最悪の消去法

[ bad boy / serial number 01 ]



 間違っちゃいない。
 合ってないだけだ。





  純情浪漫





「じゃあな、海馬。また明日来るぜ」
「来んで良い」

 無愛想にそう言ってやると、城之内は困ったように笑った。

「んな事言っても、モクバから頼まれてるしな」

 その言葉に少し落胆する自分がいて、―――苛々する。
 苛立つままに、オレは「さっさと帰れ凡骨が!」と怒鳴った。
 怒鳴ってしまった後に、怒るか?、と内心身構えるが。

「ま、そろそろバイトだし」

 意外にも、城之内は怒りもせず笑って手を振ってきた。

「んじゃ」

 そう言ってドアの外に消えたかと思えば、再度ドアが開かれて、城之内の顔だけが見えた。

「あ、ちゃんと寝ろよ? 明日来て目の下に隈なんか作ってたら、モクバに報告すっからな」
「貴様に言われんでも…!!」

 苛々はただ徒いたずらに増すばかり。
 城之内の、まるで保護者のような言い方が気に障る。
 何よりモクバの名を出せばオレが黙ると知っているあの馬鹿犬の笑い顔が目障りだ。
 何か言い返してやろうと口を開いた途端。

「やっば、遅れそう!」

 城之内はそう言って、オレに何も言わず走ってオレの部屋から姿を消した。

「………」

 まだ燻り続ける城之内への怒りの捌け口を失って、オレは呆然と立ち尽くす。

「……っの犬が…!!」

 次の瞬間、思い切り壁を拳で殴った。

「…………………痛い」

 真っ赤になった拳を壁からそっと離す。
 パラパラと、壁の破片が散った。

「はぁ…」

 思わず溜息が出て、一瞬顔を顰めたが。

「……はぁ…」

 結局止める事は出来なくて。
 最近の自分に、ただただ溜息を吐いた。





 それは丁度一週間前の事だった。
 その日はモクバがイギリスへ出張する為、空港まで見送りに行っていた。

『本当に良いのか? モクバ』

 今回の出張は、元々オレが行く予定だったのだ。
 イギリスにある支社を査察するする為に。
 査察などあまり面白いものではないし、本社の方で片付けなければならない仕事も沢山あったのだが、査察も重要な仕事の一環だ、軽視する訳にも行かなかった。
 何とか都合をつけて準備しようという段階に、いきなりモクバが自分が行くと言い出した。
 モクバには過去に何度かオレの代わりに査察をしてもらった事がある。
 けれどそれはオレの都合がどうしてもつかなかった時だけで、自分から行くと言い出したのは今回が初めてだった。
 理由を聞くと、イギリスの支社にはモクバが独自に組み立てたシステムが使われているらしく、その点検をしたいとの事だった。
 何時の間に…と軽くモクバを目を眇めて見ると、決まり悪そうに笑って。

『試運転はちゃんとしたし、何度もKCの技術部に確認してもらったよ。……だってそれは、会社を守る為に作ったんだから』

 だから、何処かで使いたかったんだ、と。

『ねぇ、社長。もし、イギリスの支社で何の問題も無く稼動してたら、本社にもそのシステム、組み込んでいい?』

 モクバはきゅっと手を握って、オレを真剣な眼差しで見上げた。
 モクバがオレを兄サマと呼ばず社長と呼ぶ時は、かなりの覚悟と自信を持って提言している時だという事をオレは知っていた。
 少しの間、考えて。

『良いだろう。しかし、先ずオレにそのシステムの設計図と機能、その他諸々の書類を提出し、お前自身にモニターで解説してもらう事になるぞ』

 新しいシステム等の使用は技術部や解析部等の専門分野の者を集めて会議を開き、設計者自らがそのシステムを解説する事で使用の有無を決定する事になっていた。
 それはいくらオレの弟でありシステムの設計者として一目置かれるモクバでも変わらない。

