約束

[ 気付かないで。知らないままで居て。こんな子どもっぽい独占欲。 ]



 絡ませる指。
 そして、
 残り香。





  キミも知らないオレの願い





「ふー…」

 ベッドの(ふち)に腰掛け、煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んでは吐く、という行為を繰り返す。
 時間はもう今日が始まった頃だろうか。
 あと四時間もしないうちに働きに出なければいけないし疲れていたが、どうしても寝付けない。

「…ベッドが軟らかすぎるんだよ」

 というのが主な理由だと最近気がついた。
 以前は、自分の家のせんべえ布団よりも軟らかいベッドの方が断然良いと思っていた。
 しかし、そのせんべえ布団に慣れすぎたのだろう、いざ軟らかいベッドで寝てみると全く寝付けなかった。

(貧乏が性に合ってるってコトなんだろうけどよ…)

 溜息とともに煙を吐き、そして途中まで吸ったその煙草を灰皿で揉み消した。
 そろそろ寝なければ、体力馬鹿と名高い自分でもちょっと辛いだろう。
 そう思いベッドの中へ滑り込もうとした時。

「煙草は吸うなと何度も言っただろう。ついこの間も言った気がするのはオレの気の所為か?」

 静かな声が背後から聞こえた。
 振り返ると、シャワー室へ続くドアから出てきた海馬と視線が合った。
 オレはその海馬の呆れた顔にふっと笑い、首を振る。

「いや、言ってたな」
「煙草の匂いは付きやすいんだ―――と、これも言ったな。いい加減覚えろ」

 じっと軽く睨んでくる海馬に、口端を上げつつ「わりぃ」と片手を挙げて謝る。
 確か前もこんな感じで謝ったな、と思いながら。
 海馬も覚えがあるようで眉を顰めたが、それ以上は何も言わなかった。

(海馬とこんな関係になったのは何時からだろう)

 つい最近のようでもあるし、ずっと前からのような気もする。
 ただ覚えてるのは、間近にあった蒼。
 触れた唇の熱。
 頬を伝う透明な雫。

(それにオレは、堕ちた)

 冗談のつもりだったんだ。
 からかってやろうと、そう思っただけだったのに。
 今思えば嫌がらせで男にキスをしようなんて所からしてもう可笑しいけれど、その時は本当に嫌がらせのつもりだったのだから始末に終えない。
 まぁそのお陰で今こうして海馬とオツキアイさせてもらっているのだが。

「なー海馬ー」
「……なんだ」

 オレの呼びかけに、眠そうな声で、でも応えてくれる海馬。

「次は、何時?」

 背中を向ける海馬に問う。
 今度は何時会えるのだ、と。

「……二週間は、会えない…と思う」
「…そっか」

 海馬の答えに、どうしても残念な声を出してしまう自分に苦笑する。

(分かってはいるんだ)

 海馬にはするべき仕事が数限りなくあるのだと。
 そんな海馬を応援したいと思い、しかし、自分の傍にももう少しいて欲しいと願ってしまう。
 オレも食い扶持と授業料を自分で稼がなくてはならないので、中々調整がきかないのだけど。
 だから、海馬の時間が空いていても会えない事もある。
 お互いそれは良く分かっているので、詫びのメールを入れたらそれで良い事にしている。
 一ヶ月で一回、会えたら良い方だとすら思う。

「じゃ、二週間後な」

 努めて明るく笑って、そして、何時ものように布団の下で勝手に指を絡ませ指切りをするのだ。
 言葉もなく、二週間後にまた会えるよう、願いを込めて。
 その行為に、海馬は何も言わず、ただオレの指を握り返した。





 海馬はきっと知らない。
 どうしてオレが煙草を吸うのか。
 海馬に何度言われてもこの部屋での喫煙を止めないのか。
 煙草の匂いは、海馬が言った通り、中々取れるもんじゃない。

(だから)

 その煙草の匂いが残る間にまた此処に来れたら良いと。
 この独特の香りが、オレが此処にいた事を物語るうちに来れたら良いと。

(そう、願う)

 生まれていっては数瞬の後には霧散してしまう紫煙を視線で追う。
 とても頼りなげな様子は、まるでこの関係が儚く消えてしまう事を暗示しているようで少し怖いけれど。

(それでも、香りは残るから)

 それは、指きりと同じくらい大切な、約束の印。





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 20060419
〈気付いている、と言えば、この男は落胆するのではなく顔を綻ばせて喜ぶのだろう。それでも言わない。それが最後の矜持だから。 〉





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