桜花
[ その激昂すら愛おしい ]「あ、城之内君」
「なんだ? 遊戯」
新学期が始まり、何日かして初めて新しい教室へと足を踏み入れた時、よく知っている声が丁度耳に入ってきた。
視線をそちらへやると、つんつん頭の小柄な目付きの鋭い男と、太陽のような色の髪を持つ男が、隣り合って窓の外を見ていた。
「あれ…」
「あれ?」
「……ひらひら散ってる」
視線の先には、春に咲く花。
「ああ…今日は風が強いからなぁ。本当だったら後少しで見ごろなんだけど」
風に吹かれて、空に花弁が舞う。
「もしかしたら、後少しで全部緑になっちまうかもしれねぇな」
少し残念そうに、大きな男は言った。
それを聞いて、小さな男は「そうか…」と零し、そして小さく呟いた。
「……綺麗だったのに…」
二、三メートルほど離れているというのに届いたその声は、ひどく、悲しそうだった。
俺の為に君が吐いた優しい嘘
「瀬人様はお部屋にいらっしゃいません」
聞いた言葉に、笑みが引きつるのを感じる。
「……えっと、じゃ、何処に?」
「お答えできません」
「………」
「瀬人様から、教えるなと言われておりますので…」
「はぁ…」
「瀬人様のお部屋はご存知ですね?」
「あ、はい」
「では、そちらでお待ちください。後ほどお呼び致します」
オレに有無を言わせぬ笑顔で応対したメイドさんは、そう言ってオレが何かを言う前に頭を下げ、何処かへ行ってしまった。
消えた方向を力なく見ていたが、ずっと意味もなく立っているのもどうかと思い、仕方なく海馬の部屋へと向かう。
「…ったく。何なんだ」
ドサッと身を柔らかいソファに沈め、小さく吐き出す。
「来いって言ったの、海馬じゃねーか」
間違いないよな、と一人ごちてケータイをポケットから取り出す。
それは、海馬が海外へ長期の出張に行く時、オレが海馬にもらったものだ。
日本にいる時は、いい。
日本での長期の出張なんて、まだ安心できるし我慢できる。
けど、外国なんて。
しかも長い間。
「……安心も我慢もできないぜ」
外国へ電話をかけるのは、それだけで大変だ(と、相棒が言っていた)。
そして、電話をかけたところで繋いでもらえるか分からない。
海馬は向こうでもそれぐらいに名を馳せてるし、第一オレは日本語以外分からない。
だから何時でも連絡がつくようにしたい、と何度も言うと、ケータイをくれた。
海馬はやっぱりいい顔はしなかったけれど、オレが相棒に教えてもらいながら打ったメールにはちゃんと応えてくれる。
(それが、凄く嬉しい)
「あ、あった」
受信箱の中から、海馬のメールを開く。
そこには。
『今週の土曜日の昼、オレの家へ来い。来られない時は連絡しろ』
と、簡潔だけど、ちゃんとした文章が書かれてあった。
「ほら、やっぱり海馬が来いって」
(あぁなのに、どうしてお前はいないの)
小さく溜息を吐いてケータイをポケットに入れなおす。
深く深く身体をソファに沈ませて、窓から見える空へと視線を泳がせた。
そこへノックの音が聞こえ、さっきのメイドさんが姿を見せた。
「武藤様、準備が整いましたので、こちらへ」
「準備? なんの?」
「それは……着いてからのお楽しみです」
「?」
意味ありげに微笑んだメイドさんに、オレは首を傾げた。
案内されたのは玄関だった。
そこには、私服に身を包んだ海馬が待っていた。
「海馬…今日は何の為に呼んだんだ?」
来てもお前いなかったし…、と少し睨むように見ると、海馬は意に介した風もなく、ただ一言。
「来い」
とだけ言った。
「は?」
意味が分からず疑問符を並べるが、海馬はそんなオレの言葉など聞かずさっさとドアを開けると外へ出て行ってしまった。
「お、おいっ」
慌ててオレも付いて行く。
海馬はズンズンと容赦なく歩き、オレはそれに合わせようと小走りになっていった。
多分オレに見せたいものでもあるのだろうと、海馬が何の説明もしてくれないので自分で勝手に見当をつける。
青眼の白龍の銅像か、はたまた青眼の究極竜の石像か。
いや、もしかしたら金で作ってあるかもしれない。
(海馬だしな)
と、ちょっと失礼な事を考えていると、海馬が急に立ち止まった。
一瞬考えている事がバレたのかと冷や汗をかいたが、海馬の一言で杞憂に終わった。
「貴様、花見は好きか?」