『うん。分かってる』

 それでも、モクバはにっこりと笑って頷いた。
 ふと時計を見ると、もう直ぐで搭乗時間になる事に気づいた。

『モクバ、そろそろ行け。気をつけてな』
『兄サマも、オレがいないからって無茶しないでね!』

 こんな時もオレを気遣うモクバに、苦笑した。

『あぁ、気をつける』

 そうは言うものの、本社の仕事が詰まっているのを思い出して、気をつけても無駄に終わるかもしれない。
 けれど、モクバを安心させる為にそう言った。

『あ、言うの忘れてたけど』

 オレに背を向けて歩き出して数歩の所で、モクバが立ち止まりこちらを向いた。

『どうした?』
『あのね、オレ、ちゃんと兄サマが仕事しすぎて倒れないように、人を頼んでおいたからね』

 初耳だった。

『モクバ…別にそこまでせずとも』

 良いのでは…、と言うオレを遮って。

『だって兄サマ…オレ、心配だよ。オレがもしあの時「オレが行く」って言わなかったら兄サマは倒れなかったんじゃないか、なんて、そんな後悔したくないもの…』

 だから、先に手を打っておいたの。

 そしてそっとオレを上目で見て。

『兄サマ、怒った?』
『……別に、怒ってない』

 不安げにオレを見上げるモクバの頭を撫でて、オレは言った。

『ありがとう…何時も気を使わせるな』
『ううん。じゃ、行ってくるぜぃ!』
『あぁ。気をつけて』

 小さなその後姿をオレは見届け、そして本社に出勤した。
 その日も膨大な数の書類に目を通し、いくつかの会議に出席し、確か家に帰ったのは一日が終わりかけの頃。
 もうその頃には疲労でモクバの言っていた事の大半を忘れていた。

『……疲れた…』

 辛うじて風呂に入り足を引きずりながらベッドに入ると、そのまま意識を失うかのように眠ってしまった。
 そして翌日の朝、目覚ましの音に気づいて寝ぼけ眼のままアラームを止めようと手を伸ばした。
 けれど、誤って時計を床に落としてしまった。

(眠たい…でも、起きなければ……)

 そう自分に言い聞かせると、のそのそと布団から這い出て落ちたはずの時計を探す。
 視点が合ってない所為か、床のカーペットと同色の時計を見つける事は大変困難だった。
 もたもたしていると。

(…ん? …足音?)

 此処へ向かって近づいてくる足音が聞こえた。
 この家の床と言う床は玄関や厨房を除いてほとんどの床に分厚いカーペットが敷かれており、大抵の足音はその柔らかさで消えてしまう。
 むしろ、足音を立てるのは至難の業なのである。

(変に器用な奴だな……しかし、こんなドカドカ歩く奴が屋敷にいただろうか…?)

 時計を探す事を止めてぼんやりとドアを見る。
 確実に此処に来る事は分かっていたから誰か確かめようと思ったのだ。
 その足音の正体を。
 そして。

  ガチャ

「海馬! 起きてんだろ!? つーかこんなデカイ音でアラーム鳴りゃ誰だって起きるよなぁ!? 何時までもほっといてんじゃねぇ!! うるせぇって!!!」

 じ…っと、吠えながらオレの部屋に入ってきた黄色い頭の人間を見た。

(この奇抜な髪色…何処かで………)

 視界が段々と明確になってきて。

(…………………っな!!!)

