Trick and Trick

[ どちらも魔術師(裏を知る者) ]



 揺らめく炎に照らされて、其処彼処(そこかしこ)で道化のように踊る。

『笑え、ジャック・オ・ランタン』

 今宵は其れに相応しい。





  冥想のnocturne





 カタカタとキーボードを叩き、書類を捲めくるのにいい加減飽きてきた頃、窓を見れば既に太陽は眠り月が起きていた。
 昼から始めた仕事に何時間注ぎ込んでいたのかと、そんなどうでも良い事を思いながら伸びをする。
 ふぅ、と小さく息を吐いて体を解し、椅子に(もた)れ掛かった。
 ギィと微かに鳴いた椅子は、それでもオレをしっかりと受け止めて。
 しばらく眼を閉じていると、激しく運動した時みたいに体が泥のように重くなっているのを感じて、そのまま眠ってしまおうかとも考えたが。

「……明日も、仕事だ…」

 自身を納得させるようにあえて口でそう言って、弛緩させていた体に力を込めて立ち上がる。

「さっさと寝るか」

 言って隣室に付いてあるシャワー室へ向かおうとした、その時。

「…ん?」

 もう少し歩いた所にあるベランダへと続くガラスのドアに、こつん、と何かが当たった音が二度も聴こえた。
 まるでノックするかのような、その音。
 不審に思いながらそっと歩み寄って見てみれば、手摺りに寄りかかる人影が見えた。
 以前ならば何者かが入って来た事へのセキュリティの甘さに苛立っていたものだが。

「……はぁ…」

(貴様か…)<>
 今ではそんな溜息一つで済ませる程に慣れてしまった。
 慣れてしまったからその状況を歓迎している、と言う訳ではないけれど。
 ここで「ドアを開けない」という選択肢もあるな、と思いつつ、自分がそんな選択肢をとらない事も分かっていた。
 そう考える自分に、毒されたか…、と小さく溜息を吐き。

「…何をしている」

 言ってガラスのドアの境界線を抜けて人影に近付くと、背を向けていたそいつが此方を向いて笑う。

「よぉ、久しぶりぃ」

 月の光で銀糸にも似た長い髪が煌き、屈託なく笑えば愛嬌のある八重歯が見えた。
 そしてその胸には、金色に輝く千年リング。
 それを目にしながら、確かに久しぶりだな、と学校に行かなかった日数を数えて頷いた。
 そこでふとそいつに似た笑みを今日何処かで見たような気がして、けれど少し考えても分からなかった。
 まぁ良い、とその事について保留したオレは、少しイラつきながらそいつに尋ねた。

「どうでも良いが、何故貴様、此処にいる?」

 そいつが此処に来る理由は様々で、一貫して言えるのはあまり大した理由がないという事だけだった。
 オレに会いたかったから、だの、散歩のついでに、だの、聞いて呆れるような事ばかり。
 そして更に腹立たしい事に、そいつが会いに来るのは何時も夜だった。
 忙しいオレの睡眠時間を削ってくれるなと何度思ったか知れない。
 ならば無視すれば良いのにと心の底でその都度思いはするものの、一度だってそれを実行した事はなかった。
 それも、苛立ちの理由に含まれているような気がする。
 そんな事を考えていたオレに、そいつは飄々と。

「知ってたか? 今日はハロウィンってヤツなんだってよ」

(あぁ、やはり、どうでも良い理由)

 はぁと溜息を吐くオレに、そいつは気づかない。
 何時もの事だと割り切っているのかもしれないが。

(ハロウィンだからどうしたというのか)

 まさかこの歳になって、菓子をくれ、なんて言いに来た訳でもないだろう。
 理解できないと顔を顰めるオレに、そいつは言った。

「宿主サマに聞いたんだけどよぉ、ハロウィンってのは日本の盆ってのにちょいと似てる行事らしいな」
「…まぁ元々は、死者が家族を訪ねて来るのを迎える、という行事が今のハロウィンの切欠になっているらしいが」

 それがどうしたと視線で尋ねれば、弧を描いた笑みの種類が変わったと、そんな闇夜に紛れそうな小さな変化に気が付いてしまった。
 なのにそいつは何でもないように話を進めるから、オレは問う事が出来なくて。
 だからただ静かに耳を傾けた。