「はなみ?」
頷いて肯定する海馬。
「好きも何も……〈はなみ〉がなんなのか知らないぜ」
「そうなのか?」
オレの答えに、海馬は純粋に驚いた顔をした。
そして、しばらく考える仕草をしていたが。
「……まぁ、さして問題はない」
と、結論を出したらしい。
「ところで、〈はなみ〉ってなんだ?」
「これからする事だ」
そう言うと、海馬は庭へと続く屋敷の角を曲がった。
また慌ててオレも角を曲がる。
そして目に入った光景に。
「――――――」
驚いた。
「あっ、遊戯、遅いじゃない!」
「待ちくたびれたぜぃ…」
「先に食ってんぜー」
「こら城之内ぃー! 遊戯が来るまで待ってろって言ったろーが!!」
「そうだよ城之内君、美味しい物はみんなで食べなきゃ」
「そうそう。だいたい城之内は食い意地が張りすぎてるんだよ」
「うっせーなー!」
賑やかに騒ぐ、仲間がいた。
そして。
「これ、は……」
ふわりふわり。
舞う白い羽根のようなものが、オレの仲間達がいる直ぐ後ろにある大木から風に流されてくる。
まるで冬に見た雪のように。
秋に見た、木の葉のように。
頼りなげな、でも、綺麗で。
「桜だ」
横に立つ海馬が言った。
「え?」
「これは桜の花だ」
海馬は自身の指で掴んでいたそれを、オレの手に落とした。
白だと思っていたが、近くで見ると僅かに桃色が入っていた。
「この花…見た事、ある」
「それはそうだろう。学校の直ぐ脇にも生えているからな」
(―――そうだ)
新学期を迎えて学校へ向かう道中。
相棒が急に空を見上げたからなんだろうと一緒に見上げた。
その先に、この花があったのだ。
風に吹かれて流される花弁が、それはそれは綺麗だった。
相棒に何度も呼ばれても、気づかなかったくらいに見とれていた。
だから何日かしてその花が全部消えてしまった時、オレは酷く哀しくて。
(あぁ、その日だったか。海馬が久々に学校に来たのは)
思い出せば、ぽろり、と言葉は自然に零れた。
「……なぁ、海馬」
「何だ」
「――ありがとう」
「…フン。さっさとお友達共の所へ行くがいい。あの凡骨に全ての食事を食べられてしまうぞ」
「え、お前は行かないのか?」
「オレにはまだ仕事が残っているからな」
「そっか……じゃあ後でまたお前の部屋行くから」
それに何も言う事はせず、海馬はオレに背を向けた。
そしてオレもみんなの所へ行こうとして。
ふと、疑問が湧いた。
「おい、海馬」
慌てて呼び止めると、海馬はこちらを向いた。
「あんな大きな木、お前の家にあったか?」
その言葉に海馬は一瞬眉根を寄せ、少しの間黙っていたが。
「………あった」
と小さく言った。
「…オレ、庭に入った事ないけど、庭が見える窓からあんな木、見た事ないぜ?」
「貴様の記憶が間違っているんじゃないか?」
「いや、あんな大きな木、忘れないから。絶対見た事ないって」
「貴様の記憶違いだ」
「んな事ないぜ」
「あったと言っているだろう」
「ぜーったい、なかった」
「このオレがあったと言っているんだ」
「このオレがなかったって言ってるんだぜ? 本当になかったって!」
「昔からあった」
「なかった!」
「~~~~っしつこいっ!」
「のわっ!」
いきなり海馬が大きな声を出した。
「オレはこれから仕事があるんだとさっきも言っただろうが! 貴様に付き合っている暇はない!!」
そう言うと大股で歩き去って行き、今度こそ本当に家に入ってしまった。
「あちゃー…怒らせた?」
『そりゃねー』
「あ。相棒」
横を向くと、自身の片割れがいた。
『あんまり海馬君苛めちゃダメだよ。すぐ拗ねちゃうから』
「あぁ、分かってる」
そう言って二人、見合って笑った。
気付いてる。
本当は知ってる。
あの木が本当に最初からなかった事。
海馬が、嘘吐いてる事。
けれど敢えて言ってみた。
もしかしたら言ってくれるかも、なんて期待は最初からしなかったけれど。
(オレの為に植えてくれたんだよな)
見せてくれたんだよな。
城之内君達を、呼んでくれたんだよな。
(多分その考えは、自意識過剰の産物なんかではなくて)
「―――綺麗だ」
風に舞う桜が、空の青に良く映えると思った。
20060415
〈ありがとう、ありがとう。オレの幸福は、いつだってお前の贈り物で成り立ってる。〉