Silent Love
[ 言わない。聞かない。それでも、僕等は。 ]雑踏の中に紛れる一瞬の無音。
多分俺達の恋愛はそんなもので、眼を合わさず擦れ違うその瞬間にだって。
何時もお互い恋してる。
ドライな関係
昼休みは学生にとってある種特別な時間。
授業からの開放感と、そしてまた授業があるという閉塞感。
綯い交ぜになるその両極端な雰囲気の中、それでも自らをもう子どもじゃないと叫ぶ子ども等は無邪気な顔を覗かせる。
教室にはテレビや恋の話で盛り上がる女子と、ちょっとした青春話で赤面したりからかったりする男子。
廊下では誰かが走る音と笑い声、先生の小言が行き交って。
それらを掻い潜って閉鎖されている筈の屋上へと昇るのは何時だって同じ面子。
酷く印象的な紅の瞳をした遊戯。
漫才のような会話を繰り広げる城之内と本田。
そして笑いもせず彼らの後ろを歩くバクラ。
そんな彼らが少し歩みと会話を止めたのは、最後尾に居たバクラが誰かを呼び止めようとしたからだった。
けれど彼の視線の先には誰もいない。
男女が入り乱れる雑踏が広がるだけで。
「…どうした?」
遊戯の声に、バクラは少しその人込みを見詰めてから振り返る。
「……なんでもねぇよ」
小さく笑った顔は、自嘲的。
その理由が分からない彼らは、けれど聞く様な真似はしなかった。
話したくないのなら、聞かない。
それは決して無関心からの無干渉ではなく、自分が話して良いと思ったタイミングで言って欲しいという願いに似た想いだった。
だから。
「とっとと屋上行ってメシ食おーぜ」
「そーそ。昼休みなんてあっという間に過ぎてくんだからよ」
なッ、と笑ったのはムードメーカの城之内と本田。
そうだな、と後の二人も頷いて。
歩みを進める。
彼らが何時も居る場所へ。
唯一息が出来る、屋上へ。
快晴、というには雲が多い空。
それでも温かい日差しとその熱気を攫っていく風は気持ち良い。
純粋にそう思った彼らを迎えたのは、それだけではなくて。
「遅い」
端的且つ無表情に怒気を混ぜてそう言い放ったのは、フェンスに寄りかかり扉を凝視していた海馬だった。
その傍らには遊戯の双子の弟と、バクラの双子の兄が苦笑しながらそれを見守っている。
他のクラスの彼らの方が早く終わったのか、既に弁当を広げていた。
しかし遅いと言われた彼らとしては授業が終わった後すぐさま此方へ向かった事は確かで、だから責められる覚えはないのだが、ごちゃごちゃ言えば面倒だと、悪い、と素直に言っておく。
そうすれば海馬がそれ以上怒る事はない。
それは多分、海馬も彼らが悪くない事を知っているから。
「痩せたか?」
「……ちょっと、な」
海馬の隣に迷いもなく座った遊戯は俯き加減の海馬の顎をそっと上げるよう促して、じっと海馬の顔を見詰めそう言う。
海馬も目を逸らしながらも、否定はしなかった。
実に一週間ぶりに見た高校生社長の海馬はちょっとどころではなく痩せて疲れ切っていたが、遊戯はそれについて何も言わず、ただ、
「頑張ったんだな」
と海馬の手を握る。
普段なら怒る海馬も、目を瞑る事で見ないフリをした。
そんな二人の様子を周りは冷やかしもせず生活の一部として黙認し、穏やかにそれを受け止めていた。
彼らが想い合っている事を其処に居る全員が知っている。
それが本当なら許されない事で、普通なら受け入れ難い事であるのは百も承知だ。
けれど彼らが気の迷いで付き合っている訳でも、何も考えずに関係を続けている訳でもない事だって知っている。
幸せばかりでない関係を敢えて選んだ彼ら。
だからせめてと、彼らは二人の幸せをひっそりと願っている。
そんな事を知れば海馬はきっと恥ずかしさを隠す為に怒るだろう。
遊戯は笑いながらありがとうと言うだろうか。
二人のそんな様子を思い描きながら、表面上は知らないフリをして、彼らは弁当を突付き合う。
そんな中。
「あれ?」
そう声を上げたのは遊戯の双子の弟だった。
どうした、と城之内が購買で買ったパンを口に放り込みながら聞けば、ほら、と指差されたのは屋上の扉。
その一瞬の後、カチャリ、と金属の音がして、彼らが入った後は滅多に開かれない扉が錆びた音を立てて口を開けた。
そして入って来たのは。
「御伽君」
バクラの双子の兄がそう呼び掛けた後、クラスメイトだよ、ときょとんとする城之内に紹介する。
御伽はにこりと笑いもせず彼らの傍にやってきた。
クラスメイトと言うからには海馬達に用があるのかと見守っていると、御伽はまっすぐにバクラの方へと近寄って。
「頼まれた物」
届けたから、とそれだけ言って帰って行った。
三〇秒にも満たないその遣り取りに、しん、とした沈黙がちょっとの間支配して。
「……何だ?」
「……さぁ」
城之内と本田の言葉を皮切りに、彼らの間に会話が生まれる。
なんだなんだとバクラの手元を見れば、渡されたのは弁当だった。
「どうしたんだ、それ」
黙って成り行きを見ていた遊戯も流石に驚いたのかバクラに向かってそう聞いた。