「今朝起きたら、宿主サマが楽しそうに部屋を飾り付けてた。宿主サマお得意の、気味の悪ぃリアルな骸骨やら何やらが部屋中に溢れてて」

 オレはそいつの宿主を思い出して、確かにその光景は想像するに難くない、と心の内で頷いた。

「宿主サマは、今日は死んだ人の為のお祭りなんだ、と言った。死んだ人が家族の元を尋ねてくる、だから迎えてあげないとね、ってよ」

 そうして宿主サマがすっげぇ優しく笑ったのが誰の為か、オレは知ってる。

 まるで自分に向けられない笑みに嫉妬するようにそう言うそいつに、貴様も今同じように笑っている癖に、と何故か八つ当たりしたい気分になって。
 けれど。

「……そしたら宿主サマ、オレに聞いてきたんだ」

 不意にそいつが表情を翳らせ、紡いだ言葉に。

「キミは誰を迎えてあげるの?――…ってさ」

 途端、舌打ちしたい気分になった。

(それは、その言葉は)

「……答えられる訳、ねぇっての」

(オレ達には、キツくて)

 それまで真っ直ぐに此方を向いていた視線をそいつは逃がすように下へと向けて、今度こそはっきりと苦く笑う。

「オレははっきりと生きてる人間だって言い切れねぇ。オレ自身の身体は何処にもない。でもだからって、死んでるって訳でもない」

 それはつまり、迎える資格も迎えられる資格も、持ってないと言う事。
 …だったら。

「オレって、何なんだろうな、って」

 完全に笑みを失った顔は、何処か哀しく。

(あぁ、馬鹿が)

 思わず心の中で毒突いて。

「…瀬人?」

 気付けばそいつを自身の腕の中に迎えていた。
 何時もなら絶対に自分からはしない。
 それは羞恥と引き換えの代償行為だからだ。
 けれど、それでも。

(今みたいな顔のこいつを、見たくなくて)

 こいつは意外にも心を許した人間にとことん甘く、なんだかんだ言っても自身の周りにいるヤツらが好きだった。
 けれど自分が他のヤツらと違う事も知ってるから常に一歩距離を置く。
 ヤツらが輪に加わるよう手招いても、こいつは其処から動きはしない。
 一歩の距離を徹底的に守ってる。
 その顔は一見何時も通り人を食ったように笑ってる風に見えて、だけどオレには分かるんだ。

(葛藤の末の、諦めの笑み)

 それは辛いのだと、表には出さない心の声。
 皆とは違うのだという事への、悲しみの色。

(あぁけれど)

「…そんなの、どうでも良いだろう」

 言い捨てたオレの言葉にそいつはぴくりと反応して、まるで反論するかのようにオレのワイシャツを引っ張るけれど、オレは無視して更に言葉を重ねた。

「貴様がどう思ってもオレ達は此処にいる。ヤツらと、一緒に」

 其処には確かに記憶という大きな存在がオレ達を選より分けるけれど。

「自分が何者か分からなくても、…例え、何者でなくても」

 意識だけでも貴様は此処に立っていて。
 身体がなくても、想いは確かに此処にある。

「それだけで良いじゃないか」

 それだけは、どうしようもなく真実だから。

「それ、だけで……」

 そう言い聞かせるのは、そいつと、―――自分と。

「セト」

 それまで大人しくオレに抱きしめられていたそいつがオレの腕にそっと手をかけた。
 従うままに力を緩めれば、あっという間に何時も(かつて)のように抱きしめられる。

「悪かった。そんなつもりじゃなかった」

 普段のように煩い笑い声でなく巫山遊(ふざけ)た大声でなく、落ち着いた優しい声が耳朶(じだ)を揺らす。

「責めてる訳じゃねぇ。だから」

 泣くな。

 言われて気付く。
 そいつの服に頬を押し付けた部分が濡れていた。
 気付いて、けれどどうして止められるだろう。

(哀しそうな顔をして欲しくないと願うオレ自身が、そうさせたのに)

 アイツの願いを叶えたくて、こいつを、ヤツらを、輪廻の環に引きずり込んだ。
 他人を犠牲にしてもアイツが幸せになるのなら、また逢えるのならそれで良かった。
 だから後悔なんてしていない。
 後悔したらオレのやった事全てが無駄になる。

(けど)

 嫌なんだ、こいつがそんな顔をするのが。
 怖いんだ、昔のような表情ではない事が。
 こいつはオレの拠り所だった。
 神殿で何があっても、こいつと居ればそれだけで落ち着けた。
 アイツには言えない事も、こいつになら言えた。
 そんなこいつに、哀しそうな顔をして欲しくなかった。

(輪廻を繰り返す度にこいつの疵が広がっていく事なんて、分かりきってのに)

 だから言い聞かせなければならなかった。
 こいつに、自分に。
 そうしなければ立って居られなくなりそうで。
 そしてそれ以上自傷の海に沈もうとするオレを留めるかのように、そいつは抱く腕に力を込めて。