 眠気なぞ、一瞬で吹き飛んだ。

「何故貴様がいる!? 不法侵入で訴えるぞこの凡骨がっ!!」
「はぁ!? まだ寝ぼけてんじゃねぇの!? こっちはモクバが頼むからワザワザ来てやってんのに!!」
「何をふざけた事を…!! ―――………………モクバ?」

 城之内の胸倉を掴みかかろうとしたオレは、その名前にピタと動きを止める。

「……確か……」

 昨日のモクバとの会話を思い出す。

『あのね、オレ、ちゃんと兄サマが仕事しすぎて倒れないように、人を頼んでおいたからね』

 そんな事、言っていたような…。
 しかし。

「何故凡骨……」

 思わずじっと城之内を凝視してしまった。
 他にも人はいただろうに。
 一体モクバは何を考えてこの男を選んだのか。

(……分かる訳が無い)

 と言うか、分かりたくない。

「…おい」
「何だ?」

 考えに耽るオレに、城之内が声をかけてきた。

「オレもまぁバイト行かなきゃいけねぇからこんなに早く起きてここに来たし、お前ももうそろそろ準備しなきゃいけねぇんじゃねぇの?」
「何っ?」

 先ほど誤って落とし何時の間にかアラームが鳴らなくなった時計を見ると、何時も家を出る時間まで10分を切っていた。

「は、早く言わんか馬鹿者っ!!」
「あぁ!? 折角このオレがワザワザ忠告してやったのに…!!」

 そんな事を叫ぶ凡骨を完璧に無視し、オレはさっさと着替えと洗顔を済ませて、出て行く為にドアへと向かった。

「おいっ」

 忙しいオレに何時までも突っ立っている城之内が尚食いかかってくる。

「五月蝿い。オレは貴様ほど暇ではないわ」

 そう言い置いて。

「モクバが貴様を選んだのだから、もう文句は言わない。モクバに言われた事を忠実にこなせ」

 そう言ってオレは家を出た。それが、城之内が初めて家に来た時のオレ達の会話だった。





 そして今日は城之内が通い始めてから丁度一週間。
 最初は口論が絶えなかったオレ達だが、三日目くらいにはもうその状況に慣れてしまった。
 何をすれば相手が怒り、何をしたら注意を受けるか、双方理解した為でもある。
 互いの性質を掴めば争いは無くなり、普通に会話を成立させる事も可能になった。
 口論も無く、仕事の邪魔にもならない。
 それは良い事の筈だった。
 なのに。

「……調子が狂う」

 普段城之内とは口論しかした覚えが無い。
 それがいきなりなくなり、なのにまるで反比例するように一緒にいる時間は増えていく。
 今更ながら、何故モクバが城之内を選んだのか問いただしたくなった。

(……本当に、今更だが)

「…はぁ…」

 何度目の溜息か。
 自問して苦笑した。
 城之内との関わりが増えていく度に、共有する時間が増える毎に、溜息の回数は増していった。
 別段、不満に思うことは無い筈だ。
 城之内はオレの仕事に口出ししないし、ただモクバに言われた通り朝と夜に家に訪れて、オレがちゃんと寝るか寝ているかの確認をするだけ、と、この一週間の城之内の行動を思い返す。
 その中で、そう言えば、とある事を思い出した。
 一度、どうしても寝られなくてずっと起きていたら、城之内がミルクに蜂蜜を少し入れた温かい飲み物を作ってきたのだった。
 その時、城之内と初めて互いの私生活に触れた。
 オレがちびりちびりと飲む様子を見て、「妹と同じだな」とあいつが笑ったんだ。
 「妹も、熱いのが苦手だった」と。
 それから少し話をした。
 時間にすればほんの数十分か。
 その会話が途切れたのは、温かい物を飲んで気が緩んだのか、眠気が襲ってきてオレの体がふらっと傾いだ時だった。
 それを見た城之内が、もう遅いから眠れとオレをベッドに入らせた。
 そして。

『ぐっすり眠れよ、海馬』

 そう言って、あの大きな手でオレの頭を撫でた。
 それは無意識の行為だったのだろうと思う。
 まるで弟や妹にするようなその動作。
 少し子ども扱いされたようでむっときた。
 けれど、その温かさに安心したのも、また事実で。

(後少し、起きていれたらよかったのに。城之内と、もっと話が出来たのに)