けれどその返事は非常に味気ないもので。
「頼まれたから持ってきたんだろ」
バクラはそう言うと、今まで口に含んでいたガムを吐き出した。
そして弁当を広げ食べ始める。
そう言えば弁当も購買で売っているパンなども一つも持っていなかったなと周りは気付き、つまりはこの弁当はもともと貰う予定だったのだろうと思い至る。
途端、えッ!、と驚きの声が上がって。
「は、何、お前彼女いんの!?」
「何時から!? つか弁当とか羨ましいッ!」
「もう夏なのにねぇ」
「遅い春?」
「バクラが」
「…ほぉ」
「うるせーよ」
漫才コンビから始まり、バクラの兄と遊戯の弟、そして遊戯と海馬と続いた言葉を、バクラは最後面白くもなさそうに毒突いて締め括った。
パクパクと口に入れられていく弁当の中身に何を言う訳でもないが、その横顔は満更でもなく。
「「「「「「ごちそーさま」」」」」」
「おー」
こいつもどうか幸あれと、皆が願った事などバクラは知らない。
じゃーな、と自身の片割れとも別れてバクラが来たのはマンションの一室。
ポケットから無造作に取り出した鍵を鍵穴に差し込めば、カチリ、と乾いた音が小さく響く。
そっと入りリビングへと足を運べば、ソファに身を投げ出した一人の人。
「御伽」
屋上で会った人間。
素っ気無さを通り越して無感情だったそいつは、此処でもそうあり続けていた。
呼び掛けに応えもしない。
恋人という関係にしては、それはあまりにも薄情だった。
「何で無視したんだよ」
それも何時もの事だとバクラは尚言葉を繋げる。
それが廊下でバクラと擦れ違った際に声をかけられた事だと御伽が推察するのに、数秒も要らなかった。
一拍の間も置かず返された答え。
「何時もの事だろ」
言葉に氷でも纏っているような感覚。
二人きりなのに、瞳にバクラを映しもしない。
そうそれは、何時もの事。
(そうやって隠されてきた関係)
何時まで、何処まで。
そう問えば。
「何時までも。何処までも」
素気無く御伽はそう言い切る。
其処に感情なんてものはない。
あるのは理屈だけの、至ってシンプルな。
「オレの経歴に傷が付かないようにね」
なんてニヤリと笑って言ってくれる。
それに傷付くような心をバクラは持ち合わせていないし、大体傷付く訳もない。
(だったら関係を絶てば良いのに)
傷付くのを恐れるなら、隠すような恋愛をし続けるのなら、ただそうすれば良いだけの話だ。
大体忍ぶような恋に燃え上がる二人でもない。
それでも連綿とこの不毛な関係を続けてる。
(何故?)
そんな問いなど不要。
聞くのも馬鹿らしい。
だからバクラは傷付かないし問う事もしない。
ただ御伽を抱く力を緩めるだけ。
そうすれば。
「……バクラ」
その声と同時に増す重さ。
寄りかかる比重を変えた御伽が、バクラの瞳を見る。
そして一度開きかけた唇は、けれどもう一度閉じられて。
(殺された言葉。それは一体何を伝える為?)
知ってる。
揺れる視線。
途端不安の色を濃くした瞳。
縋るように服を握る手。
それが、何を意味するか、なんて。
けれど。
(あぁ言わないでおくのも限界か)
言葉の要らない関係なんてない。
想いは結局自身の中で朽ち果てるだけで、外に出さなければないも同じ。
想っているなら伝えなければ。
それを放棄して良いのは学校だけなのだ。
分かっていて言わなかったのは、ちょっとした意地悪から。
それも早々に打ち切りになるようだとバクラは白旗を揚げる。
こんな顔をされては、言わずにおける訳がない。
「…御伽」
「……」
その呼び掛けに、御伽は小さく首を振る。
違う、と言いたげなそれに、バクラはようやく笑った。
外では決して甘える事のない彼の、自分と居る時だけの我侭。
それは酷く窮屈なこの関係の中で潤滑油の役割を果たしていた。
束縛は嫌いだ。
けれど、滅多にない我侭は、悪くない。
バクラは腕の力を強め、御伽を抱き寄せる。
そして耳元で囁いた。
「龍児」
そうすれば、強張る御伽の体は弛緩して行き、
御伽の心情と甘えを表すのは、それで充分だった。
(ま、こいつの部屋限定、だけどな)
明日もまた学校に行けば会っても存在を認知してくれず、話し掛けてもくれないのだろう。
友達でも、ましてやクラスメイトという関係でもない。
たまたま擦れ違った歩行者のような関係。
もう二度と会うかどうかなんて、分からないような。
(それでも良い、なんて)
情なんてない。
けれど、そこに愛がある事だけは信じてる。
それは天秤にかけるまでもなく、真実の。
だから。
「明日も弁当よろしく」
少し間があって、頑張る、と小さく呟いたその唇が愛しくて。
バクラはその言葉を奪うように噛み付いた。
其処に確かに在るのに、誰も気付かない。
見えそうで、気付けそうで、でも誰も、分からなくて。
それはまるで、音のない恋のような。
20090905
〈僕等はそんな、空気のような恋をした。(なければきっと、生きていけない)〉