空への距離
[ 小さい僕。大きな君。その差を、縮められたなら。 ]ボクよりも空に近い彼の世界を、見てみたいと思ったんだ。
世界はきっとその小さな差で変わるのだ
(………何なんだ…)
海馬は先ほどからずっと感じる横からの視線にイラついていた。
視線を感じるなど海馬瀬人ならば何時もの事で、またそんな事を一々気にする海馬でもない。
だが、相手にもよる。
横にいるのは、武藤遊戯。
海馬の恋人と位置づけられている人間だった。
さすがの海馬も、そういう人間にずっと無言で見つめられるというのは些か居心地が悪い。
今日は遊戯が、
『海馬君、たまには外に出ないとダメだよ。健康にも悪いし、それにずっとパソコンばかり見てたら目も悪くなるし。―――そうだ! 散歩に行こうよ!』
そう言って手を差し伸べてくるものだから、海馬は無意識のうちにその自分より小さな手を取っていた。
今はもう離しているけれど。
(全く……言った通り外に出たというのに、視線を寄越すだけで喋らんとは)
苛々は募り、自然と足早になってしまった。
となると、常人より足が長く常人より身長がない海馬と遊戯では、歴然とした差が出てしまう。
普段でも海馬がゆっくり歩いて遊戯が早足なのだ。
海馬が遠慮なく早く歩けば遊戯は駆け足にならざるを得ない。
遊戯は海馬の様子に気づくと、「か、海馬君っ」と走って付いて来た。
「もうちょっとゆっくり歩いてよー」
「………」
遊戯は上目遣いでお願いするが、海馬は返事も、それどころか見もしない。
よく見ると眉間に皺が寄っている。
「海馬君? 何怒ってるの?」
「……何を怒っている…だと…?」
遊戯の言葉に海馬は急に立ち止まって、遊戯を見下ろした。
その目は剣呑な光を宿しており、はっきり言って怖い。
遊戯ですら、そう感じた。
「か、海馬君?」
「不愉快だ」
「え?」
たじろぐ遊戯は首を傾げた。
「海馬君、外に出るのそんなに嫌だったの?」
「違うわっ」
「ボクの歩くスピードが遅いから苛立っちゃった?」
「そんな事ではない!」
「え、じゃあ…何?」
本当に分からないという顔をする遊戯に、海馬は怒りを通り越して呆れてしまった。
「貴様さっきから自分が何をしていたか自覚がないのか?」
「…? 何もしてないよ、ボク」
「……まぁ、多少語弊があるが」
確かに直接手を出してきた訳ではないから「する」というのは違うかもしれない。
海馬もそれを認め、はっきりと言う事にした。
鈍感な遊戯には遠回しに言うよりこちらの方が早い。
「さっきから何故オレを見る」
端的に言うとようやく分かったのだろう、遊戯は一瞬目を開きそして照れたように笑った。
「あ、ごめんね。嫌だよね」
「そうじゃない」
「え?」
「……謝罪が欲しい訳ではなく、理由が聞きたいんだ」
海馬は自然と出た自分の言葉に驚くものの、持ち前のポーカーフェイスで切り抜ける。
それを分かっているのか分かっていないのか、遊戯はくすっと笑うと言った。
「背が高いなって思って」
「……は?」
「だからー、海馬君って背が高いんだなって思ったんだってば」
あまりの答えに海馬は言葉に窮してしまう。
海馬の身長は遊戯と出会った時から大して変わっていない。
(……いくらこちらの遊戯でもそれは分かるだろう…)
恐らく、大抵の人間が海馬に会って抱く第一印象は〈背が高い〉だろうと、海馬は自分で思っていた。
日本人離れした高身長である事は海馬も自覚している。
たまに違う印象を抱く奴もいるようだが。
「……今まで気づいていなかったのか?」
思わず聞いてしまうが、遊戯は当然首を横に振った。
「違うよ。ただ思ったんだ」
「何を?」
「キミの世界って、どんなんなんだろうって」
優しく笑う遊戯を、海馬は目を細めて見た。
「…どういう事だ?」
海馬の不思議そうな顔に、遊戯は海馬を見上げて解説する。
「海馬君って、背が高いじゃない」
「ああ」
「でもボクって背が低いでしょ」
「ああ」
「それってさ、やっぱり世界が違うんだろうなって、海馬君を見上げて思ったんだ」
「……よく分からん」
海馬にとって、遊戯の言っている事が分からないのはよくある事だった。
遊戯の考え方は独創的で、海馬とは全く違う見方だからだ。
他人の考え方などあまり興味を示さない海馬だけれど、遊戯の考え方は純粋に面白いと思う。
だから、分かりたい、遊戯の考えを知りたいと、海馬は思う。
「海馬君の視線で見る世界と、ボクの視線で見る世界。視線の高さが違えば、空への距離だって違う」
「…ああ」
「それって、凄く大きな差だと思うんだ」
遊戯は右手を持ち上げ、海馬の頬に触ろうとする。
けれど、精一杯手を伸ばし爪先立ちしてようやく届く、その差。
それは否応なしに遊戯と海馬の世界は違うのだと言われている気がして。
「だから、ボクも君くらいに身長が高ければいいのにって」
そうだったら君の世界を見る事が出来る。
ボクが知らない、知る事が出来ないその世界を。
ボクより空に近い君の世界を、一緒に。
「君を見上げたら、ちょっとそう思ったんだ」
そう言った遊戯はニコリと笑って、惜しむようにそっと海馬の頬から手を離した。
瞬間、遊戯の体温に温められた頬が風を受け、思った以上に寒さを感じた。
「そろそろ帰ろうか。ちょっと寒くなってきたし、海馬君に風邪引かせる訳にもいかないからね」
「……ああ」
「海馬君、どうかした?」
「何でもない。帰るぞ」
「うん!」
今度は海馬の前を歩く遊戯。
その後を、大人しく海馬がゆっくりと遊戯の歩調に合わせて歩く。
楽しそうな遊戯の後姿を見つめ、海馬は遊戯に気づかれないようにそっと息を吐く。
(同じ世界を見たい――か)
そう思う気持ちは、海馬にも分からなくはない。
たまに遊戯と同じように考える自分がいる事を、海馬は知っている。
けれど。
(貴様がオレと同じ身長になったら、オレは貴様に勝つ所がなくなるじゃないか)
財力も権力も、遊戯の前では何の意味も成さない。
また、頭脳も海馬の方が上回っているはずなのに、遊戯に振り回される自分。
ゲームも海馬の方が強いだろうが、ゲームとなるともう一人の遊戯がでしゃばってくるのでよく分からない。
結局、勝っていると思えるのは身長だけだ。
「………人の気も知らないで」
漏れる本音。
だけど。
「ん? なぁに?」
自分に向けられる笑みを見ると、どうでも良くなってしまうのはどうしてだろう。
「―――何でもない」
きっとまた、其処が勝てない所なのだろう。
20060404
〈そんな自分が、存外、嫌いではないのだ。〉