)
それもこれも、何処かの会社が七夕のイベントを開き、車での来場者が殺到した事による渋滞が発生した所為だった。
(車の規制くらいちゃんとすれば良いものを!)
お陰でオレは徒歩で家に向かう羽目になった。
忌々しさに舌打ちをして、濡れるのも構わず早歩きで家に向かい、やっとの事で家に着いた時には既に九時を回っていた。
迎えたメイドからタオルを受け取り、そしてようやく自分の状況を知る。
傘を差していたにも拘らず、全身が満遍なく濡れていた。
服が肌に張り付いて、かなり気持ち悪い。
と、其処へ。
「に、兄サマ!」
「モクバ」
階段の手摺りの間からひょこっと顔を覗かせたモクバが、驚いた顔をして駆け下りて来た。
「早く着替えなきゃ、風邪引いちゃうよ!」
「あ、あぁ…」
モクバのあまりの迫力に、オレは驚きながらも頷き。
「では、少し待っていてくれ」
そう言い置いて、オレは自室へと急いで足を運んだ。
体が冷えきっていたので素早くシャワーを浴び、着替えてダイニングへと向かったのだが。
「……モクバ?」
見渡しても、モクバはいない。
何処へ行ったのかとメイドに聞けば、まだリビングにいると聞かされた。
(短冊でも眺めているのだろうか)
そんな事を思って、リビングに行く。
リビングは電気をつけておらず真っ暗で、目を凝らしてやっとモクバが窓際に居る事が分かった。
「モクバ」
近付きながら声を掛けた。
「あ、兄サマ。ちゃんと着替えた?」
「あぁ」
モクバは「そう」と小さく笑うと、また視線を窓へと移す。
勿論天気は雨。
昔からの癖で、オレはモクバの頭を撫でながら言った。
「……晴れなくて、残念だったな」
モクバが楽しみにしていたのを知っていただけに、少し言い辛かった。
けれど。
「うん……でも、良いんだ」
モクバは、意外にもさっぱりした風に言った。
「何故だ?」
そんなオレの問いに、モクバは窓に手をついて空を見上げたまま言う。
「七夕に降る雨はね、きっと織姫と彦星の嬉し涙なんだよ」
意外なその答えに、オレは目を見開いた。
「雨が降ったらみんな『今年は会えなかったんだ』って残念そうに言うけど、どうしてそう思うんだろう。織姫と彦星がいる場所は、雨なんか降ってても降ってなくても関係ないのにね――って、ずっと思ってた。オレは天の川が見られなくて残念だなぁとは思うし、誕生日的にもやっぱり晴れた方がめでたい気はするんだけど。でもね、今日それを考えてて、ふっとさっき言ったことを思いついたんだ」
一年間、ずっと会えなかった凄く好きな人とようやく会えたから。
嬉しくて嬉しくて涙が出たんじゃないかなって、思ったんだ。
モクバはそう言って、視線をオレに移した。
「だって、オレだって兄サマに一年間も会えなかったら、会えた時嬉しすぎて涙が出ると思う」
その前に寂しすぎて泣いてしまうかもしれないけれど。
そう笑って。
「年に一度なんだもん。織姫と彦星が泣いて雨になっちゃっても、オレは良いかなって思ったんだぜぃ」
モクバはオレの足にしがみつくと、明るい声で言った。
「さ、遅くなっちゃったけど、晩ご飯食べようぜぃ!」
声と同様、明るい笑顔に何処か救われた思いがして。
「あぁ、そうしよう」
自然と浮かんだ笑み。
そして。
「誕生日おめでとう、モクバ」
(生まれて来てくれて、ありがとう)
「うんっ」
何処か恥ずかしそうなモクバの笑みを心に仕舞って、モクバと共に料理が待つダイニングへと向かった。
外でしとしとと雨が降る。
人の気なんか知らないで。
ただそっと雨が降る。
その雨音は、何処か優しい。
20060707
〈星の見えない星祭。やっぱりどう理由をつけようと淋しい気がして、だから来年こそは晴れればいいと、そっとそっと願ってみた。〉