ペルソナ

[ 自分だけ―――あぁなんて素敵な響き ]



 言葉数は多くない。
 それでもちゃんと、伝わってる。





  オレだけが知ってる、アイツの素顔





 階段を二段飛ばしで駆け上がる。

「くっ…っ……」

 乱れる呼吸を聞きながら、考える。
 靴箱には靴があった。
 けど教室には来ていない。
 保健室にも、図書室にもいなかった。

(だったら)

「屋上だろっ……と!」

 最後の四段は一気にジャンプ。
 その二、三歩先には屋上へのドアがある。
 少し呼吸を整えて、ノブを回す。

(出迎えたのは、空の青よりも深い蒼)

「……よっ」
「………」

 片手を挙げて挨拶するけれど、相手は呆れたように見返してきただけだった。

「んだよ、折角オレが挨拶してんのに」
「…頼んでないがな」
「まーな」

 こんな会話がオレ達にとったら挨拶みたいなもん。
 何時もの手順を踏んで、パソコンを広げる海馬に近づき勝手に横に座る。
 それに、海馬は何も言わない。
 代わりに、違う事を言ってきた。

「貴様も物好きだな」
「何で?」
「オレにわざわざ会いに来るとは」
「いいじゃん」
「オレは別にかまわん。ただ貴様には何の得にもならないだろうと思っただけだ」
「ん~……別に損得勘定して一緒にいるわけじゃねぇんだけど」
「では何故だ?」
「……聞かれても困るけど」

 そんなオレの答えに「そうか」とだけ海馬は言った。
 他は、何も。
 それに少しだけ救われながらオレは空を仰いだ。





 今の海馬は何時もとは違う。
 普段の海馬の様子を〈嵐〉と例えるなら、今の海馬は全くの反対。
 静かで、まるで一切の音を拒絶したかのような。
 そんな様子の事を〈凪〉と言うんだと、誰かに教わった。
 それに何も言わない。
 オレに対して、邪魔だとも、犬とも。

(この状態の海馬に最初に会った時の事を、昨日のように覚えてる)

 数ヶ月前だった。
 二時限目の授業をサボる為に屋上に来たオレは、先客の姿に目を眇めた。
 数週間ぶりに見た、海馬だった。
 授業に出てねぇのに何でパソコン開いて此処にいるんだと、自分の事を棚に上げて心の中で呟いた。
 引き返そうかと思ったけど、そうしたら何か負けたみたいな気がして。
 だから敢えて足を踏み出して、海馬に近づいた。
 けれど、オレがいる事に気づいているはずなのに海馬は全く反応しない。
 見もしない。
 その事に違和感を覚えて、数メートル離れた場所で足を止めた。
 何時もなら俺をちらっと見て悪態を吐くぐらいはする海馬が、何も言わない。
 何より。

(雰囲気が…違う?)

 そう、感じて。
 普段の刺々しさが全く感じられない。
 声をかけるタイミングを逃して無言で立ち竦むオレに、海馬がついに口を開いた。

「何か用か」

 怒鳴るでもなく嫌味を言うでもなく、淡々と言葉を発する海馬は、パソコンの画面から目を離さずに言った。
 だから思わず、

「お前大丈夫か?」

 と聞いてしまった。
 あまりの大人しさに、どこか悪いんじゃないかと思ったんだ。
 けれどその答えは「ああ」の一言だけ。

(変だ変だ変だ)

 大丈夫かなんて言われて怒らないなんて、何時もの海馬じゃない。

「……やっぱおかしいだろ」
「失礼だな」
「っ、それがおかしいんだって!」

 声を荒げたオレに海馬は眉を顰めて、ようやくオレを見上げた。

「何を怒っている」
「……わりぃ」

 言って、海馬の横より少し離れた所に座った。
 海馬はオレを不思議そうに見て、そして、「あぁ…」と納得したような声を零した。

「何時もと様子が違うと言いたいんだな」
「………」

 無言を肯定と受け取ったのだろう、海馬は微かに笑ってパソコンを閉じた。
 そして、その蒼い瞳にオレを映して言った。

「これが普段のオレだ」

 海馬が言うには、オレが知ってるあの居丈高でかなりテンションの高い海馬は、もう一人の遊戯がいる所為だという。
 遊戯の前では何故かあんな風になってしまうんだと。
 遊戯がいない時は案外こんな調子らしい。
 だから多分、海馬がオレに普段の自分を見せたのはただ単に遊戯がいないからだと思う。
 海馬は遊戯の前で何故そうなってしまうのかは分からないと言った。
 でもぽつりと、「自己防衛かも知れんな…」と呟いたのをオレは耳にした。

(何の事かは、分からなかったけれど)

 それからオレは何となく海馬を見るようになった。
 学校で海馬の姿を探すようになった。
 授業をサボって一緒に過ごすようになった。
 海馬は何も言わない。
 だからオレは勝手に横にいる。





「なぁ、海馬」

 空を眺めたまま、オレは海馬を呼ぶ。

「…なんだ」

 海馬もパソコンの画面を睨んだまま、返事をする。

「さっきの話だけどさ」
「さっきの話?」
「何で海馬に会いに来るかってハナシ」
「…あぁ、それか」
「うん、それ」
「それがどうした」

 興味があるのかないのか、抑揚のないその声では判断がつかない。
 どちらにしても聞いてくれるらしいので、オレは構わず口を開く。

「オレさ、良いと思ったんだ」
「………」
「表裏って言うのも何か違う気がするけど……そういうなんつーか、仮面みたいな」

 仮面―――そう、多分その言葉が一番的確だ。
 人間生きてりゃ様々な状態合わせて仮面を被る事を覚えていく。
 本心を隠し、素顔を隠し、本音を隠し、生きていく。
 何時の間にか、どれが自分の素顔かも忘れてしまうくらいの仮面の数々。
 でも、オレは海馬はなんの仮面も被ってないと思ってた。
 自分の好き勝手に行動し、言葉を言い、周りに合わせるという事を知らない海馬。
 そう、思ってたから。

「それってやっぱ、違和感覚えたりする訳よ」

 周りと違うってそういうコト。
 どうしても浮いてしまう。
 自分と違うって感じたら尚の事。
 もしかしたらそれは自分にはできない事への嫉妬であったかもしれない。
 感じない今となっては、分からないけれど。

「だから、お前でも仮面あるんだなって。それ知ったらなんか親近感、…じゃねぇけど…」

(何だろう……あぁ、うん、そう)

「オレはそういう人間らしい海馬、良いと思ったんだ」

 空から視線を外し、海馬の方を見る。
 かちり、と合ういつの間にかこちらを向いていた空より蒼い瞳との視線。
 何時もより少しばかり見開かれたその瞳の中に、オレが見えた。
 その事に、笑う。

(オレ、お前の中にいる)

 仮面を脱ぎ捨てた海馬の瞳の中に、素顔の、お前の中に。
 それが妙に嬉しくて、笑みを深くする。
 すると、オレをじっと見ていた海馬もふっと笑った。

「物好き」
「ほっとけ」

 皮肉の笑みでも、嘲笑でもない海馬の柔らかな笑顔が、また更に嬉しかった。





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 20060405
〈恋に似た想いで、貴方の傍にいたいと思ったの。〉





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