行方不明

[ 悪夢から覚めない ]



『兄サマ…?』

 声が(こだま)しては消えていく。
 消えていくだけだ、それ以外にない。
 全ての音の起源は自分。
 他は、誰も。

『兄サマ…!』

 呼びかけに応えはない。
 震える声は、恐怖と切望と何かの所為。

「兄サマぁ…っ…」

 応えて答えてこたえて。
 そう願って何度独り寝の夜を過ごしただろう。
 零れた一粒の涙と共に夢から覚醒し、くちりと唇を噛み締めた。

(一人で遺される絶望はこれで二度目だ)

 漏れる泣き声は喉を震わせて死んでいく。





  ねぇ、何処にいるの…?





 兄サマの行方が知れなくなったのは、DEATHーTの時の事だ。
 遊戯を倒す為に、兄サマはDEATHーTを作った。
 己の屈辱を払拭する為に。
 勝つ事は兄サマにとって生きる事だったからだ。
 生きる為には兄サマは勝ち続けなければならなかった。
 それは、あの義父に―――剛三郎に教え込まれた事だ。
 ゲームも経営の一環だったのだ。
 自社の製品を使って勝つ事は宣伝に成り得る。
 勝つ事で注目を浴び、注目を浴びる事で利益を生んだ。

(あぁ、なのに)

 兄サマは、遊戯の存在に今まで眠りかけていたゲーマーのプライドを呼び起こされた。
 利益があるとは思えないそのゲームを、兄サマは渇望した。
 やらなければならない仕事を放ってまで、遊戯と対決する事を望んだ。
 そしてその熱望した対決で、兄サマは負けた。

(兄サマの、…負け)

 負けた代償は、兄サマの精神(こころ)の破壊。
 精神をバラバラにされた兄サマは、人形のようになってしまった。
 何も見えない。
 何も聞けない。
 何も感じられない。
 何も触れない。
 其処にいるだけの動かない人形に、兄サマはされてしまった。
 だから、兄サマの居所が分からない訳じゃない。
 会おうと思えば何時だって会える。
 触れようと思ったら何時だって触れる。

(だけど)

 兄サマから話かけられる事も、触れられる事も、ない。

(分からないんだ)

 冷たい指。
 絡ませる。
 けれど此方が力を抜いてしまえば、それで終わり。
 兄サマの手は呆気なく零れ落ちる。

(兄サマは確かに此処にいるんだ)

 僅かに感じる体温。
 口元に手を翳せば微かな息。
 手首を触れば規則正しい脈拍。
 それら全ては兄サマが生きている証拠。
 傍にいる現実。

(なのに、いないの)

 そうだ、いないのだ。
 いくら手に触れられても生きている事を実感できたとしても。
 此処に兄サマはいない。

(だったら)

 心が絶望に染まる。
 向かい合わせの蒼の瞳は、何にも染まらないのに。

(何処を探せば、会えるの?)

 答えなんて、きっとない。
 それでも。

「何処にいるの………?」

 何も見えてない、何も感じられない、何も聞こえない兄サマの頬に手を添えて、聞く。

「兄サマは、今、何処にいるの」

 何も、返事はない。

「もうそろそろパズルは完成するの?」

 返事はない。

「あれからもう、三ヶ月経ったんだよ…?」

 返事はない。

「まだ出来ない?」

 返事はない。

「兄サマ…」

 返事は、ない。

「兄サマ」
「兄サマ」
「兄サマ…」
「兄サマ……!」

 ―――涙が溢れて、言葉が続かない。





(ねぇ、兄サマ)

 この頃会社の株が値下がりしてるの。
 重役達が忙しそうに飛び回ってる。
 中には抜ける者も出てきそうなんだ。
 オレ、一生懸命頑張ってるけど、やっぱり兄サマみたいにはいかなくて。

(だから、ねぇ)

 兄サマ…兄サマ…帰ってきてよ。
 戻ってきてよ。
 さっさとパズルを解いて、オレの元に戻ってきてよ。
 兄サマなら直ぐ解けるでしょう?
 だから兄サマ。
 早く早く。

(早くッ…!)

 言いたい事はいっぱいあるのに。
 伝えたい事がいっぱいあったはずなのに。
 言葉はこんな時に出てきてくれなくて。

(一人にしないで)

 兄サマのパジャマのズボンに、雫が落ちた跡ができる。

(一人に慣れさせないで)

 いくつもいくつもいくつも。

(二人で、いたいんだ)

 涙が喉につっかえて、言葉が出てきてくれない。





 躰は此処にあるのに。
 心は此処になくて。
 手は届くのに。
 捕まえられない。
 これは何の罰だと問いかける。
 その問いに答える神はいないのに。

(兄サマの心の行方を、誰か、教えて)





戻る



 20060702
〈二度目の喪失に立ち向かえるほど、ボクはまだ大人じゃない。〉





PAGE TOP

inserted by FC2 system