 そう思ったのは、きっと微睡(まどろ)んでいたからだろうと思う。

(嫌っていた筈だった)

 いや、そんな生温いものではなく、毛嫌いしていた、と言った方が正しいだろう。
 会えば口論。
 会わなくても悪口。
 そんな、関係だったのに。

「何時の間に、こんなに距離が近くなったのだろう…」

 ギシ、と身体を預けたソファが小さく音を立てた。
 城之内が起こしに来るのを大人しく待つ自分。
 早く寝ろと催促する城之内。
 朝食さえ、最近は一緒にとるようになった。
 この一週間で、なんだろうこの変化は。
 以前は堂々と嫌いだと言える自信があった。
 なのに最近はそうではないかもしれないという思いが消えない。
 しっかりと見るようになって気づいた事が沢山あった。
 それは、確かにオレと比べると大した事ではない。

(けれど、その心意気や瞳の強さ、自分をしっかりと持っている所は、どうにも嫌えない)

 嫌いじゃない。
 無関心ではない。
 恐怖や憎悪を抱く相手では、決して無い。

(だったら―――…)

 消去法でこの感情に名前を付けようとした、その結果。

「――……最悪だ」

 頬が熱くなる。
 怒りでない事は―――自分が一番知っていた。

(消去法なんて、やるんじゃなかった。碌な答えじゃないじゃないか)

「……寝るに限る」

 とりあえず寝よう。
 そうすればこんな事を考えた事なんて、忘れる。
 忘れ、たい。

(明日、どんな顔をすればいいんだ…)

 まだ顔は熱い。
 紛らわす為に顔を枕に埋めた。
 勿論、そんな事で熱は冷めはしなかった。





 翌日、何時もの時間通り城之内がやってきた。

「海馬ー、起きてる?」
「……起きてる」

 目を開ければ、この一週間で見慣れた顔が覗き込んでいた。
 すると。

「…お前、夜更かししたろ」

 すっと目が眇められた。

(したくてした訳ではないわ)

 そう言えればいいけれど。
 結局寝たのは空が白み始めた頃で、と言う事は、二時間ほどしか寝ていない。
 城之内にもバレる筈だ。
 モクバに報告されてしまうだろうか。
 こんな事で心配をかけたくは無いのに。
 その事に溜息を吐きそうになって、けれどやっとの思いで押し留める。
 そして身体を起こして着替える為に床に降り立った―――その時。

「…っ」

 寝不足の為か、身体に力が入らない。
 グラリと視界がぶれるのが、自分でも分かった。

(倒れる…!)

 そう、思ったが。

「―――大丈夫? お前軽いのなぁ」

 トン、と軽い音がしたかと思うと、オレは城之内の腕の中にいた。

「な、っ!?」
「もう少し食べるべきだな」

 うんうん。
 そんな風に頷く城之内。

(いや、そんな場合ではなくて…っ!)

「ん? 顔赤いぞ。風邪か?」
「ち、違っ…、な、んでもない…っ!」

 ばっと城之内から逃げて、部屋から続いているシャワールームに駆け込んだ。

「―――…っ!!」

 高鳴る鼓動が煩わしい。
 鏡に映る顔は、確かに赤くて。

「くそっ…!!」

 思わず座り込んでしまった。

(さっき城之内が触れた部分が、顔よりも熱く感じられて)

 昨夜の事を、思い出す。
 消去法で、この気持ちに名前をつけようと試みた。

(あんなもの、しなきゃよかったのに)
(大体、どうしてあんな名前をつけてしまったのだろう)

 好き、なんて。

「………最悪だ…」

 どうしよう。
 止められない。
 どうしよう。

(―――止まらない)





 こんな感情は知らない。
 こんな感情は、要らない。

(だって、涙が止まらない)

 甘くて、――――イタクテ。





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 20060822
〈泣きたいほど好きだ、なんて、誰が認めてやるものか。〉





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