慟哭の行方
[ 縋り付きたいのか、突き放したいのか ]その日は、例年にない豪雨だった。
何もかもが流れてしまうような、そんな日だった。
隠された言葉と想いと涙と
ふと買い忘れた物に気付かなければ。
それがもし絶対に要る物でなければ。
運良く近くにコンビニが出来た事を思い出さなければ。
歩いて行こうなんて思わなければ。
その日で、なければ。
(どれ程、良かっただろう)
けれど城之内は絶対に要る物の買い忘れに気付き、コンビニが直ぐ傍に出来た事を思い出し、徒歩で向かったのだ。
その、日に。
(それはどうでも良いほどにただの偶然の連なりだ)
それ以外ない。
後悔するべき事でもない。
偶然に逆らおうなんて方が無理なんだ。
だからこれはどうしようもなかったのだと、城之内は思う事にした。
だからと言って放っておく訳にもいかないから。
「……何があったってんだよ…」
聞こえない事を承知で言う。
視線の先、海馬は、何も返さず立ち竦む。
家から出て少し。
濡れていくズボンの裾を気にしながら渡った交差点を過ぎて、コンビニが視界に入った時。
ビニール傘の向こうに見えた人影。
ふらりとゆっくりと歩みを進める俯き加減のそいつは、傘なんて差して居らず、濡れ鼠のような様相になっていた。
(この豪雨の中、酔狂な)
そう呆れて思ったのも一瞬。
見覚えがあると気付いてしまえば、そいつは〈ただの見知らぬ雨に濡れた人間〉ではなくなった。
「――――」
息を呑む。
歩を止める。
知らず通り過ぎそうなそいつの腕を、思わず、掴んだ。
「おい…?」
(あぁ、やっぱり)
見上げた先、掴まれたのにも関わらずオレを見ずに俯いたままの顔は、こちらの方が背が低い為分かってしまう。
そいつを、オレは、知ってた。
「海馬……」
覇気も意志も見付けられない表情。
顔を見なければ、通り過ぎてしまいそうな程分からない。
何時もならそんな事、あり得ないのに。
「……何があったってんだよ…」
疑問が湧く。
それを、どう言葉にして良いか迷う中、見付けた真実に戸惑った。
「海馬…?」
無表情な顔。
無感情な瞳。
それでも分かってしまった自分に笑いたくなる。
「――…なんで、泣いてんだ?」
涙なんて、雨に流されて見えないって言うのに。
「海馬」
呼び掛ける。
分かってる。
きっと聞こえてない。
地面を強打する雨音は、全ての音を奪ってる。
だけど。
「海馬…!」
再度強く呼び掛ければ、ひくりと動いた喉。
硬く閉じられていた唇が小さく開いた。
そして、伸ばされた手がオレの服を掴む。
強く強く。
想いを込めるように。
縋り付く、ように。
「………」
その時、雨音に掻き消された慟哭が、聞こえたような気がした。
雨の中、雨の中。
冷たいなんか分からない。
気付けば何時の間にか傘を落としていた。
ビニール傘は内側を空に晒す。
まったく使い物にならない。
傘だけじゃない。
服も靴もオレも海馬もだ。
そして何も知らない子どものように。
オレの服を掴み身を寄せる海馬を。
ただそれしか知らない子どもみたいに。
オレは何時しか抱きしめていた。
雨の中、雨の中。
見上げた空も腕の中にいる海馬も。
何も、言わない。
何十秒を超え、何分を数え、何時間までは行かないであろう時間。
こんな雨の中に出かけるのも馬鹿らしいと思ったのであろう人間と出会う事もなく、オレと海馬は共に佇んでいた。
もう寒いも冷たいも分からない。
分かるのは、まだ、海馬が泣いて叫んでる事。
(……あぁ、でも)
ふと気付いて小さく笑う。
(…ずりぃなぁ)
心の中で、言葉がぽろりと零れ落ちる。
(ずりぃよ……)
静かに。
勝手に。
零れ、て。
(―――……ずるい…)
雨音以外の一切の音が消えた世界。
俯いた所為だけでなく、大量の雨によって消える涙跡。
それらは何も、城之内に許しをくれない。
(声も涙もないなら……慰めようも、ないのに)
海馬は此処に居るのに。
城之内の腕の中に居るのに。
自ら選んで、此処に居ると言うのに。
なのに何一つ、城之内に許してはくれない。
(お前は此処で、泣いて、叫んで、悲しんでるのに)
豪雨。
多量の雨は、その世界を支配する。
(オレには、聞こえなくて、見えなくてさ)
声は雨音へ。
涙は雨へ。
変わってく。
それは、海馬が泣哭していないのと、一緒。
だから。
(―――オレには、何も、できない)
泣いていない人間を、慰める事なんて出来ないから。
(あぁ、クソ)
思わず悪態を吐く。
そうでもしなければやってられない。
空を向く。
言葉を、吐く。
(………こっちが泣きてぇよ)
泣き続ける、空と、海馬へ。
20090406
〈空を見る。曇天が、俺達を押し潰すように迫っていた。(いっそ押し潰してくれたら悩みようもないのにと、馬鹿な事を考えた)〉