「…本当は分かってる。オレはオレ以外の何者(だれ)でもねぇ。生きてるとか死んでるとか、そんな事は関係ねぇんだって」

 それでも宿主サマにあぁ聞かれた時、多分ふと哀しくなったんだ。
 まるでオレの還る場所なんて何処にもないと言われたようで。

「―――お前がいんのになぁ」

 そんな事を言った声は、搾り出すように言った所為か少し掠れていて。

「…なぁ、セト」

 そう呼び掛ける声は。

「お前を恨んだ事は一度もねぇよ」

 何処までも、優しい。

「お前の言う通りだ。どんなに生まれ変わったって、皆はちゃんと〈其処〉に居る」

 城之内が馬鹿やれば真崎と本田が怒って、それを遠巻きに宿主サマが見てる。
 宿主サマは隠そうともしねぇで笑って暴言吐いて、きっと傍には爆笑しながらそれを聞くオレと便乗する御伽が居る。
 其処にアイツの器が混ざって、そいつはそいつで宿主サマと似たような事を顔に似合わず言いそうだ。
 その怖い雑談を諫めるのはきっとお前の弟で、お前はその後ろで弟の肩を持つ。
 そしてそれを、分かってるのか分かってないのか、ぼんやりと一連の流れを傍観者として見てるのが、アイツ。
 そんな人生を何度オレは繰り返しただろう。
 そんな、幸せと呼べるような時を。

「だから良いんだ」

 オレがどうとか、もうどうでも良いんだと。
 小さく笑う気配がする。

「〈其処〉にちゃんとお前が居て、アイツがいる。そんな世界があれば、…それで良い」

 その世界がオレの還る場所になる。
 だから。

「笑え、セト」

 オレは、お前が笑っているのが好きだ。

 腕の力が緩むと同時にそっと顔を上げれば、月を背後に、あの頃と同じ顔が見えた。
 それにどうしようもなく安堵している自分に気が付いて。

「…貴様こそ、笑っていた方が良い」

 心から思う。
 こいつに泣き顔は似合わない。
 苦しそうな顔なんて以ての外だ。
 笑ってくれ、何時ものように。
 お前が笑えば、オレも笑える気がするから。

「変わらねぇな、お前も。ずっとそんな事ばかり言う」

 そう言って破顔したその笑みに、唐突に思い出す。
 あぁそうかと、つくつくと笑った。

「どうした?」

 吹き出すように笑ったオレに、そいつは首を傾げて聞いてきた。

「いや、最初貴様と顔を合わせた時、今日何処かで会った気がしていたのだが」

 ンな訳ねぇ、と即座に呟いたそいつ。
 確かにそうだ、貴様と直接会ったのは本当にその時が初めてだ。
 けれど。

「今日は何の日だ?」
「…ハロウィンだっつぅ話を今してたじゃねぇか」

 呆れたようにそう答えたそいつに、笑みを深くして言い返す。

「ハロウィンには特徴的な装飾がされる。そう言えば、今日はモクバがそれを部屋に持って来ていた」

 一つ一つの物が高い素材でありながら、華美を嫌い機能性を重視したオレの部屋は何処か寒々しささえ感じる。
 そんな風に言ったモクバが、せめて、と置いて行ったの物がそれだった。

「…あぁ、なるほど」

 理解したそいつは、まさにそれそのもののように笑って。

「じゃあ、それっぽい事言っとくか?」

 そう楽しそうに笑ったそいつが言い放った言葉は。

「Trick and Trick ! ―――悪戯されたかったらかかって来な!」

(………)

「……微妙に違うぞ、それは」

 誰から教えてもらったんだ?
 …そうか、あの宿主か。
 なるほど、菓子をくれ、などと言わなかった訳だ。
 ありそうな話だな、などと小さく息を吐くが。

「あ? 何処か違うのか?」

 真面目に聞いてくるそいつに、思わず苦笑が漏れる。

「いや。そちらの方が、貴様らしい」

 その言葉だけで分かったのだろう。
 そうか、と笑んだそいつ。
 優しいそれは、モクバが置いて行った物とは似ても似つかなかったけれど。

(それで良い)

 貴様が笑ってくれれば、それで。

「瀬人?」

 不思議そうな声が上から降ってくる。
 唐突に抱きついたオレを訝しむような、そんな声。
 けれど引き離そうとはしない。
 小さく吐く溜息は、笑いさえ含んで。

「しょーがねぇなぁ…」

 悪戯しちまうぞ? …なんてな。

 何処までも優しい声は、目を瞑ったオレの躰なかに静かに響いて。
 オレは抱き返された腕の中で、ただ只管、その温もりに溺れていた。





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 20081109
〈ただ少し、今少し…甘えさせて、今だけは。直ぐ立ち直る、だからお願い。どうかこの手を離さないで。〉





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